<シリア・イドリブ>安田さんだけではない あいつぐ拉致 (1)拘束された地元記者に聞く(写真4枚)
◆拘束され行方不明の地元記者ら 数知れず
ジャーナリストの安田純平さんがシリアで拘束されてから3年が過ぎた。シリア北西部イドリブ県内の武装組織に捕らわれているとみられる。一方、外国人よりもはるかに多い数のシリア人が拉致、殺害されている現状がある。
2013年にイドリブ市内で過激派組織イスラム国(IS=当時は「シリア・イラクのイスラム国」)に拘束されたシリア人ジャーナリストで雑誌編集長のモハメッド・スルーム氏(37)。彼はのちに脱出できたが、編集に携わっていた弟は、別の武装組織、シャム解放機構(旧ヌスラ戦線)にいまも拘束されたままだ。現在、トルコ南部に避難するモハメッド・スルーム氏に電話で聞いた。(玉本英子・アジアプレス)
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◆風刺画でISに拘束された
◇なぜ捕まったのですか?
モハメッド・スルーム氏:
イドリブの社会情報誌「アル・グルバール」の編集長でした。2013年12月の夜、作業場に一人でいました。そこに突然、黒い覆面をかぶった武装した男たちが押し入りました。頭に布をかぶせられ、車でどこかの建物に連れて行かれました。
男にカラシニコフ銃を頭に突き付けられました。ISに捕まったのです。
「お前は背教徒。アッラーの敵だ。殺す」と言われました。その月の号に載った風刺画に問題があると言われました。戦闘員には地元シリア人もいましたが、チュニジアあたりのなまりのある男もいて、外国人もいるとわかりました。
刑務所のような場所へ入れられました。そこには私以外に15人いました。すべて市民で、イドリブ以外の町から連れて来られた者もいました。
それから数日後、自由シリア軍とISとの衝突があり、ISが逃げた建物から私は脱出できました。拘束した人間を次々と処刑するISでしたから、私が生きていたのは奇跡としか言いようがありません。
3人の子どもを守るためにトルコへ逃れました。しかし仕事も得られず貯金も底をつき、再びイドリブへ戻ります。そして今度はシャム解放機構(旧ヌスラ戦線)から脅迫を受けるようになりました。そのため2017年、再び国境を越えてトルコへ逃れました。
◇ほかにはどういう拉致があるのですか?
モハメッド・スルーム氏:
私はISに捕まりましたが、これはシリアで起きている拉致や拘束事件のなかでは、数少ないケースです。同じ頃に行方不明になったジャーナリストの仲間や知識人のほとんどがシリア当局に捕まっています。しかし当局側が家族に連絡を取ることはしません。同じ刑務所にいて解放された者が家族に伝え、やっと消息が分かるのです。
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人づてに「彼は刑務所で拷問を受けて死んだ」などと、よく耳にしました。しかし遺体が家族に引き渡されることは聞いたことがないので、生死も分からず、実態が明らかになりにくいのです。
数えきれない数のシリア人が、拉致、誘拐の標的となっています。理由は様々で、政治目的や自分たちの組織の敵とみなす者を狙ったり、単純に身代金目的の場合もあります。私たちシリア人は、いつどこで突然、連れていかれるかわからない恐怖と隣り合わせなのです。そして拉致されても、誰も助けてはくれません。
(つづく)