「対局場が大阪だと思ったら東京だった」「起きたら昼前だった」将棋界、遅刻不戦敗事件簿
11月5日、C級1組順位戦がおこなわれました。上位では藤井聡太七段(17)、佐々木勇気七段(25)、石井健太郎五段(27)が6連勝で星を伸ばしました。
【前記事】
藤井聡太七段(17)C級1組順位戦で6連勝 競争相手の青嶋未来五段(24)を降す
さて、この日は東京で日浦市郎八段(53)-宮本広志五段(33)戦が予定されていました。
将棋連盟では、全ての棋士はどこに住んでいても、関東か関西、どちらかに所属しています。日浦八段は関東、宮本五段は関西の所属です。所属が分かれている場合、どちらかが移動することになります。日浦-宮本戦は、宮本五段が移動して、東京・将棋会館で対局する予定でした。それは将棋連盟の公式ページにも事前に発表されていました。
しかし宮本五段は、対局場は大阪の関西将棋会館だと勘違いをしていたようです。現在の規定では、順位戦は対局開始から1時間以上遅刻した場合には、不戦敗となってしまいます。大阪から東京には、1時間では移動できません。
この結果、日浦八段は不戦勝で4勝2敗。宮本五段は2勝4敗となりました。もちろん、誰よりも痛い思いをしているのは宮本五段自身でしょう。
対局場を勘違いするケース
東京か、大阪か。対局者が対局場を間違えてしまうというアクシデントは、しばしば起こります。
まず原則として、関東と関西の棋士が対戦する場合、移動するのは席次(序列)が下の棋士です。
【過去記事】
羽生善治九段は6位 藤井聡太七段は93位 将棋界の席次はどのようにして決まるか
ただし、例外もあります。順位戦の場合は公平を期すという趣旨で、席次の上下は関係なく、対局者の遠征数が同じになるように設定されます。そのため、席次上位の棋士が移動する場合もあります。
1983年度の昇降級リーグ1組(現在のB級1組順位戦)10回戦、大内延介八段(42)-小林健二七段(26)戦(段位、年齢は当時)。大内八段は関東、小林七段は関西の所属です。この時は大阪で対局が予定されていました。しかし大内八段は東京と勘違い。不戦敗となってしまいました。
この一局の結果は大きく響きました。大内八段は最終的に3勝9敗という成績で降級。一方の小林七段は5勝7敗。もし星が逆であれば、両者はともに4勝8敗で、順位下位だった小林七段が降級していたことになります。
一方、事務局のミスで、対局通知の記載が間違っていたというレアケースもあります。
2008年10月7日に予定されていたC級2組6回戦・佐藤紳哉六段-矢倉規広六段戦(段位は当時)。
事務局から矢倉六段に送られていた対局通知には、対局場は「東京」と記してありました。それに従って矢倉六段は東京に移動。しかし実は事務方のミスで「大阪」が正しい対局場でした。
当然ながら矢倉六段に責められるべき点はなく、むしろ迷惑を被っています。この場合は不戦敗にはなりません。そして改めて翌日、大阪で対局がおこなわれています。
大阪在住の大野源一九段(1911-79)は律儀な人で、対局通知の返信を必ず出していた。それがあるとき、東京で対局が予定されていたにもかかわらず、朝、姿を見せなかった。事務局で調べてみたら、いつも来ているはずの返信がなかった。そこで郵便事故かもしれないということで、不戦敗にはならなかったそうです。
開始時間を勘違いするケース
将棋の公式戦はほとんどの場合、朝10時に始まります。しかしそうでない対局もあり、そこで開始時間を勘違いしていたというケースもあります。
2016年10月30日。第2期叡王戦準々決勝・久保利明九段-豊島将之七段戦(段位は当時)は東京で14時から対局開始の予定でした。
ところが久保九段は19時からの開始と勘違いしていました。叡王戦の持ち時間は各1時間。そして対局開始から1時間が過ぎた15時の時点で、久保九段の不戦敗が決まっています。その顛末については当時、対局していない対局の観戦記として話題になった、君島俊介記者の記事をご覧ください。
対局は意外な結末 久保九段―豊島七段:第2期 叡王戦本戦観戦記
この一局に関しては、後日エキシビションマッチがおこなわれています。
寝過ごすケース
重要な予定を前にして、なかなか寝つけず、起きてみたらもう間に合わない時間だった。少なからぬ人が、そんな血が凍るような思いをした経験はあるのではないでしょうか。
将棋界の公式戦では遅刻をした場合、持ち時間を減らすペナルティが科されます。公共交通機関の遅れであれば、遅延証明書を提出すれば、遅刻をしたそのままの時間が引かれます。それ以外であれば原則的に、遅刻をした時間の3倍が持ち時間から引かれます。
2008年度C級2組最終10回戦の中村亮介五段-遠山雄亮四段戦(段位は当時)。対局開始時刻は10時ですが、中村五段はなかなか姿を見せません。前年の順位戦でも不戦敗をしてしまったことがありました。関係者がやきもきする中、いよいよ不戦敗確定かというところで、中村五段は姿を見せます。遅刻が2時間ならばアウトのところ、1時間57分という「ギリギリセーフ」のタイミングでした。
対局が始まったのは11時59分。中村五段は5時間51分のペナルティを科され、残り時間は9分しかありません。
それしか時間が残されていないのならもちろん、客観的な条件としては圧倒的に不利なはずです。しかし人間同士の対局では、そう簡単には割り切れません。
中村五段はほとんど時間を使わずに指し進めます。そして鋭く攻めかかり、押し切ってしまいました。終了時刻は17時33分。消費時間は、遠山四段は3時間49分。中村五段は5時間51分のペナルティを科された上で、5時間57分。実質的には6分しか使わず、勝ちとなりました。
相手の遅刻を待たされる側は、どうしても心穏やかではいられません。そして不利になり、負けてしまうということも、過去には何度かありました。
2013年に規約が改訂され、現在ではたとえ順位戦のように長い持ち時間であっても、1時間以上の遅刻があった場合には不戦敗となります。
実力的にはトップクラスで、対局姿勢も普段から立派という棋士であっても、時には寝過ごしてしまうこともあります。
一番有名な事例は、2010年1月21日、竜王戦ランキング戦1組で対局予定だった森内俊之九段-郷田真隆九段戦でしょうか。
森内九段と郷田九段は、名人戦七番勝負で頂点を争ったこともあるトップクラス同士です。そうした場合には新聞の観戦記掲載が予定されるなど、影響は大きくなります。郷田九段はそうした点も考慮されて、比較的厳しいペナルティが科されたようです。
2001年A級順位戦6回戦、森内俊之八段-先崎学八段戦(段位は当時)。森内八段は夜に眠れなかったことがあったそうです。
もしも森内八段が先崎戦で不戦敗になっていたら、当然大きなニュースになっていたでしょうし、その後の将棋界の歴史も少し変わっていたのかもしれません。森内八段は先崎八段戦に勝ち、最終的には8勝1敗で名人挑戦権を獲得。2002年の名人戦で丸山忠久名人に挑戦し、4連勝で名人位に就きました。
1977年の昇降級リーグ4組(C級2組順位戦)。昇級を目指していた新鋭の前田祐司四段(現九段)は目覚まし時計が鳴らないというアクシデントで起きられず不戦敗を喫しています。
当時、将棋連盟の会長を務めていた大山康晴15世名人の言葉は、前田四段にとって貴重な教訓となりました。そしてその後に巻き返し、8勝2敗で昇級を果たしています。
どれだけ注意をしていても、失敗は起こります。将棋界のルールは遅刻に対してとてつもなく甘い、対局は棋士の命、不戦敗は論外とブログに書いた若手棋士がその後、自分自身が不戦敗をしてしまった、ということもありました。
人間は誰でも失敗をする。将棋に限らず、これが人間社会の前提です。そして重要なのは失敗をした後であると、古今の将棋の達人たちは、異口同音に語っています。