授業や活動を通じて、若者を変え、同志を増やし、大阪を元気にしていきたい!
「リ☆パブリカンNeo Who’s Who…何故彼らは社会を変えたいのか? 2025年のリーダー像を探る…」 その2
(本インタビューは、WEBRONZAで掲載してきた「リ☆パブリカン」の新バージョンである「リ☆パブリカンNeo」として行ったものです。)
石川武志 大阪デザイナー専門学校イラストレーション学科長・イラストレータ
聞き手:鈴木崇弘(城西国際大学大学院国際アドミニストレーション研究科客員教授)
大阪をはじめとする関西地区の衰退や元気のなさが叫ばれて久しい。鈴木も大阪地区に住んでいたこともあるので、その空気感は理解できる。だが、最近も果たしてそうなのか、もしそうであるならばなぜなのか、改めてその理由を知りたいと考えた。
そこで、関西地区でイラストレータや専門学校の講師として活躍されている、石川武志さんのお話を伺った。石川さんは、大阪の未来に対して、若者の将来に対しての危機感が強く、地域と学生を繋ぐプロジェクトを数多く実施している。大阪や若者を元気づける秘策とは果たして何なのであろうか
―石川さんは、大阪の未来に対して、若者の将来に対しての危機感が強いと伺いました。なぜ、そのような危機感をお持ちなのですか。
石川武志さん 私は今38歳なのですが、バブル経済がはじけた後も、仕事的には、良い方々や会社と出会うことができました。ただ、当時同世代から上の方々とは出会うことはあまりなかった。つまり、会社などに定着している40歳前後の人が当時少なかったということです。これでは、今後10年ぐらいたった時に、自分が仕事をしていく上で大変なことになるのではないかと思ったわけです。当時、私自身も、仕事や実力で悩んでもいましたので。
そこで、人との出会いが、自分の仕事に役立ちプラスになりという仮説を立てて、いろいろなところに行ってみたわけです。その中で、面白い方々とも出会え、仕事にもいろいろなやり方があることに気付いたわけです。それで、自分なりの仕事をしたり、自分なりのやり方をつくることができれば面白いと思ったわけです。
それらのことを前提に、質問に答えていきたいと思います。
まず、若者についてです。彼らに対する危機感の具体的なことは、彼らがすぐにハウツー知りたがる、欲しがることです。ことろが、現実には、一つのハウツーだけで物事に対応できることはないわけです。
デザイン一つとっても、一つの道ややり方しかないと考えがちですし、現実に若い世代からそのように聞かれるのですが、現実には自由で、ルールなどないわけです。
また昔はどんなことに対しても、何とかなると考えられる状況や環境だった。その状況は本来あまり変わっていないはずなのに、今の若者はシリアスに物事を考えがちになってしまっているのです。
それは、一つは私を含めた大人にも責任があると考えています。たとえば、私の場合、教鞭をとっているわけですが、私は授業を楽しまなければ、学生も楽しくないわけです。また学校は一方的に教えるところではなく、学生と一緒にやっていく場だと考えています。その点からも、授業などでも、同じことを繰り返さないことが大切だと思います。学生が、授業でできるだけ多くを吸収できるにするためにも、モチベーションを向上させたり、それを一定程度上げていくことが必要です。そのために、授業では、「受け」が取れる冗談をいったりする工夫もしています。
―若者に対してはわかりました。大阪の将来に対してはどのように考えていらっしゃるのですか。
石川さん 大阪では、クリエイティブな場に来る人とは固定化されていて、なかなか新しい人材にお会いすることがありません。仲間意識が強いのではないかと思います。また大阪では、いろいろのところに行ってみると、元気がないように感じますし、もっと気軽にやった方がいいはずなのに、それも難しい面があります。会社なども、本社(機能)は東京に移ってしまいますし、新しいものが生まれている感じでもないわけです。
さらに、景気が少し良くなりと、物事を考えずに、東京などと比較するようなことばかり考えている。景気は自ら動かせないので、景気動向にそって対応しているだけなのです。本来は、景気の良し悪しに関わらず、自分の立場がきちんとしていれば問題はないはずなのに、そうなっていないわけです。
その結果、次世代の人材の育成を怠ってしまっていて、企業などは今が苦しい状況になってしまっているように感じます。
―石川さんの危機意識をひしひしと感じます。では、その意識を踏まえた上で、石川さんは、大阪や若者を変えていくためにどのようなことを仕掛けていらっしゃるのでしょうか。
石川さん そうですね。まず高槻のアートイベント(高槻アート博覧会)に、ボランティアとして関わってみて、自分の価値が見えてきたと感じました。そこでいくつかの活動を始めました。
たとえば、2010年から710TVというのをやっています。これは、SNSで納豆をつくるプロセスを発信するという試みです。私自身がモノが作成されるプロセスを知っているかどうかで、教え方が変わるので、何かをテーマにして出来るプロセスをみてみたかったわけです。また、私自身自分のクリエイティビティを発揮することをやってみたのです。
そこで、納豆をテーマにしてみたわけです。ただ、このような試みをすると、継続していくことが難しかったりするので、辞めない理由づけも必要と考えて、そのロゴを、自分が尊敬する方の作成していただいて、継続しないわけにはいけないようにしておいたわけです。
TWITTERで知りあった企業の納豆会社の社長の協力を得て、プロジェクト本始動から2か月ぐらいで、今の7つの豆のカラフル納豆の原型ができたのです。
そして、このプロジュクトをしていた時に、3・11の東日本大震災が起きたのです。そこで、復興をテーマにしたバルである「福島ネバル」など納豆を使った復興イベントをしたりして、売れた納豆の収益を復興義捐金にするようなこともしてきています。その過程では、NATTOHOMEというソングと体操も考案。
これらの活動で培った成果を学校の授業などでも活かしています。また、活動によっては、学生にも手伝ってもらったりもしています。
―なるほど、現場と教えることをつなげて活動をされているわけですね。他にされていることはおありですか。
石川さん アジアのクリエータのネットワークである「Asian Creative Network(ACN)」というものをやっています。これは、コンテンツ産業のAsiaと日本のネットワークメンバーが協力し合いながらアートのイベントなどをしているものです。10月にアートフェアなども開催予定です。これは、元々は、自分の興味から始まった活動ですが、今後海外からの留学生も増えてくることを考えると、所属校にもフィードバックできるのではないかとも考えています。
またコンテンツ関連企業、教育機関、経済団体、行政機関が参画するプラットフォームである大阪デジタルコンテンツビジネス創出協議会(ODCC)では、人材育成部会長として、合同企業面接会の開催、インターンシップの実施、産学連携などもしています。そのうち、産学連携の発展として、大阪商工会議所からの資金提供で、平成26年7月から「天王寺動物園活性化プラン」を行っています。これは、学生が企画考案したことから実際のアウトプットを出すことを目的に行っているものです。
このプロジェクトでは、同動物園が望んでいる「動物園は、遊園地のような遊び場ではなく、動物について学び知る場所にしたい」という思い、学生の考えることとが異なっていた。そのような相違の中で、どのように企画を実現するかを、学生も学ぶことができたわけです。学生からは、「プロジェクトをして疲れた。前向きの関わると、考慮してもらえたり、実現していけることがわかった」という反応があり、成長の手ごたえを感じました。なお、このプロジェクトは、来年も実施することが決まっています。
このように様々な活動や動きをしているわけです。そしていろいろの場面で、さまざまな方々が協力もしてくれるようになってきています。
そのような状況を踏まて、クリエータ、学生と私がタッグを組んで、授業が事業化、事業を授業化ができないかとも思っています。何かをやりたい人は増えてきているので、それを実際に事業にしていくことが大切であると考えているわけです。
―ぜひ、その方向性が実現してくるといいですね。話題を少し変えさせてください。先ほども少しご説明いただいたわけですが、若い世代に対して、どのようにお考えですか。
石川さん そうですね。若い世代、特に大学や専門学校を卒業した方々が、働くことがどんなことかがわかっていないのではないかと感じています。彼らに働き方のガイダンスができていないので、「ジョブアクセス」という授業でそれを教えています。特にアート系の場合、会社員として就職以外に、自営としてフリーランスになることも多いのですが、その両者の違いや両者の関係、後者の場合に必要なこと、自分のやりたいことをやれるのは「社長(自営、フリーランス)」になることであることなども教えています。
―ありがとうございます。では最後に、石川さんの今後のビジョンを教えてください。
石川さん 私は特に明確なビジョンを持とうとは考えておりません。それは、行動こそが未来をつくると思っているからです。まずは、自分でやれることを続けていくつもりです。それが広まって、多くの方々がこんなやり方もあるんだと思ってもらいたい。そして、同じような志をもった方々が増え、企業や会社も盛り上がっていくだろうと考えています。
―貴重なお話ありがとうございました。
鈴木コメント
石川武志さんは、専門学校で教鞭ととりながら、イラストレータとして(大トル)活躍されている。しかしながら、部屋閉じこもり分野を極めるだけにとどまらず、多くのプロジュクトや行動を起こし、さまざまな組織や学生を含めた人々を活かし、結び付け、そして成果を出し、その成果をまた学校や学生にフィードバックしていて、正にPDCAサイクルを実践の活動の中に組み込んでいる。理論と実践の間にまるで境がないように優柔無碍、自由自在に行ったり来たりしながら、活動をされている。
しかも多くの組織やグループに関わりながらも、石川さん本人指摘しているように個人としての自分でできることを活かしながら活動をメインにしている。これは、石川さんが、アーティスティクな活動に関わっているからであろうが、自立的に活動しながら社会に関わっていくという新しいリーダー像の一つなのかもしれない。
石川 武志(いしかわ たけし)
学校法人大阪デザイナー専門学校イラストレーション学科学科長、イラストレータ。1977年大阪府生まれ。1998年に大阪デザイナー専門学校を卒業後、様々なコンペ等に入選・入賞し、毎年グループ展・個展を開催。教職の傍ら、イラストレーターとして活動し、様々なイベント等にも関わる。 現職の他、学外の企業などからある依頼(産学協同)にも積極的に行い、商品化までの企業へのアドバイスから学生への 指導などを行う。 最近では、地元高槻でのイベントに協力し、アドバイザーとして地域とアートを結ぶ活動もしている。