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「“立ち入って初めて知った”事実」に「ここが..?」駅前の「小さな塚」に隠された「驚きの秘密」藤沢市

ころんころライター(藤沢市)

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【プライスレス藤沢】
~藤沢の魅力を再発見~

藤沢市内で見つけたプライスレスな情報シリーズ。80カ所目は藤沢市下土棚、小田急江ノ島線「長後駅」のすぐ近くにある『仙元塚(せんげんづか)』です。

大山街道(旧横浜伊勢原線)と滝山街道(旧藤沢町田線)が交差する地として栄えた長後。住宅地と農地が混在する自然豊かなエリアですよね。そんな長後エリアの南に位置する「長後駅」付近の住宅街の一角に、小高く盛られた「塚」があるのをご存知でしょうか。

数段の階段をあがると、敷地の中央には「仙元大菩薩」と書かれた石碑があります。

「仙元大菩薩」の碑
「仙元大菩薩」の碑

案内板によると、この『仙元(浅間)塚』は、宝永4年(1707年)の富士山噴火で降下した火山灰を各所から寄せ集めて作られたものとのこと。明治初期には「富士塚」と呼ばれていましたが、明治末期から「仙元塚」と呼ばれるようになったそうです。

宝永の大噴火について(引用元:富士山資料館)

また天保13年(1842年)に日本全土を大飢饉が襲い(天保の大飢饉)、長後に住む人々も困窮を極めました。そこで、当時厄除対策として流行した「富士信仰」が促され「富士講」が結成されました。

※「富士信仰」とは、富士山そのものを神と見立てるなど、富士山を信仰・崇拝の対象とすること。また、「富士講」とは富士山を崇拝する人々によって組織された民間信仰のひとつ。
※天保の大飢饉の際、米価は高騰し、藤沢宿は打ちこわし寸前の不穏な状況となりました。遊行寺や藤沢宿内の上層商人等は、米や金銭の施行(せぎょう/貧しい人に物を施し与えること)を行ったそうです(引用元:藤沢市略年表より)。

以来33回の「富士(浅間神社)登拝」(富士山参り)が行われ、大願成就した記念として(33回がひとつの区切りとされている)慶應2年に『仙元塚』を築造。当時は高さが約9メートルもあったようで「大塚」とも称されました。

大正4年(1915年)には築造50年祭が執り行われましたが、その後、塚は半壊状態に。

塚の右手に建つ「仙元塚五十年記念碑」
塚の右手に建つ「仙元塚五十年記念碑」

昭和39年(1964年)には地元有志により築造100年祭を盛大に開催。

塚の左手に建つ「仙元百年記念」の碑
塚の左手に建つ「仙元百年記念」の碑

しかしその後県道の拡幅工事などの事情により塚は縮小。塚の上にあった石碑や石仏類のほとんどは「長後市民センター」構内に移設されました。

つい300年前に起きた富士山噴火と、200年前に起きた天保の大飢饉を今に伝える歴史スポット『仙元塚』。涼しい時間帯に、散歩がてら訪れてみてはいかがでしょうか。

基本情報
『仙元塚』
住所:藤沢市下土棚509-7
※駐車場は無いため、行かれる際は公共交通機関をご利用ください。

ライター(藤沢市)

湘南エリアの複数メディアや紙面、昭文社「まっぷるトラベルガイド」などで、記事執筆&撮影を担当。取材スポットは1000ヶ所超え。そんな取材後記や、徒然なるままのゆるゆる日暮らしを、Instagramに綴っています。ほわっとあたたかくなる「神奈川県藤沢市」の情報をお届けできたら幸いです。※毎週日曜の20時10分に、LINEを通じて1週間分の記事を「まとめてお届け (ダイジェスト配信)」しています。友だち追加すると、藤沢市の話題(特に美味しいもの情報)に困りません。

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