日常に遊びを「人間が好き」ディープインパクトのSTAY HOMEの過ごし方 【#コロナとどう暮らす】
「ディープ、ちゃんと遊んでいるかな?」
ディープインパクト、死す。
あの衝撃的なニュースが飛び込んでから、1年が経った。その日のディープが亡くなったとされる時間、筆者は栗東トレセンでディープインパクトの現役時代の担当者だった市川明彦厩務員とディープの健康を気遣う話をしていた。夏の日差しが眩しい中での立ち話、その光景をずっと忘れることはないだろう。
2019年春、ディープインパクトが首や腰を痛めたために来年の種付けに向けて休養している、ということは認識していた。しかし、それ以上のことは知らず、ただ愛馬の現状について伝え聞く話を共有しながら思いを馳せるばかりだった。
「ディープ、ちゃんと遊んでいるかな?」
市川厩務員はディープが栗東を離れてからもずっと、大スターの日々の過ごし方を気にしていた。超一流の種馬場で繋養されているのだから、当然VIP待遇に違いない。しかしそれでも、長く共に戦った仲間は「遊んでいるかな?」と愛馬の娯楽について思いやっていた。
ディープインパクトは制限ある環境下でも自分なりの楽しみを見つけていた
実はディープインパクトは、制限のある環境の中でもマイペースに過ごしながらリラックスするのは実に上手だった。そして、その中でJRA史上屈指のパフォーマンスを発揮した。
その制限とは――?
ディープインパクトは2歳の秋にJRAの施設である栗東トレセンに入厩してから5歳12月の有馬記念(GI)翌日に現役を退くまで、ずっと競馬場の管轄にある施設で時を過ごした。実は、競走馬の中でこれはレアケースであった。
大半の競走馬は"放牧"といって、現役中も時折、競馬場の管轄にある施設(日本ならトレセンや競馬場などのJRAの施設)から出て牧場などで過ごす機会が与えられる。放牧に出す目的は、一般的にはリラックスがあげられる。レースを控えた馬たちの近くで過ごし続けることがストレスとなるケースも少なからずあるので、緊迫感の高いトレセンから離れてのんびりとさせるためだ。まぁ、実際のところは、JRAの施設には馬房数に制限があるため、その限られた枠の調整のために入れ替わりで馬房調整を目的として放牧に出されるケースもある。いずれにせよ、何らかの事情でどの馬も期間の幅はさておき、放牧に出るのが常である。
しかし、ディープインパクトは競走馬現役中は放牧に出ず、ずっと栗東トレセンや札幌競馬場、東京競馬場の厩舎で管理され続けた。海外遠征時も日本のトレセンと比べたらのんびりした雰囲気ではあるがレースへの出走を間近に控えた馬たちが顔を並べる厩舎に滞在していた。
競走馬はレースや追い切りで気持ちが昂ることが少なくない。そんな気が立っている僚馬の様子を察知し、同じように興奮してしまう競走馬も多い。
そんな中、ディープインパクトはマイペースであった。当時の池江泰郎厩舎といえば、かなりイケイケの気の立った競走馬も多く在厩していたのだが、ディープインパクトはそんなことはお構いなし。他の競走馬たちがどう過ごそうと我関せずで、日々ディープなりの"息抜き"をしながらリラックスしていたそうだ。
そのリラックスの秘訣は、日々の遊びにあったという。
担当の市川厩務員は日々、ディープと遊んでいた。午後の手入れ等、日常の業務が終わったあと、来客の多いディープだったが、そういった環境をうまく取り入れながら、ディープなりに遊んでいた。
「ディープは人間が好きでした。素直で優しい、でも気が強い。近寄る人間のこともよく見ていて、時には人を噛むこともあった。でも、人が困るほど強く噛むことはなかったですね。特に女性に対しては"甘噛み"でした。」
かく言う筆者もディープインパクトに甘噛みされたひとりである。筆者はこれでも取材慣れしており、後にも先にも取材中に噛まれたのはディープインパクトだけだ。取材中ということもあり、まして相手は大スターなので接するあいだは普段以上に気を遣う。しかもディープは噛むと知っていたのでちゃんと構えていたつもりだった。しかし、相手が一枚上だった。ほんの僅かなスキを見抜いて筆者はディープに腕を噛まれた。ディープは甘噛みのつもりだろうが十分痛い(笑)。でも、もしかしたら今の"遊び"でディープが楽しんでくれたなら何より。本当に心からそう思ったものだ。
「三冠馬だって、休み時間に遊びたければ遊べばいい。適当に遊んでやってください。」
この"遊びたければ遊ぶ"というのがポイントで、ディープ自身が"遊びたくない"と思えば、どれだけ人が近寄ってきても相手にしなかったそうだ。それに、ディープインパクト自身がその遊びをストレスに感じるようであれば、陣営は真っ先に遮っただろう。実際、ディープインパクト自身が興味のない人に対しては、いくら近寄られても興味を示さなかったそうだ。お腹がすけばカイバをねだるし、自分がかまいたい人とだけ遊ぶ。あくまでも自分の気持ちに正直に行動していたのが良かったのではないか。
いまこのコロナ禍において、我々はディープインパクトとは真逆で人と接する機会を制限された環境下での生活を余儀なくされている。でも、制限の幅から言えば、我々より日々のすべてを管理されているディープインパクトのほうが遥かに自由度の低い生活を強いられていたはずだ。それでもディープインパクトは緊迫感のある毎日の中で自分なりに寛ぎながら結果を出し続けた。改めて、そんな偉大なディープインパクトの日々の過ごし方を学びたいものだ。