バルサの凋落の理由。メッシ、スアレス、ネイマールの活躍と「3冠」の代償。
勝利の美酒に、酔っていた。
2014−15シーズン、ルイス・エンリケ監督はリオネル・メッシ、ルイス・スアレス、ネイマールの「MSN」を中心にチーム作りを進めていた。そしてバルセロナはリーガエスパニョーラ、コパ・デル・レイ、チャンピオンズリーグで優勝を飾り3冠を達成した。
あれがすべての始まりだった。そう、終わりの始まりだ。
■混沌のシーズンと成功
あのシーズンに、何が起きていたのか。もう一度、振り返るべきだ。
バルセロナは混沌の中に身を置いていた。ネイマールの移籍に発端した問題は裁判沙汰に発展して、サンドロ・ロセイ当時会長は辞任に追い込まれた。ジョゼップ・マリア・バルトメウ暫定会長が誕生したが、チームの調子は上向かなかった。
2015年1月4日に行われたレアル・ソシエダ戦では、メッシがベンチスタートとなり、バルセロナは敗れている。これをきっかけに、メッシとL・エンリケ監督が対立。チームは空中分解寸前になっていた。
そこでバルトメウは手を打った。スポーツディレクターを務めていたアンドニ・スビサレッタの解任と会長選の前倒しを決断。14−15シーズン終了時に正式な会長を決定する運びとなり、バルセロニスタは落ち着きを取り戻して一致団結。そこからのトリプレテ(3冠)だったのだ。
しかしーー。闇は潜んでいた。バルトメウは味を占めてしまった。解任ブーストの効果と成功がもたらす恍惚感に。そして、その代償は高くつくことになる。
「2015年のトリプレテは高かった。あの年、1月の時点でバルトメウに票を投じようとしていた人は1%に満たなかったはずだ。それでも、彼が会長選で勝利した。クラブの状態というのはピッチ内のプレーだけでは決まらない」と回想するのはジェラール・ピケである。
■「N」の欠落
バルトメウ政権で、ターニングポイントになったのが、ネイマールのパリ・サンジェルマン移籍だ。2017年夏、契約解除金2億2200万ユーロ(約286億円)が支払われ、希代のアタッカーは花の都に去っていった。
ウスマン・デンベレ(移籍金1億500万ユーロ/約132億円)、フィリップ・コウチーニョ(1億2000万ユーロ/約154億円)、アントワーヌ・グリーズマン(1億2000万ユーロ)とネイマールの代役確保に大金がはたかれた。だがネイマールの穴を埋める活躍を見せられる選手はいなかった。
バルセロナはバルトメウ政権で実に34選手を獲得している。その一方で、40選手を放出した。現在のチームに主力として残っているのは、クレメント・ラングレ とフレンキー・デ・ヨングのみである。
なお、マーク・アンドレ・テア・シュテーゲンを獲得したのはスビサレッタで、ペドリ・ゴンサレスを獲得したのはラモン・プラネスである。いずれも、すでにクラブには残っていない。
■一貫性のない行動
一貫性がなかったのは補強だけではない。ルイス・エンリケ、エルネスト・バルベルデ、キケ・セティエン、ロナルド・クーマンと幾度となく指揮官交代が断行された。しかしながらバルトメウが期待していたような解任ブーストの成果はついぞ挙がらなかった。
バルセロナを語る時、メッシの「権力の肥大化」が度々指摘されてきた。曰く、メッシが補強に口を出している。曰く、メッシを快適にするためのチームビルディングが行われている。違う。権力に拘っていたのはむしろバルトメウで、最終的には自らがそれに喰われる格好で彼は辞任に追い込まれた。
バルセロナがチャンピオンズリーグでグループステージ敗退に終わったのは21年ぶりだ。2000−2001シーズン以来の出来事である。
バルセロナは2000年夏にルイス・フィーゴを放出した。移籍金6100万ユーロで、レアル・マドリーへの禁断の移籍が実現。ジョアン・ガスパール当時会長は、そのお金でマーク・オーフェルマウス、エマニュエル・プティ、アルフォンソ・ペレスらを獲得した。が、補強策は功を奏さなかった。
いま、1月の移籍市場が開幕の時を迎えようとしている。フェラン・トーレス、ダニ・オルモ、複数選手の名前が候補として挙げられている。ただ、バルトメウ政権における「負の遺産」を精算せずに、補強に走るのは得策ではない。
フィーゴの移籍以降、バルセロナは苦しんだ。だがシャビ・エルナンデス、カルレス・プジョール、ビクトル・バルデス、アンドレス・イニエスタ、メッシと才能溢れるカンテラーノたちが出てきて、2005−06シーズンにビッグイヤーを獲得して再び栄光を手にしている。
状況は酷似している。であれば、どちらの方角に向かうべきかは明確であるはずだ。