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スタートした『麒麟がくる』は、「歴史ドラマの総本山」復活の予感!?

碓井広義メディア文化評論家
明智光秀の家紋「桔梗紋」(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

NHK大河ドラマ『麒麟がくる』が始まりました。その初回、出会いがしらの第一印象で言えば、「ハセガワ光秀に魅力あり!」。そして、「歴史ドラマの総本山」復活の予感です。

まず、主人公の幼少時代などではなく、いきなり青年時代から始めたのは正解でした。室町時代末期の時代背景と、美濃の国と明智家の社会的背景などを、冒頭の図解で簡潔に分かりやすく説明し、さっさと主人公がどんな人物なのかを見せてくれました。

光秀の人物像は・・・

初回のエピソードが描き出していた、若き日の明智十兵衛光秀。

聡明であり、また武にも秀でている。自分の頭で考え、行動する。公正な精神と道徳心。そして旺盛な好奇心と勇気の持ち主でもある。

こう並べてみると、何だか、まとも過ぎる優等生みたいですが、長谷川博己という役者が演じることで、光秀が「凛とした男の色気」を漂わす若者になっていました。主人公が魅力的であること。それはドラマを強くします。

次に、物語展開は、どうか。初回にもかかわらず、いや、初回だからこそかもしれませんが、光秀は大きく「移動」していました。

美濃から西へと向かって、堺。ここで、地方とは異なる、「豊かな経済」というものを体感します。さらに京に回って、今度は「都の荒廃」を目にしました。故郷にじっとしているだけでは知ることのできない世界を知ったわけです。

しかも、主君の斉藤道三(本木雅弘)との約束である、「鉄砲の入手」と「名医の招聘(しょうへい)」という2つのミッションをしっかり果たしていました。いずれも、光秀の「異能ぶり」を伝えるには適切なエピソードでした。

余談ですが・・・

1920年代に、古い「魔法昔話」を分析した、ウラジミール・プロップという有名な学者がいます。プロップによれば、すべての魔法昔話には、共通する「物語構成の法則」があるのだそうです。

端折って言えば、主人公は「魔法の授与者に試される」形で、「出発」します。そして「移動」しながら、「敵対者との闘争もしくは難題」にぶつかるのです。しかし、ついに「勝利」して、「帰還」します。この旅で、主人公は「新たな変身」を遂げており、待っているのは目出度い「結婚(もしくは即位)」です。

たとえば、「授与者」として道三の顔がちらっと浮かんだり、「難題」と2つの使命が、「新たな変身」と成長した光秀が、しっかり重なったりしますよね。

このプロップの法則は、後のRPG(ロールプレイングゲーム)などで応用されますが、さすがベテラン脚本家の池端俊策さんです。初回で、しっかりと組み込んでいました。

しかも、今回の大河のいいところは、脚本、映像、編集、音楽、そして演技も「ゆったり、たっぷり、堂々としている」ことです。

語り口が急ぎ過ぎない。あわてない。落ち着いている。見る側に、受けとめて咀嚼(そしゃく)するだけの余裕を持たせている。しかも、決して緩慢(かんまん)ではない。「時代劇という時間」が、正しい速さで流れているのです。

さてさて・・・

京で、燃え盛る民家から子どもを救い出した光秀。医師・望月東庵(堺正章)の助手、駒(門脇麦)から、「麒麟」の話を聞きます。「戦(いくさ)のない世をつくれる人が、麒麟を連れてくる」のだと。

そして光秀は言います。「旅をして、よく分かりました。どこにも麒麟はいない。何かを変えなければ、誰かが変えなければ、美濃にも京にも、麒麟は来ない!」

いいドラマには、いい台詞(せりふ)があります。台詞が物語を駆動していくのです。その意味でも、『麒麟がくる』は期待できそうです。

そういえば・・・

放送前、「大河ドラマ」について、週刊誌の取材を受けました。「存続か、廃止か」という、かなり乱暴な問いかけでしたが、ざっと以下のような回答をしました。

「熟練のスタッフによって積み重ねられた知恵や技術は、一度途絶えてしまえば、復活は非常に難しいです。打ち切りは簡単でしょうが、60年近い歴史がある大河を終わらせることは、視聴者にとっても、テレビというメディアにとっても、大きな「文化的損失」ではないでしょうか。

大河ドラマの醍醐味は、歴史上の人物群像との出会いであり、彼らが生きた時代を体感することにあります。それは一種のタイムトラベルであり、時空を超えた壮大な留学体験だと思います。1年間の放送期間も長すぎるとは思いません。

戦国時代や幕末など、同じ人物が何度も取り上げられているという批判もありますが、作品によって人物像や史実の解釈が違う点も大河の魅力です。歴史ドラマの総本山として、今後も残してほしいですね」(週刊ポスト 2020年1月17・24日号)

『麒麟がくる』が展開しようとしている、新たな「人物像」や、新たな「解釈」を楽しみながら、あらためて「歴史ドラマの総本山」という言葉を思い返していました。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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