【体操】内村が白井に助言「健三は若い。安定よりいろいろ試せ」
中国の南寧で開催されている体操世界選手権の種目別男子ゆかで惜しくも連覇を逃したスーパー高校生・白井健三(神奈川・岸根高校3年)に、チャンピオン内村航平(コナミスポーツクラブ)が厳しくも温かいアドバイスを送った。
「健三は若い。安定よりもいろいろ試してほしい!」
熱い口調で
白井のことになると、普段は淡々と話すことの多い内村の口調が自然と熱くなってくるのが分かる。
ひねりが得意という共通項を持つ2人は「航平さんとは同じ感覚がある」と白井が言うように、天才同士だけが理解できる異次元の感覚を共有している。伝統ある体操ニッポンを守り、そして未来へとリードする立場の内村としては、だからこそ、この一目も二目も置く後輩に、さらなる成長を遂げてほしいという思いがある。
最終日の種目別鉄棒に備えた練習の合間を縫って、白井と加藤凌平(順大)の応援に駆けつけた内村は、白井が金メダルを逃したことに対して、まずは「(演技の出来映えを評価する)Eスコアが結構厳しかった。日本の採点なら今日の演技でも一番になれるくらいだと思う」と後輩の心中をおもんぱかった。
そのうえで原因を分析しながらこう言った。
「でも、実際に健三の演技は本当に文句をつけられないくらい良かった訳ではない。それに、健三は去年、金メダルを取っているし、去年の演技は凄く良かった。だからそれなりに厳しく見られてしまうところもあったのかなと思う」。すなわち、ディフェンディングチャンピオンの座を守ることは、初優勝よりも難しいということだ。
「2連覇目が難しかった」と気遣い
「2連覇目が難しかった」という記憶も呼び起こし、白井を気遣った。2009年に初優勝して迎えた翌2010年。内村は肩を痛めていたということもあって「まともに体操をできる状態ではなかった」とは言うが、それ以上に「優勝を意識してしまった」という思いが強烈に残っていた。
だから、言った。「健三の場合はそういうのはあまりないかもしれないけど、少しはあったんじゃないか」
「重圧はあまり感じなかったけれど、やっぱり力が入りすぎてミスになってしまったのではないかと思う」と白井が試合後に話していたと聞くと、「そういう感じですね」と頷き、「僕も2連覇目は意識した。でもその後の3回目、4回目と全然そんな意識はなかった」と振り返った。
内村の白井への言及はさらに続いた。演技構成が昨年と同じだったという話題になったときだ。チャンピオンは白井に、厳しくも温かいアドバイスを口にした。白井の飛び抜けた能力を熟知し、心から認めているがゆえの助言だった。
「毎回構成を変えてやってほしいという気持ちがある」
「健三は若いので、安定した構成でずっとやるより、毎回構成を変えてやってほしいという気持ちはありますね。今はいろいろできるとき。若いうちにいろいろ試してやってみて、一番良いものを自分で見つけて(演技構成に)組み込む。そしてオリンピックには絶対に失敗しない構成で臨んで、確実に金を取りに行く」
思い返せば、2008年北京五輪後から2012年ロンドン五輪までの内村の4年間の歩みは、まさにその流れだった。北京が終わるとすぐに内村はロンドン五輪で金メダルを取るための4年間のプランを組み立て、1年前まではいろいろなことを試してからロンドンでの演技構成を決め、最後の1年間はその構成を変えずに完成度を高めてロンドンに臨み、金メダルを取る、という計画で突き進んでいったのだ。
その当時に取り組んでいた技には、跳馬で現在シライの名がついている「伸身ユルチェンコ3回ひねり」や、「ドラグレスク(前転跳び2回宙返り半ひねり)」、鉄棒の連続技である「アドラーからのリューキン」や、鉄棒のF難度の下り技である「フェドルチェンコ(後方伸身2回宙返り3回ひねり下り)」などがあった。ロンドン五輪では使わなかったが、このようにたくさんの技に挑戦した中から難度や負荷のバランスを考え、最適な技を選んでいったのだ。
昨年の世界選手権。白井がゆかのスペシャリストとして代表入りし、金メダルを取ったときにも、内村は白井にさらなる飛躍を期待し、こう説いていた。
「僕は体操は6種目できて当然だと思っている。世界の流れ的にはスペシャリストが増えているので、そういう戦い方もあると思うが、やはり日本で体操をやっているからには6種目できてほしいと思う」。得意なことだけでは到達できない、「オールラウンダーの道」を示したのだった。そして白井は今年、個人総合でも国内上位につける力を蓄えるに至った。
内村は、今回のゆかでの“敗戦”が白井に与える影響は大きいだろうと言う。「ここで一回勝てなかったことは、さらに上にいくチャンスになる」。その口調には温かさが宿っている。