「M-1」審査員という苛烈なイスに座る覚悟と矜持
17日に放送されたテレビ朝日「超お宝映像で振り返るM-1衝撃の瞬間SP」内で「M-1グランプリ2023」の審査員が発表されました。
落語家・立川志らくさんに変わる新たなメンバーとして漫才コンビ「海原やすよ ともこ」の海原ともこさんの名前が明かされました。
「―やすよ ともこ」は吉本興業の笑いの殿堂「なんばグランド花月」を同期にあたる「中川家」と並んで支えている漫才の大看板です。
大阪と東京のオバチャンを比較していく漫才などが代表ネタで、お二人が年齢を重ねるごとにネタとのシンクロ率が増していき、面白さが濃厚になっている。現時点での力、さらなる伸びしろ。どちらもあるコンビで、芸人仲間からも尊敬の念を持たれている方です。
実績としては十二分なともこさんですが、第一回の「M-1」から取材してきた中で痛感してきたのが“審査員の重圧”です。大変という言葉を超えて、残酷という表現のほうが適しているレベルだとも思います。
「M-1」を「M-1」たらしめているのが審査員の説得力です。創設者の島田紳助さん、今も審査員を続ける松本人志さんに代表される「この人が言うんだったら、もうそれが答え」と視聴者にも、出場者にも納得させる説得力。これを持っている人はそういません。
「M-1」に出場する芸人さんたちにとっても人生をかけた戦いですが、出場者は優勝という売れるためのチケットをゲットする。そこまで届かなくとも、ファイナリストとして評価を得る。「M-1」という場に向かう大きなメリットがいくつもあります。
一方、審査員の皆さんは、審査員に選ばれるくらい既に大きな城を築いている人たちばかりです。もう、ある種の“あがり”にまで達しています。
その人たちが審査員が審査される場である「M-1」に出て行く。これまで築き上げてきたものが一気に瓦解をする危険性もあります。
清純派女優として映画を極めた方がヌードになる。それくらいの思い切りに喩える芸人さんもいますし『ギャラが10億円でもお断りする』とおっしゃっている芸人さんもいます。
そこに歩を進めるには、恩返しなり、使命感なり、矜持なり、何かしらのワードで自分を鼓舞するしかありません。
2018年には大会後に審査を務めた上沼恵美子さんへの不満を出場者が動画で生配信するという騒動もありました。
その結果、騒動の8日後に収録された読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」には大きな注目が集まりました。
同番組には僕も今に至るまで出演していて、その日も出演者としてスタジオにいましたが、間違いなく言えることが一つ。収録は、爆発的に面白かったです。
その日の上沼さんの発言は全て“160キロのど真ん中ストレート”。火の出るような直球から、芸人としての矜持、審査をするということの重みをこの上なく感じました。
そして、僕が心の底から震えたのは番組の最後でした。
出演メンバーと飲みに行く話になり、ゲストの若手漫才コンビ「祇園」が「今度、飲みに連れて行ってください!」と上沼さんにリクエスト。
それに対し「ぜひ!ぜひ!」と笑顔で答えつつ、そこからサッと声のトーンを変えて「でも、若い漫才の方のグデングデンは嫌い!」と切り捨て、スパッと番組を締めました。
剣豪に斬られると、斬られた側が気づかない。そんな逸話は歴史上の話としては聞いたことがありましたが、それを実体験した思いでした。
オール巨人さんに審査員のお話をうかがった際にも独特のつらさを語ってらっしゃいました。
「これはね、非常に疲れます。一組一組、ネタをしている4分の間にいろいろ考えるんです。もちろんネタの評価もしながら、その後に『これは言った方がいい』とか『これはこの場では言わない方がいい』とかも考えながらネタを見る」
「そんな感じでフルパワーでネタを見てたらね、たいがい、5組くらい審査したところでものすごく頭が痛くなってくるんですよ。最後まで放棄することなく最後までできるのか。心底それを心配するくらい、実はギリギリの場でもあるんです」
出場者はもちろん、審査員もスタッフさんも関わる人がそれぞれに覚悟を持って臨む場が「M-1」。それだけの場だからこそ、12月24日にはまた新たなスターが誕生する。その事実が揺らぐことはありません。