子どもたちに伝えたい漁師さんたちの経験知〜安田菜津紀『それでも、海へ 陸前高田に生きる』編集者の想い
震災から5年、陸前高田の町を見つめ続けてきたフォトジャーナリスト安田菜津紀。その記録と想いを託した写真絵本『それでも、海へ 陸前高田に生きる』は、漁師である“じいちゃん”が、孫の“しゅっぺ”の一言で、もう一度漁に出て、海と暮らす決意をする物語です。今回は著者である安田さんではなく、編集を担当したポプラ社の原田哲郎さんがどういう想いで本作りに関わられたのかに焦点を当てるべく、お話を伺いました。
●子どもたちに届きやすいかたちを
前職では教科書の編集に携わり、本書が初めての児童書編集だったという原田さん。いったいなぜ写真絵本というかたちを選んだのでしょうか。
「安田さんに初めてお会いしたとき、その言葉からはとても瑞々しく、柔らかい印象を受けたんですね。ベテランのおじさんが伝えるよりも、子どもに届きやすいかなって直感的に思ったんです」。安田は絵本集めが趣味。フォトジャーナリストという仕事に就いた頃から、ずっと写真絵本で想いを伝えたいという夢がありました。その興味や想いとの一致だけでなく、写真絵本というかたちが安田の言葉を活かすのに適しているという直観が原田さんにはあったといいます。
「安田さんは、論理的に言葉を積み重ねるタイプというよりは、情緒や感性に訴えるタイプの人だと思います。だから、写真に言葉を載せていくという写真絵本のかたちが安田さんには合っているのではないかと思いました」。
●漁師さんたちの経験知
原田さんは、震災直後の日本社会には、人と自然との関係を見直そうとする動きが生まれたと感じたそうです。ところが、しばらく経つと「原発再開やむなし」という空気感が社会全体に漂い始めました。そのことに強い問題意識があったといいます。
「人間が自然を完全にコントロールできるというスタンスで考えてしまうことに違和感がありました。福島の原発事故で、それは不可能だと気付くべきだったのではないか。震災が人と自然との関係を考え直す機会になったはずなのに、せっかくのその機会を逃してしまったのではないかと思ったんです」。
編集という作業は、前面に出る仕事ではありません。しかし、編集という関わり方で「伝える」という方法もあります。本作りにあたり、原田さんは物語の舞台となった陸前高田市の根岬を訪れました。
「実際に根岬の人たちにお会いして感じたことは、漁師さんたちは、学者の知らない、研究では分からないことを、みんな経験で知っているんですね。そしてそれは、科学技術を超えることがたくさんあるのだろう、と感じました。じいちゃんは海に戻っていったわけですけれど、『海から離れるんじゃなくて海と共に生きるんだ』という結論に至ることは、1つの知だと思うんですね。仮に核エネルギーや自然の猛威を人類がコントロールできたとしても、その能力を敢えて行使しないという選択は、文明社会が乗り越えなければいけない試練なのではないか。つまり、技術的には可能だけれどもそれを行使しないという知性。海に戻っていったじいちゃんには、感覚的・経験的に、そのような知性が備わっているのではないかと思うんです」。
●伝えていくために
物語のクライマックスに描かれている「梯子虎舞(はしごとらまい)」。伝統行事である「梯子虎舞」は、虎の衣装をきた男性が太鼓の音に合わせて20mのハシゴを昇ります。祭りを通じて地域を元気にしたいと、じいちゃんは震災後の開催をためらう人たちを説得して回りました。
原田さんは、「これは安田さんには話していないのですが……」と付け加えます。
「しゅっぺは、『梯子のてっぺんまでのぼってみたい』といいますが、20mという梯子の長さがとても象徴的だと感じています」。陸前高田沖に到達した津波の高さは最大でおよそ20mに達したともいわれています。
安田は、じいちゃんやしゅっぺの生き方そのものが、教訓として時を超え、震災を知らない世代にも届いていってほしいと訴えます。
どのように記録されるのかと、どのように記憶されるのかは、違います。物語として、象徴として、人々の心に残していきたいという意志は、たくさんの人達が共感し、関わり、くり返される試行錯誤と葛藤が結晶となって、はじめて実現できることなのではないかと感じます。
東日本大震災を伝えていくこと。それは、単に復興や防災・減災などのキーワードを越えて、自然の中で人が生きるとはどういうことなのか、という哲学的な問いと同時に在るのではないでしょうか。(矢萩邦彦/studio AFTERMODE・教養の未来研究所)
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