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長友佑都の『自分の決断を信じ切る力』

二宮寿朗スポーツライター
インテル6シーズン目、チーム最古参である長友はチームメイトからの信頼も厚い(写真:Maurizio Borsari/アフロ)

普通なら、考えられないこと。

一時はチームの構想から外れて「放出要員」とされていたのに、結局は2019年6月30日まで3年の契約延長を勝ち取ってしまう。それもマンチェスター・ユナイテッドからの誘いを蹴ってまで、変わらぬインテル愛を叫ぶとは。

彼とは、長友佑都。

2015~2016シーズン前、契約期間が1年を切ってもクラブが契約延長を打診したという話は聞こえてこなかった。サイドバックを補強され、ロベルト・マンチーニに親善試合では人数合わせのようにトップ下で起用されたこともある。ガラタサライ、レスター、サンプドリア、ジェノアなどと連日のように移籍先も報じられた。

契約を延長するつもりはないと疑ってもおかしくはない。それでも彼は夏の移籍期間が過ぎてもインテルのユニホームを着つづけるのである。

開幕2戦目で途中出場して以降はリーグ戦6試合連続で出番なし。彼はあくまでインテルのなかで立場を変えていくことに望みを持とうとするものの、居場所を見つけるには難しい状況であった。長友の愛は届かなかったか、に見えた。

ところがどうだ。

腐ることなくチャンスを待ち続けてホームのローマ戦(10月31日)で今季2度目となる先発のチャンスを得る。この試合で1-0勝利に貢献すると、続くアウェーのトリノ戦(11月8日)では自身のFKから味方のゴールが生まれ、後半にはキャプテンマークを巻いて奮闘した。ボール奪取能力とアグレッシブな攻撃参加。あらためてこのチームにとって重要な存在なのだと強く知らしめるとともに、マンチーニの心をつかんでいく。

すると、12月には現地で契約延長が報じられる。彼の能力と、両サイドをこなせるユーティリティー性などが再評価されたことはあるにせよ、6シーズン目に入って現メンバーで最も長い在籍期間を誇る彼の熱意と愛が、クラブの方針を転換させたのだと言える。

念ずれば、通ず。

長友という男は、一度心に決めたら頑として動かさない。

あのときもそうだった。

ブラジルW杯を1年前に控えた2013年春。

彼は左ひざを痛めて1カ月半ぶりに復帰したカリアリ戦で、再度同じ箇所を痛めてしまう。MRI検査の結果は、左ひざ半月板外側損傷。クラブ側は「保存療法」で再発したことを踏まえて手術不可避という判断を持っていたようだが、長友はあくまで手術回避を望んでいる。現地紙も「長友の希望が受け入れられるのは難しい」と見解を示していた。つまり、長友にはもはや手術しか残された道はないというのが、大方の見方だったように思う。

しかし彼は自分の考えこそがベストだと判断した。そして最終的にはクラブ側に認めさせたばかりでなく、主張の正当性を証明するように1カ月で復帰を果たすわけである。もし一歩間違えれば、復帰が大幅に遅れてしまう可能性だって否定できなかった。わずか1カ月での戦列復帰は奇跡、いや、執念というほかなかった。

シーズン後、コンフェデレーションズカップに出場する日本代表に合流するために帰国した長友に、「保存療法」に至った決断について尋ねた。

彼は言った。

「自分のひざの状態は自分が一番よく分かっている。いろんな方に相談させてもらって、オペしなくてもいけるだろうという確信がありました。いろいろとアドバイスをもらったうえで、最終的に決めるのはあくまで自分。だってそうじゃなかったら、うまくいかなかったときにその人のせいにしてしまうかもしれないじゃないですか。でも、自分が決めた道なら、失敗しても自分のせい。僕はこれまでもそういう決断をしてきたつもりだから。

ただ、僕以上に周りの方たちのおかげで、今のような(回復した)状態に持っていくことができた。その人たちの思いが大きかった」

自分の決断を受け入れてくれたインテル、そしてケガの回復に携わってくれた周りの人々に感謝していたのがとても印象的だった。

彼は、ケガにも「感謝」している。

「もしケガしていなかったら、確実に見えてなかったなという部分が見えてきたというのはありましたから。外から試合を見ることで、自分のプレーって無駄が多かったんだなって感じました。止まっていればもっと楽にボールを受けられるのに、自分はそういうところで体が動くので走っていた。相手との駆け引きにおいて、間合いをもっと大事にしていかなきゃと学ぶことができた。そういった部分を、練習でやってみて『こんなに楽にボールを受けられるのか』と感じて、手に入れることができているんです。それにケガによって、別に苦労とは思わないけど、はがゆい思いとかいろいろとあったので、心の部分でも大きくなったのかなと」

ケガがあったから、見えてきたもの。

訪れる試練を、ネガティブな感情で彼は捉えない。今回もそうだろう。一時は「放出要員」の立場になったことで、見えていなかったものを見ようとしてきたはず。

周りの声を聞き、外から内から自分がどうありたいかを謙虚に見つめていく。そして一度決断したらとことん突き進み、受け入れくれた周囲に感謝する。左ひざのケガのときと同様に、今回も己というものを貫き通した。

己の道は、己で決める。

いかなる状況に置かれても自分の決断を、自分の力を信じ切れるからこそ、その対価を得ることができる。それが長友佑都という男の、何よりの魅力なのかもしれない。

スポーツライター

1972年、愛媛県出身。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、2006年に退社。文藝春秋社「Sports Graphic Number」編集部を経て独立。著書に「岡田武史というリーダー」(ベスト新書)「闘争人~松田直樹物語」「松田直樹を忘れない」(ともに三栄書房)「サッカー日本代表勝つ準備」(共著、実業之日本社)「中村俊輔サッカー覚書」(共著、文藝春秋)「鉄人の思考法」(集英社)「ベイスターズ再建録」(双葉社)がある。近著に「我がマリノスに優るあらめや 横浜F・マリノス30年の物語」。スポーツメディア「SPOAL」(スポール)編集長。

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