3度目の戦力外通告―阪神タイガース・加藤康介投手が現役続行を決めたのは支えてくれた人々への「恩返し」
■3度目の戦力外通告にも、現役続行を決意
若手投手の口から、よくその名前を聞かされる。「加藤さん、ほんとすごいです」。「加藤さん、めちゃくちゃ練習するんです」。打者に向かっていくピッチングスタイルと黙々と練習に取り組む姿勢…若手にとって尊敬すべき先輩だ。
その加藤康介投手が10月1日、阪神タイガースの球団事務所から呼び出しを受けた。「そうなるだろうと思っていた」と“覚悟”をして出向いた。ただ、球団から発表されたのは、2日も後の同3日。「阪神タイガースは、加藤康介選手に対して、来季の契約を結ばないことを伝えました」というものだった。明けて同4日、鳴尾浜球場姿を見せた加藤投手は、正直に現在の心境を語った。
「球団から配慮していただいたんですけど、自分の中では現役にこだわりたいというのが強かった。わがままですけど」。加藤投手は“配慮”という言葉を使った。その内容は明かさなかったが、勝手に推測させていただくと、「引退の花道を作ってくれる」とか、「何らかのポストを用意してくれる」とか、そういったところだろうか。それだけの功労者である。
しかし加藤投手は首を縦に振らず、一旦持ち帰り、じっくり自分と向き合った。自分自身に問うた。「やりきったのか」と。
「実際、自分の中では踏ん切りがついていなかった。悔いが残っているし、諦めきれない。まだできるんじゃないかというのがあるので、そういう気持ちがあるうちは、あがいてもいいんじゃないかと思った」。現役続行を決断し、その意思を伝えたことで、加藤投手の表情は晴れ晴れとしていた。
■4球団目の阪神タイガース
01年に千葉ロッテマリーンズに入団。先発として9勝を挙げ、翌年は11勝と2ケタ勝利を達成した。しかしその後、故障などで登板数は減り、07年にオリックスバファローズへトレード移籍。翌年に戦力外通告を受け、トライアウトを経て09年に横浜ベイスターズに入団。左の中継ぎとして活躍したが、翌年は成績を残せず2度目の戦力外を通告された。この時はトライアウトには参加しなかったが、阪神タイガースが獲得を表明し、11年からタテジマのユニフォームに袖を通した。
初年度こそ膝の故障などもあって1軍では4試合の登板に留まったが、虎2年目の12年には膝が万全になり、走り込みの量を増やせたことでボールのキレ、球威が上がり、目標に設定していた40をクリアする41試合に登板。0.83という防御率でチームの信頼を勝ち得た。
ステップアップした翌年は開幕から活躍し、初セーブも記録。61試合で16ホールドを挙げ、1.97と好成績を残した。
しかし昨年は終盤に腰を痛め、登板試合数も32と振るわなかった。
■故障をきっかけに、フォームの見直し
今年は春季キャンプから苦しんだ。第1クールは普通に投げられたが、第2クールに入ると右股関節が痛くなった。それでもキャンプ終盤にはマシになったのでピッチングを再開したら、また痛みを発症した。その後はその繰り返しだった。良くなったと判断して投げ始めると、また痛い。「どこで投げ始めていいのか…」。加藤投手本人もどうしていいのやら、困惑していた。
シーズンが開幕しても状態はいっこうに上向かず、数々の治療院を当たり、様々な話を聞き、自分自身でも勉強した。そうした中でわかったのは、右股関節の驚くべき状態だった。
左投手である加藤投手は、フィニッシュの時に右股関節に思いきり自身の体重を預ける。それはそれはすごい力が加わる。その長年の酷使に、大腿骨の骨頭が耐えられなくなっていた。骨頭全体に骨棘ができて肥大し、受け皿である骨盤に収まりきらなくなっていたのだ。つまり円滑に動かず、擦れ合い、激痛が発症する状態だった。
「日常生活に支障が出るようになるかもしれない。一般人なら骨頭も骨盤も部分的に人工のものに代える手術をする」。それくらい重症だった。しかし加藤投手はその選択はしなかった。「いま手術をしたら、もう要らないって言われるよ。この年で来年までは待ってもらえないでしょ」。選んだのは保存療法で、「手術せずに負担のかからない体の使い方を探すよ」。
この会話をした5月のはじめはまだ、ひんやりと肌寒かった。取り組み始めてもすぐに成果が出にくかった。
「こういう経験が自分の引き出しを増やすから。これが将来、役に立つかもしれないから」。この時、なんとなく加藤投手の“覚悟”のようなものを感じた。「このまま投げられないかもしれない」。「投げられたとしても、投げられるのと抑えられるのは違うから」。らしくない弱音が口をついて出ることもあった。
しかしそこから、粘り強かった。それまで「横回転」だった投げ方を「縦回転」にすべく、改良を重ねた。「(体重を)真上から乗せることで、負担が軽減できるし、痛みがなくなる」と話し、根気よく取り組んだ。気温の上昇とともに体の動きも良くなり、徐々に自分のものになっていった。と同時に痛みも消えていった。
■現役続行を決断したわけとは・・・?
ようやくファームのゲームに復帰し、結果を積み重ねて1軍に昇格もした。しかし「思うような球は投げられなかった」と、6試合の登板に終わった。それでも現役続行にこだわるのは、どういう思いからなのか。
加藤投手は「恩返し」を強調する。故障で投げられなかった時、実は「辞め時かな」という思いがよぎったこともあったと明かす。しかし「トレーナーやコーチ、周りの人達が本当に色んなことをしてくださったことで、ここまで投げられる状態に持ってこれた」と周りに感謝し、「次の球団があるかないか別にして、自分の中で(12球団合同トライアウトに)トライすることが必要だと思ったし、それで行くチームがなければ、その時に諦めがつく。次のステップに進める。それまではやっていこうと思います」と、その恩義に報いるつもりなのだ。
また、自分の中に「ある手応え」がある。「1回目の戦力外を受けてから、本当の意味で必死でやってきた。横浜2年目の最後、半信半疑だったけど『自分のスタイルはこうじゃないかな』と見えた部分があったし、それを評価されてタイガースに獲っていただいたと思う」。
タイガースでは更にそれを突き詰めることができた。「そういう意味でもありがたい5年だった。だからこそ…」と言葉を続ける。「もう少し何か得られるんじゃないかという気持ちもあるし、自分の勝手で野球を諦めるのはどうかとも思う」。評価し、獲得してくれたタイガースへの恩返しの気持ちからも現役続行し、もっと進化しなければならないと考える。
「今、体は全然問題ないんで。体がある限り、やることが恩返し。野球人生を支えてくれた人への恩返し」。進路の選択は人それぞれだが、なんとも加藤投手らしい選択だ。
12球団合同トライアウトは11月10日。加藤投手の地元・静岡県は草薙総合運動野球場で行われる。