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【深読み「鎌倉殿の13人」】小汚くて情けない工藤祐経とは、いかなる人物だったのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
静岡県伊東市は、伊東氏、工藤氏の活躍の場でもあった。(写真:アフロ)

 1月9日、待望の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」がようやくはじまった。主役の北条義時はさておき、坪倉由幸さんが演じる工藤祐経が非常に気になった。この人物を取り上げることにしよう。

 以下、「祐」の字を用いる人物が何人か出てくるので、系図もあわせて参照いただきたい。

【工藤・伊東家略系図】

 祐隆―――祐家―祐親(伊東家)

    |

     ―祐継―祐経(工藤家)

■工藤祐経とは

 坪倉由幸さんが演じる工藤祐経は、小汚くて情けない感じがしたが、いったいどういう人物だったのだろうか。

 工藤祐経は祐継の子として誕生したが、生年は不詳である。父の祐継は、祐経が幼い頃に亡くなった。その際、後見人として手を差し伸べたのが、伊東祐親である。

 祐経が元服を迎えると、当時の例にならって妻を迎えた。その妻こそが祐親の娘で、祐経と祐親は婚姻を通じして、強固な関係を結ぶことになった。

 その後、祐経は祐親とともに上京し、当時、日の出の勢いだった平氏一門の平重盛(清盛の子)に仕えることになった。これは幸運のはじまりというよりも、悲劇のはじまりだった。

■祐親の悪だくみ

 祐経が重盛に仕えている頃、祐親は祐経の領有する伊東荘(静岡県伊東市)を奪い取った。それだけではない。

 祐経に嫁がせていた娘をむりやり離縁させ、土肥遠平に嫁がせたのである。祐親が娘を離縁させたということは、祐経との関係を断つことを意味していた。

 祐親の裏切り行為は、祐経にとって青天の霹靂の出来事だった。祐親は娘を嫁がせた祐経に対して、なぜこのような非道を行ったのだろうか。

 祐親の祖父は、工藤祐隆だった。祐隆は子の祐家が夭折したので、祐継(祐経の父)を養子に迎えた。

 祐隆は祐継に対して、本領の伊東荘・宇佐美荘(静岡県伊東市)を与えた。祐継の死後、祐経が両荘を継承したのである。

 一方で、祐家の子だった祐親には、河津荘(静岡県伊東市)を与えるに過ぎなかった。

 つまり、祐隆はもともと保持していた伊東荘・宇佐美荘・河津荘を分割して祐継と祐親に与えたのだが、これに対して祐親が不満を抱いたのである。

■祐経の逆襲

 むろん、妻も所領も奪われた祐経が黙っていたわけではない。安元2年(1176)10月、祐経は祐親に反撃することになったのだ。

 祐経は、自身の郎党に祐親の殺害を命令した。ちょうど祐親と子の祐泰は伊豆奥野(静岡県伊東市)に狩りに出掛けていたので、襲撃させたのである。

 その結果、祐親は助かったものの、子の祐泰は無念にも落命した。祐泰には、妻と一萬丸、箱王という二人の兄弟がいた。

 2人の兄弟は元服して、曽我祐成、曽我時致と名乗った。曽我兄弟は、建久4年(1193)に祐経を討ち、父の仇を取ったのである。

 なお、祐経は今後も出てくるだろうから、今日はここで止めておきたい。

■むすび

 祐経がドラマで落ちぶれていたのには、ここに取り上げたような背景があった。しかし、小汚くて情けない祐経は、そのうち逆襲するので、楽しみにしておきたい。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書など多数。

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