「溺れている人を水に押し込める“手”となるのか」
【UNRWAは“命綱”】
「人びとは飢えています!境界の検問所が開かないと、数週間のうちに飢餓は始まります。誇張じゃありません!」
ガザ中部で暮らす旧知のジャーナリストが、SNS画像を通して悲痛な声で私に伝えてきたのは昨年10月下旬だった。それ以後、私たちは国内外のテレビニュースで、食料配給所に器を手に、我先にと群がるガザ住民たちの映像や写真を連日、目にすることになる。
イスラエル軍による激しい空爆と砲撃によって、ガザ人口の8割が住居を失い、学校などの避難所やテント暮らしを強いられているなか、イスラエルは食料、水、燃料、薬品など生活必需品のガザ地区への搬入ルートを遮断した。“兵糧攻め”である。それによって苦しめられるのは、イスラエルが「標的」だというハマスではなく、200万人を超える一般住民だ。「ハマスのせん滅」を名目にした“集団懲罰”である。
イスラエル人約1300人を殺害し、200人を超える人質を連れ去った10月7日のハマスによる越境攻撃に、UNRWAの職員十数人が関わったという理由で、欧米諸国など多数の国が「UNRWAへの資金拠出の一時停止」を発表した。その中に日本も加わった。
1967年以来60年近いイスラエルによるガザ占領のなかで経済が破綻し、雇用機会がほとんどないガザ地区において、UNRWAは最大の“雇用先”となっていた。現在、約1万3千人のUNRWAスタッフとその家族がUNRWAから生活の糧を得て生き延びている。
それだけではない。貧困率(1日2ドル未満)は65%にも達するといわれるガザで、人口の70%近い難民の子どもたちの就学(中学まで)や保健医療の全てを担ってきたのもUNRWAだ。文字通り、ガザ地区の大半の住民にとって、UNRWAは“命綱”ともいえる。
【盗人猛々(たけだけ)しい】
1993年9月のオスロ合意の直後に、6ヵ月間、私が住み込み取材をしたガザ地区北部のジャバリア難民キャンプのエルアクラ家は家族14人。唯一の稼ぎ手であった青年がイスラエルへの出稼ぎで稼ぐ金でやっと生活を維持していたが、イスラエルによる封鎖政策でイスラエルでの仕事を失った。その後、家族を支えたのは、ヨルダン川西岸でUNRW運営の教員養成学校(学費無料)を卒業した青年がジャバリア難民キャンプ内のUNRWA学校で臨時教員の職を得て、日当11ドルが14人の家族の生活を支えた。それでは足りない一家の食料を、定期的な食料配給で補ってくれたのがUNRWAだ。もしUNRWAがなければ、この家族は生き延びることはできなかっただろう。
このエルアクラ家の実情は、「ガザ人口の7割を占める難民家族にとってUNRWAとは何か」を端的に表す象徴的な実例である。
その現状の中で、「スタッフの一部がイスラエル襲撃に関与した」ことを理由にUNRWAへの資金拠出を停止することは、例えば、「1台の車が死亡事故を起こしたことを理由に、日本国内の全車両の使用を禁止する」のと同じくらい理不尽なことだ。
しかも、「こんなUNRWAは解体すべきだ」と主張するイスラエルのネタニヤフ首相には唖然とするばかりだ。元々、パレスチナ難民を発生させ、“封鎖”という占領によってガザ地区の難民をこの窮状に追い込んでいる張本人が、本来なら、その“加害者”の彼ら自身が負うべき責任をUNRWAに肩代わりさせておきながら、その“恩人”を「潰せ!」と叫ぶのだ。「盗人猛々しい」とはまさにこのことである。
イスラエルの未曽有の攻撃と封鎖で、3万人近い住民が殺され、生き残った人びとも飢餓も追い込まれているガザ住民の現状のなかで、「UNRWAへの資金拠出を停止」することは、水の中で溺れ、助けを求めている人の頭を水の中に押し込めることだ。私たちの国、日本も「溺れる人を水の中に押し込める“手”」の一つになることを、私たちは看過するのか。
(土井敏邦)