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【深掘り「どうする家康」】有村架純さん演じる徳川家康の妻・築山殿は、美女だったのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
築山殿を演じる有村架純さん。(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

 1月8日からNHK大河ドラマ「どうする家康」がはじまった。今回は徳川家康の妻・築山殿がどんな女性だったのか、詳しく解説することにしたい。

 今回の大河ドラマで築山殿を演じるのは、有村架純さんである。2017年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」では、菜々緒さんが演じていた。いずれも甲乙つけがたい美女である。

 築山殿は、今川義元の重臣・関口氏純の娘として誕生した(井伊直平の娘という説もある)。生まれたのは駿河国瀬名郷(静岡市葵区)であるといわれている。生年は残念ながら不詳であり、有村架純さんや菜々緒さんのような美女だったのかもわからない。

 父の氏純に関しては、親永、氏広、氏興などと呼ばれてきたが、今では氏純が有力視されている。関口氏は今川氏の重臣としてだけでなく、室町幕府の奉公衆も務めていた。関口氏の妻が義元の妹であったことから、今川氏と姻戚関係を結んだ有力な家臣といえよう。

 弘治3年(1557)、当時、今川氏の人質として駿河に滞在していた家康は、築山殿と結婚することになった。ドラマでは、今川義元が子の氏真と家康に武芸の試合をさせ、勝った方に築山殿を与えるとしていたが、これはフィクションであろう。

 築山殿は、先述のとおり今川氏の重臣の娘だったので、家康の存在が重要視されたのは疑いない。2人の結婚は、戦国時代の武家では常識的な政略結婚だった。義元は婚姻を通して、家康との強固な関係を結ぼうとしたのである。

 家康と築山殿は、2人の子宝に恵まれた。永禄2年(1560)には長男の信康、そして、その翌年には長女の亀姫が誕生した。家康は人質という身分だったが、ささやかながらも幸せを享受したと想像される。

 永禄3年(1560)に桶狭間の戦いが勃発すると、義元は織田信長の軍勢に討たれた。家康も出陣していたが、宙ぶらりんのような形になってしまい、いったん本拠の岡崎城に戻った(愛知県岡崎市)。

 2年後に家康は信長と同盟を結び、今川氏から離反した。その結果、氏真は怒り心頭に発し、築山殿の父の氏純は、責任を取る形で妻と自害して果てたのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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