ディープインパクトが残した偉大な足跡~三冠までの足取り
最期まで大きな衝撃。陣営「まさか、早過ぎる」
30日午前、ディープインパクトがこの世を去った。このところ、腰があまり良くないとされており、頸部にも異常が見られたため28日に手術が行われていた。それは無事成功したが29日に起立不能となり、30日のレントゲン検査で頸部骨折が判明したために安楽死処分がとられた。
ディープインパクトは史上2頭目の無敗で三冠を制したのをはじめ、天皇賞(春)、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念などGIを7勝した歴史的名馬だった。総収得賞金14億5455万1000円。
競走生活を4歳いっぱいで引退したあとは種牡馬に転身。小柄ゆえに成功を懸念する声もきかれたが、結果は2012年から7年連続リーディングサイアー。キズナ(2010年)、ディープブリランテ(2012年)、マカヒキ(2013年)、ワグネリアン(2015年)、ロジャーバローズ(2019年)ら5頭の産駒が日本ダービー馬となる偉業を成した。
筆者は幸いにしてディープインパクトの現役時代、近くで取材をさせていただいたひとりであった。ディープの現役時代の成績は衝撃そのものであったが、また世を去るこの時もまた、深い衝撃を私たちに与えていった。
競走馬として、種牡馬として偉大な功績を残したディープインパクトだけに17歳で生涯に幕を閉じるのはあまりに短いように感じる。やむを得ないこととはいえ、競走馬時代に携わってきた池江泰郎元調教師をはじめ、調教パートナーだった池江敏行調教助手、市川明彦厩務員はまったく同じ言葉を口にした。
「まさか、早過ぎる。」
そんなディープインパクトが三冠馬になるまでの生きざまを駆け足で振り返ってみた。
■2005年 皐月賞
ディープインパクトに跨った武豊騎手、池江陣営に「この馬、ヤバイですよ」
2002年3月25日、北海道安平町のノーザンファームで父・サンデーサイレンス、母・ウインドインハーヘアという血統の牡馬が生まれた。幼少期は母馬の名前をとって「ハーちゃん」と呼ばれていた。
とても可愛い顔をしたこの仔馬は、小柄ながらとても軟らかく上手に体を使っていた。少し神経質なところがあって周囲の物音に敏感に反応することもあり、あるときは調教中に鳥に驚いて大きく飛んでみせることもあったという。幼少期からディープインパクトは"飛んで"いたのだ。
2002年の夏、セレクトセールに上場され7000万円で金子真人氏に落札され、のちに"多くの人々に衝撃を与える馬になって欲しい"という想いからディープインパクトと名付けられることになる。
2004年9月、ディープインパクトは全兄のブラックタイドも所属していた池江泰郎厩舎へやってきた。しかし、その姿は馬格のあった兄と比べるとかなり小柄だった。その上、顔もあまりに可愛いらしいので、担当となった市川明彦厩務員は、本当に牡馬かと疑ったほどだった。
そんなディープインパクトが話題になり始めたのは、入厩から1か月ほど経ったころだった。坂路での調教タイムが想定よりかなり速かったために、かなり疲れているかと思いきや、息を乱すことなくケロッとしていた。この時から陣営はディープインパクトが普通の馬ではないことを意識し始めた。そして、デビューの直前の12月15日、栗東のCウッドコースでレースで騎乗予定の武豊騎手が初めてコンタクトをとり、強めに追われて軽やかに伸びた。
そしてこの時、池江陣営に武豊騎手は言った。
「この馬、ヤバイですよ」
■2005年 日本ダービー
圧勝の三冠。しかし、ゲートではヒヤヒヤ
その言葉のとおり、競走馬・ディープインパクトは多くの人たちの度肝を抜いた。
12月19日の新馬戦は楽な手ごたえでレースをすすめ、豪快な末脚で後続に4馬身差をつけての圧勝だった。
続く2戦目の若駒Sではゲートで立ち遅れて最後方からの競馬。逃げるテイエムヒットベと同じ池江厩舎のケイアイヘネシーが二頭で後続を大きく20馬身以上も離す展開。この差をどう詰めるのかと思いきや、3コーナーから4コーナーにかけて差を縮め、直線では大外から他馬をゴボウ抜き。2着のケイアイヘネシーに5馬身もの差をつけての圧勝だった。
3戦目は初重賞挑戦の弥生賞だが、着差はクビ。今思えばこのときが一番の接戦であった。
その後の三冠レースでの圧勝ぶりはあまりにも有名だ。しかし、ゴールを過ぎればあっけなさを感じるものの、ゲートの出は不安定で決して安心できるものではなかった。
皐月賞では、ゲートの発走直後に大きくバランスを崩してしまった。
日本ダービーではゲートを立ち上がるかのように伸びきっての発馬。しかし、ゴール前は豪快にひとまくりを決めた。
菊花賞では珍しく好スタートを切ったが、1周目の4コーナーからスタンド正面にかけて引っかかってしまって多くの方々をヒヤヒヤさせた。賢すぎるゆえ、これまでのレース同様、"この位置でスパートするものだ"と勘違いしてしまったのだ。
それでも、ゴール前は必ず矢のような脚で"飛んで"きて、豪快に最初にゴール板を駆け抜けてみせた。
いずれも同世代が鎬を削るGIの舞台では、致命的な敗戦理由になってもおかしくなかった。でも、ディープインパクトはゴール前でまったく危なげなかったような印象すら与える余裕のある勝ち方をみせてくれた。
武豊騎手はディープインパクトのことを"英雄"と呼んだ。それほど、特別な馬だった。
■2005年 菊花賞
池江泰郎元調教師はディープインパクトが無敗で三冠を制したことを振り返ってこんな話をしていたが印象的だった。
「ディープインパクトは優等生でした。でも、いくら類稀なる能力があるとはいえ、クラシック三冠への挑戦は未知の世界。無事、三冠を果たせたときは感激と安堵で心がいっぱいになりました。」
そして、写真を見てもわかるとおり、ディープインパクトのその独特な走法は大いに話題になった。大きなストライドながらもピッチの効いた、まるでチーターを彷彿させる鋭いフットワーク。弾むように走るその姿を見て、人々は言った。
「ディープが"飛んでいる"」、と。