子どもの貧困 動き出した首長たち 「地方こそが21世紀型教育の主舞台」と佐賀県武雄市長
子どもの貧困問題への注目が高まる中、市町村も動き出している。
6月8日には「子どもの未来を応援する首長連合」(以下、首長連合)が発足した。
発起人は、佐賀県武雄市、大阪府箕面市、八尾市、茨城県古河市、長崎県大村市の5市長で、代表発起人が武雄市長の小松政(こまつ・ただし)氏だ。
前市長の樋渡啓佑氏から武雄市長職を引き継いだ小松市長は、今回の首長連合で何を実現しようとしているのか。
ご本人に聞いた。
打ち上げ花火ではなく、しっかりじっくりと対策を打っていく
――まずは首長連合発足の経緯から伺えますか。
今年の春に、知り合いの首長さんたちが集まったときに、話題になったんですよね。
子どもの貧困率は16.3%あるという実態を受け止めて、「うちも、本当にしっかり、真剣に取り組んでいきたい」と言われる首長さんが多くいらっしゃいました。
みんな課題として受け止めて、打ち上げ花火ではなく、長期的な行く末を見据えて、しっかりじっくり対策を打っていかないといけないよね、という話になっていきました。
でも同時に、こういう話もありました。
テーマが大きすぎて、福祉や教育双方にまたがるし、支援メニューも経済的なもの、モノの支援などいろいろ考えられる。国もメニューも仕組みも出しているけど、でも現状は必ずしも好転していない、と。
では、自治体としてどうするか。
みなさん悩んでいます。
その「みんな、しっかりやりたい思いを持ちつつ、悩んでいるよね」というのが、首長連合の共通認識です。
流行りをパッと取り入れるだけなら簡単なんですが、自治体の経営戦略全体の中にしっかり位置づけていくためには、それでは足りない。
ですから、首長連合は、まずはやってきたところの知見を共有するプラットフォームであろうとしています。
この話は、一つの自治体が勝てばいいという話ではない、競う話ではない、行政としてどういうことをすべきなのか、まずは事例を共有しようということです。
その中で、私が言い出しっぺなものですから、代表発起人を勤めさせていただくことになりました。息長くやりましょう、と言っています。同じ発起人の市長のみなさんも、それがいいよねと言ってくださっています。
大事なのは伴走する人
――首長連合はどんなことをやっていくんですか。
第一に、これからどうやっていくかという、知見の共有と研修会です。
第二に、そうはいっても自治体だけではできないところをボトムアップで政府に届けるという提言。
まずはこの二本柱でしょう。
研修会については、自治体の地域や規模に応じてセグメント化できないかと思っています。
日本全国を俯瞰したときに、武雄市と東京では事情が違う。政令市とも違う。地域が違えば、コミュニティのあり方も違う。
政令市から人口1000人の自治体までが一堂に会しても、いい話だったねで終わってしまって、実践的にはあまり使えないということが多い。
人口規模や地域別で、本当に実のあるカテゴリーに選んで入ってもらう。
少しでも自分たちの政策に明日から生かせる学びをしたい。
私の個人的な構想として、そんなことを考えています。
――政策については、どんなところに重点を?
教育がキーだろうと思っています。
少なくとも発起人である5人の市長は、教育を特に重視していますね。
もちろん、福祉のことを語らないわけではないんですが。
いかに貧困の連鎖をいかに断ち切るか、それには20年はかかると思うんです。ですから、息の長い取り組みが必要です。
そのうえで、大事なのは伴走する人。
子どもたちには、生身のおにいちゃんおねえちゃんといった、ナナメの関係が重要です。
小学校は担任の先生がいますが、中学校に入ると変わってしまう。生活保護はケースワーカーもいるが、行政には人事異動があり、そこでの関係はどこかで切れてしまう。
勉強だけじゃなくて、自分に何があってもこの人は見守ってくれているという人。ずーっと伴走していけるような、そういう人が必要ではないかと思っています。
貧困家庭の子どもたちを集めて教育支援をすれば、それで解決できるという問題ではないと思うんです。
間口を広く
――「貧困」というくくりで子どもたちを切っても、うまくはいかない、と。
貧困層向けに居場所をつくるというのは、私はどうかなと思うところがあります。
武雄市内に川良という地区があり、そこで「なかよし川良っ子」という取組があります。
それは、もともと地域の人たちが、子どもたちに腹いっぱいご飯を食べさせたいよね、という話から始まったものです。
ですが、間口を広くして、子どもたちみんながそこに来て、見てくれる大人とつながれるような場所がいいよね、となりました。
そのために、学校とも連携する、地域とも連携するという取り組みが今年4月から始まりました。
また「官民一体型学校」といって、民間塾である花まる学習会と組んで、塾のノウハウを学校で教えてもらう取組みも進めています。
ここでは、地域ボランティアに登録した地域のおじちゃんおばちゃんが学校に来て、朝の授業で子どもたちに丸つけをやってくれています。
すると、これまで地域の中で出会っても素通りしていた子どもとおじちゃんおばちゃんが、「あ、花まるのおじちゃんだ」「お、がんばれよ」というつながりができたんです。
こういう関係が大事なんじゃないかと思うんです。
地域ぐるみで、地域が学校に入り込む。これが結果的に子どもの貧困を減らすのではないかと思います。
ある市長さんに首長連合に入らないかと呼びかけたところ、彼はこう言ったんですね。
私自身も居場所が大事だと思ってる。いま政府が新しい居場所という概念を出していて、そこに交付金を出すと言っている。
でも、学校に行かない若者でも近所のバイク屋のおっちゃんには「ちーす」って挨拶したりする。それでいいじゃないか。
そのとき、その人にとって安心できる場所はすでに地域の中にあるんだ、と。
そういうふうに見ると、何をやるべきか、視点が変わると思うんです。
行政は縦割りだが、暮らしはつながっている
市長の仕事をやってみて思うんですが、行政はひとり親家庭とか生活保護家庭とか、対象家庭を基本的に縦割りでとらえがちです。
だけど、その家庭の子が地域で遊び、学校に通っています。暮らしはつながっています。
教育の人がもっと入り込んだり、地域の人が関わったりしてよいのではないか。
行政も、自分の担当分野の方たちをタコツボ化させずに、部署横断的な視点で総合的・包括的に支援していく必要があります。
武雄市役所としての目標は、当然市民全員が武雄市にずっと住みたいとなることなんですから。
その際には、市民全員を見ると言いながら、見ている範疇は実は狭いのではないかという振り返りが常に必要です。
武雄市は今年、神村学園という通信制高校を誘致しました(神村学園高等部武雄校舎)。
4月に41人の生徒さんが入学してきましたが、不登校経験のある子などもいます。
そういう子どもたちは自分には関係ない、自分の家族にはいないから、と思われがちです。
でも、やっぱりいるんですよね。全国にいる。
やり直しのできる地域を
神村学園を見て、こうした子どもたちの受け皿、やろうと思ったときに受け止めてくれるところが必要だと痛感しました。
そのためには、たとえば「神村学園があるから行ってみないか」と背中を後押ししてくれる人が、親でなくても地域の中に必要だし、また、自治体をまたいで人が動くことを考えると、一自治体だけでなく、国全体で取り組むことも必要だと思います。
日本社会には、いったん外れると、個別の支援はするけれども、社会全体では包摂しないという面があって、そこがすごい問題だと感じています。
だんだん軌道を外れていってしまう。
大人でも、アメリカだと起業して失敗しても再起しやすいと言いますが、子どものころから外れてしまうと非常に戻ってきづらい。
どんな境遇・立場でつまずいたとしても、この土地はそれでも楽しいものがあるという、やり直しのできる地域をつくっていきたいですね。
そういう気持ちでやっているつもりです。
地方こそが21世紀の教育を担える主舞台
――包摂度の高い、インクルーシブな地域を目指されるとおっしゃるんですね。
いたずらに福祉予算を充実させるという話ではありません。財源はしっかり考えていきます。
むしろ、地方はまだソーシャル・キャピタル(社会資本)がしっかりしているので、その財産・資産の活用を考えています。
実のところ、武雄のような地域の方が、都会よりもより包摂度の高い地域をつくりやすいんじゃないか、と思っているんです。
私の友人が東京の都心に住んでいます。お金持ちです。
夏はホタルを見に行くとか、冬は雪遊びだとか、多様な体験を積ませるのに新潟まで行くなど、大変な投資をされています。
これから必要な教育はそういうものだと思ってやっておられるわけですが、地方にはふつうにそれがあります
そういう意味では、地方こそが21世紀の教育を担える主舞台だと思っています。
いま「社会を生き抜く力」とか「自立的に生きる力」といったことがしきりに言われています。
それには、自然環境や地域の人たちのつながりも含めて、地方のようなソーシャル・キャピタルが充実しているところが、実は有利なはずです。
地域の大人たちにもまれることがコミュニケーション能力を鍛え、失敗を乗り越え、チャンスを生かす力を育てていきます。
武雄市は、都会と比べて、人のつながりが濃いところです。
家族のような特定の関係が濃いだけでなく、地域のおじいちゃんおばあちゃん、学校の先生やバイク屋のおっちゃんなど、一つの関係がうまくいかなくなっても、別の関係を複層的につなぎなおしていくことができる可能性も高い。
それが、子どもにとっての安心感になる。
それだけでなく、高齢者の生きがいにもなる。
世代を問わず、みんなにとってそういう地域になることが理想です。
実験的な学校で学ぶ
――市長のそのような発想はどこから出てきたんですか。
小さい頃からではないですが、ひとり親家庭で暮らした経験があります。
私自身は大学まで行きましたが、弟は専門学校へ行って、いま車の整備士をやっています。
そういう中で、私自身は幸いにしてグレずにやってこられましたが、それは家族や周りのサポートがあったからです。
自分自身、親からすごく教育を受ける機会を与えてもらいました。
その経験からすると、教育は子どもたちの可能性を広げ、選択肢を増やし、未来につなげる大事なものだという意識があります。
小中学校は滋賀県の国立でしたが、実験的な試みの多い学校でした。
教室内でウサギの放し飼いをやったりしてましたね。なんのためにやってたかは知りませんが、理科の先生がそうしようと言って。
教室にフンがいっぱい落っこちていて、最後はどこかに逃げて行っちゃいましたけど(笑)。
校内の雑草の研究を一年間やったりもしました。午後の時間帯は毎週校内を回って、みんなで観察日記のようなものをつけた。オオイヌノフグリとか。
それを模造紙にまとめて発表したりしてました。先生がどこかでよい賞をとったとかで、あとから考えると、自分のためにもやってたんじゃないかと思ったりしてましたけど(笑)。
中学1年のときにはパソコンが入ってきて、PC9801VMとかでした。5インチフロッピーでね。よくそれで「遥かなるオーガスタ」というゴルフゲームをやって遊んでいましたが、一方で、生徒は一人ひとつはBasicでプログラムをつくるといった授業がありました。
琵琶湖でヨシやアシの研究をしてグループで発表したり。当時はOHPを使いましたね。
当時の自分にとってはそれがあたりまえでしたが、後でユニークな教育だったんだとわかりました。他はもっと画一的な教育だと。
そういう経験から、大人になってから教育はもっと幅広くていいんじゃないかと思うようになりました。
地域には教育に適したいろんなフィールドがある。自然と遊ぶだけじゃなく、地域の人や企業の方たちにももっと関わってもらっていい。
そこに「21世紀型教育」という話がきたんです。
それだよなあ、となりました。
それと、人とのつながりという点では、銭湯にお世話になりましたね。
原点は銭湯
――銭湯、ですか。
はい(笑)。
滋賀で暮らす前、母方の実家にある京都に住んでいたんですが、祖父母が銭湯をやっていましてね。
そこでいろんな人にかわいがってもらいました。
昔の銭湯は、地域のコミュニティセンターでしたからね。
年末年始もほとんど休みがなく、みんながそこで新年のあいさつをするような場所。
政治家が演説しに来るような場所でした。
私はそこの番台に座って、お手伝いしていました。
滋賀に引っ越した後もよく遊びに行っていましたね。
以前にあるインタビューでこの話をしたら、小松さんの原点はそこにあるんじゃないかと言われて、そうかもしれないと思ったくらいです。
競争ではなく底上げを
――市長の今の実践とご自身のご経験がしっかりつながるお話でした。最後に、改めて首長連合にかける思いを聞かせてください。
繰り返しになりますが、これは一自治体だけがよければいいという話ではなく、日本全体の自治体の底上げが必要だと思ってやっています。
全国の自治体の取組を1ミリでも上げたい。そういう思いです。
武雄市だけ目立てばいいんだったら、勝手にどんどんやりますが。
武雄市は今年子どもの貧困に関するアンケート調査を行いますが、これも武雄市だけでやるんじゃなくて、他の自治体ともシェアしていきたい。
他の首長のみなさんもそういう意識です。
地方創生は地方の競争と言われたりしますが、そこは競争ではないと思っています。
とはいえ、子どもの貧困に関するアンケート調査すら、武雄市が佐賀県初と言われてしまう状況なので、悠長なことも言っていられない。
丁寧かつスピーディに手を打っていきたいですね。