シリア・日本人記者殺害事件から6年 戦場取材 地元記者の苦悩(写真11枚)
◆危険地取材の現場で
オレンジ色の「囚人服」を着せられた人質に、黒覆面の男がナイフを突きつけ、「安倍よ、日本の悪夢が始まったのだ」と脅迫する。あの戦慄(せんりつ)の映像は、私の頭から離れない。
ジャーナリストの後藤健二さんが、過激派組織「イスラム国」(IS)によってシリアで殺害されたのは、ちょうど6年前。このときあらためて危険地帯取材のあり方が問われることとなった。シリアやイラクで取材を重ねてきた私も、以前にも増して慎重に現場に立つようになった。当時、「そんなところへ行かなくても地元の人が撮影した映像でいいのでは」という声も出た。だが、地元の記者は外国人以上に犠牲となっている現実がある。(玉本英子・アジアプレス)
<シリア>拘束され行方不明の地元記者ら 数知れず(写真4枚)
◆記者たちが武装組織の標的に
イラクでメディア関係者が戦闘に巻き込まれたり、拉致されたりする事件が頻発するようになった2005年。国際ジャーナリスト連盟(IFJ・本部ブリュッセル)は、イラク人記者の安全確保のために危険地帯取材講習会を開催した。私も一緒に参加させてもらい、2日間にわたる訓練を受けた。
講師は、イギリスの対テロ危機管理専門の警備会社から派遣された元英軍特殊部隊員。銃撃戦が起きた際の対処や負傷時の応急処置などを学んだ。
「私たち、イラク人のメディアスタッフが武装組織に狙われる。護身用に武器を携帯してもいいか」
アメリカの大手テレビのバグダッド支局で働くイラク人カメラマン、アラア・ウルデン・アジズさん(当時31歳)は、講師に質問した。
講師はこう答えた。「記者倫理として武器所持は認められないが、難しい判断だ。警護をつけるか、通勤経路を毎日変えてみては」。
アラア・ウルデンさんは、講師のアドバイスに納得がいかないようだった。彼は私に手のひらを見せてくれた。濃紫色の大きな傷痕。「警告だ」として、アルカイダ系武装組織にナイフでえぐられたという。
なぜ仕事を続けるのか、と私は聞いた。
彼は言った。
「イラクの実情を伝えたいとの思いがある。危険すぎるので辞めたいと思うこともあるが、家族を養わなければならないから」
その2年後、アラア・ウルデンさんは職場からの帰宅途中、同僚とともに武装組織に殺害された。
◆内戦伝えるシリア人記者たち
内戦下のシリアでも地元記者の犠牲があいついでいる。この10年間で、シリアで命を落とした記者は、外国人を含め139人にのぼる。
シリア北西部イドリブを拠点にするカメラマンのオマル・ナジダッド・ハジ・カドルさん(33歳)は、外国通信社などにも写真や映像を配信する。何人もの記者仲間が取材中に死傷した。それでも彼は現場に向かい続ける。
◆「戦争の実態、伝えねば」
2017年、イドリブ近郊のハーン・シェイフンで化学兵器が使われ100人以上が死傷した際には、いちはやく現地に入り、政府軍機が爆弾を投下したとの市民の目撃証言を伝えた。病院では、被害住民が目の前で次々と亡くなる惨状を記録した。
2018年、彼は仏ヴァレンヌ賞を受賞、式典のためにパリへ行ったが、その後シリアへ戻ってきた。「テロ組織掃討の名のもとに、アサド政権が自国民を殺している実態を誰かが伝えねばならない」と話す。
<シリア>米ミサイル攻撃の根拠となった化学兵器被害の町 現場で何が(図・写真4枚)
我々が目にする戦場からの映像や写真の多くは、こうした地元記者が撮影したものだ。失われたたくさんの命、そして危険と隣り合わせで今も現場で取材を続けるかれらに思いを寄せたい。
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(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2021年2 月2日付記事に加筆したものです)