もしロッキード事件が起きていなかったら全日空はどうなっていたかという仮説
ロッキード事件とは
今から43年前の1976年にアメリカ側からの情報リークにより発覚した汚職事件。
全日空が当時の最新機種「トライスター」を導入するに当たり、アメリカ・ロッキード社側から日本の政財界に多額の現金が渡ったと言われるわいろ事件で、総理大臣だった田中角栄氏、経済界のボスとして君臨していた児玉誉士夫氏、国際興業社主だった小佐野賢治氏などの大物が次々に逮捕され日本中が大騒ぎになった大事件です。
当時の航空業界はプロペラ機からジェット機、そして大型機へと発展が進む中、日本でも大型機の導入が求められていました。
候補に挙がっていたのはボーイング社のB747(ジャンボジェット)、ダグラス社のDC-10、そしてロッキード社のL-1011(トライスター)の3種類でした。フランスにあるエアバス社のA300はまだ完成に至る前の段階でしたから、西側世界の航空機製造はほとんどすべてをアメリカが牛耳っていた時代です。
そのなかで、ロッキード社が作っていたのは軍用機ばかりで、しばらくの間旅客機の開発製造を行っていませんでしたので、ボーイング社やダクラス社に比べると営業戦略的に弱かったため、アメリカから日本の政財界に多額の現金がばらまかれて「全日空にトライスター導入を決めさせた。」と言われているのがロッキード事件です。
この事件は長年の捜査を経てもいろいろ不可解な点がたくさんありますから、今でも話題にしている研究家の方々も多くいらっしゃいます。関係された方々も皆さん他界されていますので、真偽のほどは今となっては不明ですが、もし、このロッキード事件が無かったら、今の全日空はどうなっていたのだろうかという点が気になっています。
トルコ航空機・パリ墜落事故
1974年(昭和49年)3月3日、パリのオルリー空港を離陸したトルコ航空981便(ダグラスDC-10)が、離陸直後に操縦不能で墜落し、乗員乗客346名全員が死亡した事故で、乗客の中に日本人が48名含まれていたため日本でも大きな話題になった墜落事故でした。
この事故は、後部貨物室扉のロックが不完全状態のまま離陸したことにより、上昇に伴って発生する機内と機外の気圧差で貨物室の扉が飛行中に開き、扉が脱落。貨物室内に急減圧が発生し、上部客室内との気圧の差で客室の床が抜け落ち、床下に張り巡らされていた操縦コントロール用の油圧パイプが破断して、飛行機の舵が利かなくなり機体が制御不能に陥ってしまったことが原因とされています。
その事故調査の過程で、このDC-10には次のような欠陥があることが判明しました。
・貨物室扉のロック機能に欠陥があること。
直接の事故原因となった貨物室扉のロック不全。ロック機能に欠陥があるとされました。
・ロックが不完全な状態であるにもかかわらず、操縦室内にその表示が出ない。
ドアロックが不完全にもかかわらず、その警告が操縦室内に表示されず、パイロットは気付かないまま出発してしまった。
この点もシステムの欠陥と認定されました。
・コントロール用の油圧パイプが床下を通っていたこと。
飛行機の舵を操作する油圧パイプは、3重、4重の系統になっていて、1つ2つが破断しても対応できる設計になっていますが、DC-10の場合、その複数の油圧系統が束ねられて床下を通っていましたので、貨物室内の急減圧で客室の床が抜けた時にすべての油圧系統が一度に破断してしまったことにより操縦不能状態となってしまった。
このようにDC-10には各種の欠陥が隠れていたのです。
その後、やはりDC-10はシカゴ・オヘア空港で離陸直後にエンジンが主翼から脱落して墜落するという事故(1979年5月・アメリカン航空)で設計上のミスによりエンジン取付部のパイロンと呼ばれる部品に欠陥があることが分かり、型式証明が取り消されて世界中で全機が運航停止になる事態にまで発展しました。この時、DC-10を導入していた日本航空は大きな打撃を受けていますが、ちょうど今、最新鋭のB737MAXが飛行停止になっているのと同じ状況です。
このように、DC-10という飛行機には当時の段階でたくさんの欠陥がありました。
トルコ航空事故やアメリカン航空事故で各種の欠陥が洗い出されて、例えば油圧系統は床下を経由しない。3重、4重であっても束ねて同じところを経由しない。客室の床には圧力窓を設けて、上下での圧力差が発生した場合でも瞬時に空気を逃がす装置などが設けられましたので、その後の同様の事故は発生しなくなりましたが、1970年代にはいくつもの大きな事故でたくさんの人命が失われていったのです。
昭和40年代の日本の航空会社の死亡事故
日本での航空機の墜落事故としては、1985年(昭和60年)8月12日に発生した日本航空の御巣鷹山事故があまりにも衝撃が大きく、また、それ以降に日本の航空会社による墜落事故が発生していませんので、この御巣鷹山事故だけが今でもマスコミで取り上げられていますが、実は日本の航空史上ではたくさんの墜落事故が発生しています。ここで昭和40年代~50年代の連続事故を振り返ってみましょう。
【昭和40年代~50年代の日本の航空会社の死亡事故(訓練機は除く・数字は死者)】
昭和40年2月1日 全日空 DC3貨物機 南アルプスで墜落 2人
昭和41年2月4日 全日空 B727 羽田沖墜落事故 133人
昭和41年11月13日 全日空 YS11 松山空港沖墜落事故 50人
昭和46年7月3日 東亜国内航空(※) YS11 函館横津岳墜落(ばんだい号事故) 68人
昭和46年7月30日 全日空 B727 岩手県雫石墜落事故 162人 (自衛隊訓練機との空中衝突)
昭和47年6月14日 日本航空 DC-8 インドニューデリー空港墜落事故 86人
昭和47年11月29日 日本航空 DC-8 モスクワ・シェレメチェボ空港墜落事故 62人
昭和52年1月13日 日本航空 DC-8貨物機 アラスカ・アンカレッジ空港墜落事故 5人(機長の飲酒による)
昭和52年9月27日 日本航空 DC-8 マレーシア・クアラルンプール空港墜落事故 34人
昭和57年2月9日 日本航空 DC-8 羽田沖墜落事故 24人(いわゆる逆噴射事故)
※東亜国内航空→その後、日本エアシステム→日本航空に吸収合併
空港墜落事故とは、空港に着陸進入中、あるいは離陸上昇中に墜落したもの
昭和40年代から50年代にかけて、日本の航空会社はこれだけたくさんの墜落死亡事故を発生させています。
これが、いわゆる「全日空連続事故」「日本航空連続事故」と呼ばれるものですが、これ以前にも全日空、日本航空、あるいは当時存在していた中小航空会社がたくさんの事故を起こし尊い人命が失われています。
そして、この事故の延長線上に昭和60年(1985年)の日本航空御巣鷹山事故が発生したのです。
40歳以下の若い皆様方は知る由もありませんが、日本の航空会社は昭和の時代にこれだけの連続事故を起こしていた「危ない会社」だったのですが、それが昭和60年8月の御巣鷹山事故以降30年以上も墜落による死亡事故を発生させていないというのも事実です。
航空会社がどれだけ過去の事故を教訓として再発防止に力を注いできているかということがご理解いただけると思いますが、それはたくさんの尊い人命の犠牲の上に成り立っていると言えるのです。
もしロッキード事件が無かったら
さて、本題に戻りましょう。
「もし、ロッキード事件が無かったら全日空はどうなっていたか。」
歴史にもしもは禁物ですが、なぜ筆者があえてこういう考察をしようと考えているか。
それは、上記にある1974年(昭和49年)3月3日にパリで発生したトルコ航空DC-10墜落事故にあります。
実はこの時墜落したDC-10の機体は、当時のダグラス社が全日空に購入してもらう予定であらかじめ製造していた機体だったのです。
航空機は製造に多くの時間がかかります。おそらくダグラス社と全日空の間には何らかの交渉があったのでしょう。ダグラス社としては見込み生産をしていたことになります。
ところが、全日空はライバルのロッキード社からL-1011・トライスターを購入する決定をしてしまいました。
このため、全日空に納入予定だったDC-10がダグラス社として「余剰在庫」になってしまったのです。
そして、その余剰在庫をトルコ航空に対して格安条件で販売したというのが歴史上の事実です。
ということは、もしロッキード事件が無く、ダグラス社からDC-10が全日空に納入されていたら、初期の欠陥を抱えたままの機体が日本の空を飛んでいたことになります。
そうなると、トルコ航空機と同様に墜落事故が日本の空で発生していた可能性も否定できないということになるのです。
1974年(昭和49年)当時の全日空は、連続事故の影響であまり評判が良い会社ではありませんでした。
そりゃそうですよね。昭和41年2月羽田沖墜落事故、同じ年の11月に松山沖墜落事故、昭和46年7月に雫石事故とわずか5~6年の間に3件の乗客乗員全員死亡事故を発生させて、345名もの人命を失わせているのですから。そして導入した大型機がもしトルコ航空と同様の300名以上の死亡事故を起こしていたら、おそらく今の全日空はなかったでしょうね。
会社として堪えられなかったと筆者は考えます。
トライスターという飛行機は、「ロッキード事件」の影響で一般の皆様にはあまり良い印象がなかった機体ですが、性能的にはとても優れた飛行機で、騒音も低く、安全性も高い機体でした。
トライスターが全日空に導入されたのが1974年。退役したのが1995年。
合計21機が導入されましたが、21年間全機が大きな事故を起こすこともなく活躍しました。
こういう事実を積み上げていくと、トライスターという飛行機が全日空という会社の発展の礎になったことは間違いないと筆者は考えます。そして、もし、ロッキード事件が無かったら、今日の全日空の発展はなかったのではないか。
賄賂だとか汚職だとか、そういうスキャンダラスな経緯は別として、全日空がトライスターという飛行機を導入したことは、結果として私たち日本人に大きな利益をもたらしたと筆者はそう考えております。
日本の航空の安全はたくさんの尊い人命と、航空会社の絶え間のない努力の上に成り立っているということを、皆様どうぞご理解ください。
そして、ちょっとでも気を抜くと、いつなんどき再び連続事故の時代が来るかもしれない。
安全というものはそういうものなのであります。
今後も継続した航空の安全とさらなる航空の発展を願っています。