北海道で唯一!日本海の車窓風景を間近で楽しめる鉄道 「小樽発新千歳空港行」の快速エアポート号
北海道の鉄道路線のたびかさなる廃止により今や北海道の鉄道で日本海の車窓風景を間近で楽しむことができるのは、小樽市内の小樽築港―銭函間が唯一の区間となってしまった。この区間には小樽駅と新千歳空港駅を結ぶ特別快速・快速「エアポート」号が日中時間帯にはそれぞれ毎時1本ずつ設定されており、840円の追加料金を払い指定席uシートを予約すると、ゆったりとしたリクライニングシートで車窓風景を楽しむことが可能だ。筆者は3月下旬、快速「エアポート」号を小樽駅から新千歳空港駅まで1時間20分かけ乗り通したので、今回はその時の様子を紹介したい。
日本で3番目に開業した鉄道「小樽―札幌」間
筆者が小樽駅へと降り立ったのは午後の13時過ぎのこと。小樽駅のプラットホームは、倶知安からの普通列車と新千歳空港からの快速列車が到着したばかりで、かなりの混雑をしていた。筆者は、小樽駅5番線を13時17分に発車する快速エアポート110号で新千歳空港まで乗り通す。新千歳空港までの所要時間は1時間20分となり、ゆったりとした座席で過ごしたいことから指定席uシートをとることにした。
この3月のダイヤ改正で、日中に小樽から新千歳空港に向かう列車は「快速」と「特別快速」エアポートの毎時2本体制となった。10時台から14時台に小樽駅を発車する「快速」は手稲駅までの各駅と琴似、桑園に停車。特別快速は、南小樽、小樽築港、手稲、琴似、桑園に停車し札幌に向かう。
快速エアポート号の走る小樽―札幌間は、日本最初の鉄道である新橋―横浜間、大阪―神戸間に次いで日本に3番目に開業した鉄道だ。1880年に小樽市内にあった手宮駅から札幌駅までの区間で開業した官営幌内鉄道は、三笠市幌内にあった幌内炭鉱で産出される石炭を小樽港に運ぶ目的を果たすため1883年に幌内駅まで延伸された。なお、初代の小樽駅は、現在の南小樽駅だった。列車は小樽駅を発車すると眼下に小樽市の街並みを見下ろしながら南小樽、小樽築港駅へと停車。小樽築港駅を発車すると進行方向左側の車窓には日本海の景色が広がった。
小樽築港―銭函間の日本海に面した区間は、崖と海岸線のわずかな隙間に線路が敷かれており、明治時代にこの区間の鉄道建設を行った先人たちの労苦が偲ばれる。また、ちょうどこの区間は、石狩湾という湾になっていることから、対岸には洋上風力発電の風車が並ぶ石狩市の海岸線もよく見えた。車窓から見ることのできる恵比寿岩も大きな見どころだ。
銭函駅からは列車は内陸部へと入り、雪化粧された札幌の市街地を車窓に眺めながら、札幌駅には13時57分に到着した。小樽駅からの所要時間は40分。札幌駅では3分停車し、14時ちょうどに新千歳空港に向けて発車した。
千歳線は戦前は私鉄路線だった
札幌駅を発車し白石駅を過ぎると列車はこれまで走ってきた函館本線と別れ千歳線区間へと入る。札幌からの停車駅は、新札幌、北広島、恵庭、千歳、南千歳、そして終点の新千歳空港となる。
千歳線は、北海道鉄道札幌線という私鉄路線として1926年に開業したことが始まりだ。当時の国有鉄道は、幌内炭鉱などがある岩見沢方面から室蘭港への石炭輸送を重視していたため、室蘭や苫小牧方面から直接札幌に向かう鉄道路線が存在せず、その短絡ルートを確保する目的で建設された。その後、1943年に北海道鉄道札幌線は戦時買収され国有化。国鉄千歳線となった。
新札幌駅を発車し、北広島駅が差し掛かると、車窓右手方向には、昨年2023年に開業したプロ野球・日本ハムファイターズの新球場・エスコンフィールド北海道が見えた。新球場は、線路のすぐそばに建設されており新球場へのアクセス改善を図るために新駅の建設が予定されているが、その開業予定は2028年とされており、ともうしばらく時間がかかる様子である。季節は3月下旬ではあるが、北広島市の市街地も雪に覆われており、車窓からは雪化粧した街並みがよく見えた。
筆者が今回、乗車した車両は製造初年度が1988年の721系電車だった。「エアポート」号に使用されている車両は、721系電車と733系電車の2形式が存在するが、721系電車は製造から30年以上が経過したものも多く、徐々に引退が進んでいる。指定席uシートも、通常の茶色のリクライニングシートではなく、一世代前の赤と青のリクライニングシートだったことも印象的だった。
列車は南千歳駅を発車し地下区間へと入るとほどなくして終点の新千歳空港駅に到着。到着時刻は14時37分。札幌駅からの所要時間は37分で、小樽駅からのトータルの所要時間は1時間20分だった。新千歳空港駅では多くの旅行者が下車し、皆、足早にそれぞれの故郷に向けての帰路についていたようであった。
(了)