日本の先生は学び続けているか? 教員免許更新制だけを悪者にしてもいけない。
■悪名高い、教員免許更新制とは
文科省の審議会(中央教育審議会:中教審)で教員免許更新制の見直しの議論が進んでいる。教員免許更新制とは、10年に一度講習を受けて、更新しておかないと、教壇に立つことはできない制度だ(より詳しくは、たとえば、NHKの解説や朝日新聞の特集記事などが詳しい)。
免許更新制が廃止になるのか、縮小もしくは多少の制度変更になるのかは、現時点では見えないが、現行では問題が多いと多くの関係者が認識している。
確かに、わたしが小中高などの先生に聞く限りでも、免許更新制はもっとも評判が悪い施策のひとつだ。時間がかかる、お金もかかる。それでいて役立たないものが多いという声もある。
しかも、更新制のせいで、先生のなり手不足が加速している。出産や病気で長い休みをとる先生がいた場合、代わりの講師を見つける必要があるが、これがここ数年、各地とても苦労している。20人も30人も電話しても、なってくれないケースも多いと聞く。原因はさまざまあるが(学校の労働環境が過酷であること、講師バンク登録者がすでに民間に就職してしまっているなど)、一度教師を退職して、もう面倒だということで更新をやめてしまった人は、免許が有効になっていないので、すぐに講師になれない。このことも影響している。
つまり、教員免許更新制は現役の先生には負担が重い上に、講師不足を助長することで現場をさらに苦しめてしまっているのだ。
■免許更新制をやめれば、それでいいのか?
わたしも免許更新制はやめて、先生たちが比較的自由に選択できる研修の充実などのほうがよいと思っている。自分で選択できず、やらされるから、負担感は高まるし、身に入らない。そういう人もいると思う。
だが、免許更新制をやめれば、それで問題解決とは考えていない。むしろ抜本的な問題解決からは、ほど遠い。
日々忙しい先生たちの負担は確かに問題だが、10年に1度の話である。負担を重視するなら、教育実習や初任者研修のほうがよほど重いし(受ける側にとっても、面倒をみる側にとっても)、考えるべきではないか。
更新講習は自腹で約3万円かかる。これも先生たちからは不満が大きく、無料にしてほしいという声は多い。補助はあってもいいと思うが、自己投資、自己研鑽にもなることを全額公費(税金)で賄えというのも、わたしには違和感がある。単純計算すると、1年に3千円だし、同じような理屈を取るなら、教員養成の大学等の授業料も負担ゼロにせよと言うのか?それに、身銭を切ったほうが、より真剣に学ぶというケースもあろう。
人間の注意力には限界がある。免許更新制にばかり気をとられていると、本質的な問題、課題に向き合わなくなる。言い換えれば、文科省(中教審を含めて)や政治家の先生たちが、「ついに、12年あまり続いてきた免許更新制を抜本的に見直しましたよ」とPRされるのは自由だが、「いや、ほかにも問題山積みだから」と申し上げたい。
※最近の近い例をあげれば、大学入試改革が思い浮かぶ。「入試改革をすれば、高校教育が変わる、よくなる」と一部の識者や文科省が問題を単純化、矮小化したのが、そもそものボタンの掛け違いだったのかもしれない。
■日本の教師は学び続けているのか?
「教師の資質・能力の向上が必要だ」、「学び続ける教師が求められている」。こういうことは、もう十年、二十年とずっと文科省、中教審、各地の教育委員会は言ってきた。
だが、これまでの政策(そこには免許更新制も含まれるし、通常の研修なども)が果たしてどこまで有効だったのか、十分でないとすれば、それはなぜなのかという点の検証、検討は弱いままだ。
過去を十分に振り返ることなく、「令和の日本型学校教育」なんとかということで、また教育「改革」が追加されようとしている・・・。
いくつかデータ、ファクトを確認しておきたい(より詳細は文末の参考文献を参照)。OECDのTALIS(国際教員指導環境調査)という国際比較調査によれば、日本の中学校教員は、授業や日常的な指導について、海外と比べて自己効力感、手ごたえが低い(次のグラフ、詳細は参考文献を参照)。つまり、日々の授業等に自信をもてていない状態なのだ。
(※)日本の教師は理想が高いからだ、という解釈はありうるが、日本だけ特異に低いことの説明としては説得力が弱いと思う。
グラフ:中学校教員の自己効力感、授業等の手ごたえ
しかも、研修などの職能開発には、忙しくてなかなか参加できない(スケジュールと合わない、時間が割けない)という回答が、海外と比べて格段に多い(次のグラフ)。
また、筆者が独自に調査したアンケートでも、1ヶ月に本(小説や漫画は除く)をほとんど読まない(0冊)という先生は、小学校で約3割、中学校、高校で4割強だ。より正確に申し上げると、熱心に本などから学び続けている先生も一部にいる一方で、学びを止めてしまっている先生も相当数いる。
OJTについても深刻だ。全国公立学校教頭会等の調査を見ても、副校長・教頭は職場の人材育成になかなか時間とエネルギーを割けていない実態が浮かび上がる。書類作業やトラブル対応などで忙し過ぎるのだ。
もちろん人や学校にはよる話ではあるので、一概には言えないのだが、職場でも、職場外でも(校外の研修や自己研鑽など)、「学び続ける教師」像とはほど遠い現実があるのではないか。免許更新制を廃止するだけでは、この問題は改善しないし、むしろ、学ぶ機会が減るので、悪化するかもしれない。
■解決策は教師の意識改革、ではない
それに、小学校を中心に教員採用試験の倍率がとても下がっている地域もある。きょうのニュースでも、「今春採用された公立小学校教員の採用倍率の全国平均が2・6倍だったことが各地の教育委員会への取材で分かった」と報じられている(朝日新聞)。
わたしが聞き取ったところ、併願者や辞退者もいるので、「正直、選んでいられない」、「事実上、全入時代」と述べる教育委員会関係者もいる。
ただし、マスコミや一部の教育委員会、有識者は、「教師の質の低下が心配だ」などとお気楽に述べるが、本当のところはどうかはわからない。逆に言えば、倍率が高かった時代に採用された人の質は高かったのか?
とはいえ、採用時点でどうであれ、採用後の職場内外での育成や成長がたいして進んでいないとすれば、それは大きな問題だ。
この難局に「気合いで乗り切れ」とは申し上げない。「個々の先生たちの意識、学ぶ意欲が低いからだ」などと問題を矮小化して捉えると、本質的な問題にミートしないことになる。
仮に意識が少々低くても、学び続けられる環境や仕組み、制度がないことが問題だ。
具体的には、やはり学校の多忙の問題がある。トイレ休憩や授業準備の時間もろくに取れないような職場で、育成や自己研鑽の充実などと唱えても、うまくいくわけがない。副校長・教頭がもっと育成に時間をかけられるようにする支援や環境も必要だ。
各学校では、授業研究も結構だが、それに偏りがちな校内研修、あるいは指導案作りにあまりにも時間をかけているのだとすれば、そこも考えていくべきだろう(若手等の悩みをもっと真摯に聴き取る場のほうがよいのではないか)。
学校は人を育成することを得意とする組織のはずだ。あれほど多感で個性的な子どもたちを毎日相手にして、日々成長を支援しているのは、すごいことだと思う。その強みを教職員育成にももっと発揮できるような環境を早くつくる必要がある。
では、教員免許更新制をやめる、縮小するとしても、どのような代替案が考えられるだろうか。次の記事では、文科省・中教審の検討案の問題点についても、分析したい。
次の記事:【教員免許更新制をやめたとしても、どうする?】研修受講履歴の管理で、学びが促進されるほど甘くない。
※この記事は教育新聞への寄稿と拙著をもとに、一部加筆修正して作成しました。
(参考)
国立教育政策研究所『TALIS2018 教員環境の国際比較』
妹尾昌俊『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』
妹尾昌俊『教師崩壊』
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