「集団免疫はいずこ」都市封鎖避けたスウェーデン 首都のICU病床使用率99%に 米国並みの感染爆発
相互医療援助の協定結ぶ近隣諸国に連絡
[ロンドン発]都市封鎖を避け、世界の注目を集めたスウェーデンが、ドナルド・トランプ米大統領の無策で感染爆発が広がるアメリカの後を追っています。ストックホルムでは集中治療室(ICU)の病床の99%が埋まったため、相互医療援助の協定を結ぶ近隣の北欧諸国に連絡を取ったと報じられています。
統計サイト「データで見た私たちの世界(Our World in Data)」から人口100万人当たりの新型コロナウイルス新規感染者数(7日平均)を見てみましょう。
スウェーデンのグラフは見事なまでにアメリカと重なっていることが分かります。12月12日時点でアメリカ639人、スウェーデン583人。フランスは10月17日から夜間外出禁止、同月30日から全土で都市封鎖(11月27日まで)を再実施した結果、新規感染者数を823人から155人にまで減らしました。
人と人の接触回数を劇的に減らすことができる都市封鎖は経済に与える影響が大きい半面、感染爆発を抑える効果はてきめんです。
一方、日本では観光・飲食業支援策「Go Toキャンペーン」が感染を広げ、医療崩壊のリスクを膨らませたとして非難されている菅義偉首相の支持率が低下していますが、新規感染者数は20人。欧米諸国の惨状に比べると、日本の状況はまだ「序の口」であることが分かります。
マスクも着用せず
マスク着用を大統領選の争点にして自滅してしまったトランプ大統領のアメリカでも世論調査会社ユーガブの調査によるとマスク着用率は80%に達しているのに、スウェーデンは11月20日時点で15%止まり。何があってもとことんマスクは着けない自分流を貫くのがスウェーデンのスウェーデンたる所以です。
別の統計サイト「ワールドメーター」によると、人口100万人当たりの死者は――。
アメリカ923人
フランス886人
スウェーデン742人
日本20人
欧米諸国の中でも人口100万人当たりの死者で見ると、都市封鎖など厳格な封じ込め政策を避けたスウェーデンは犠牲を広げてしまった負け組国家の中に間違いなく含まれています。
地元メディアによると、人工呼吸器を備えたICUの病床数は12月9日時点で673床。このうち550床がコロナ患者261人や他の患者で埋められており、空いているのは18%。ストックホルムにはICU病床が160床ありますが、その99%が使われているそうです。
相互医療援助の協定を思い出させるため、スウェーデンは近隣諸国のノルウェー(人口100万人当たりの死者71人)やフィンランド(同82人)、デンマーク(同162人)に連絡を取ったと報じられています。人口100万人当たりの死者の割合が一桁多いスウェーデンは北欧諸国の中では完全な落ちこぼれです。
かつては「スウェーデン・スペシャル」とまで称賛されたイメージはガタ落ちになっています。
遅まきながら公衆衛生的介入措置強める
スウェーデン政府は11月24日から、それまで50~300人まで認めていた集会やイベントの参加者を8人に減らすなど公衆衛生的介入策を強めました。
ステファン・ロベーン首相は「この秋、私たちの多くはアドバイスや推奨事項に従うことを怠った。しかし今、旅行する人が少なくなり、自宅で仕事をする人が増えている。そうし続けてください」と協力を呼びかけました。スウェーデンの公衆衛生的介入策は実は個人頼みの日本に比べてはるかに厳格です。
「集団免疫の概念は素晴らしい」という発言が広めた誤解
スウェーデンのコロナ対策を主導した国家疫学者アンデシュ・テグネル氏は今年3月、地元メディアにこう話しました。
「われわれの主要な戦術は(感染が一定レベルまで広がり、それ以上広がらなくなる)集団免疫ではなく、主要な戦略は感染の広がりを遅らせて医療を逼迫させないことだ。この2つの目標は矛盾しない。集団免疫の概念は素晴らしい」
テグネル氏はこのあと何度も「集団免疫」について言及する一方で、前任者もスウェーデンの戦略は集団免疫理論に基づいていると発言しました。
欧州諸国が次々と都市封鎖に追い込まれる中、この発言とストックホルムで人々やカフェやレストランでの飲食やスキーを楽しんでいる映像が合わさって「スウェーデンは集団免疫の獲得を目指している」という報道が世界中を駆け巡りました。
しかし実際にはスウェーデン政府と公衆衛生当局は、こうした見方を何度も否定しています。また、ストックホルム以外では映画館やスキー場は閉鎖されていたそうです。「集団免疫」を明確に否定しなかったテグネル氏のパブリックコミュニケーションは完全に破綻していました。
スウェーデンが私たちに教えてくれることは、効果的なワクチンや治療薬が広範囲に使えるようにならない限り、緩いコロナ対策をとり続けていれば、いずれ手に負えなくなるという当たり前の現実です。
(おわり)