今週末、どこ行く? お風呂で完全脱力し【温泉ごはん】蟹・牛乳に感動!
お風呂好きの主のマジックで「完全脱力」
おいしい旅館「湯宿だいいち」(北海道・養老牛温泉)
温泉旅館は基本的に1泊2食で、温泉に入り、食べて、寝るという実にシンプルな行為をする場所。だから、どこも似た印象を持つ人もいるかもしれない。
実際は違う。温泉旅館それぞれのクリエイティビティが光る。特に、お風呂は個性が現れる。
北海道中標津にある養老牛温泉「湯宿だいいち」は、広大な敷地に12本もの源泉を保有する。使用している源泉は6本に絞っているが、その湯量の豊富さゆえ、「だいいち」にある湯船は合計30にも及ぶ。熱い源泉なので、温度調整のために川の水を加えている。
会長の長谷川松美さんは温泉をこよなく愛し、日本中の温泉に入っている。
「山形の肘ひじおり折温泉の、あのとろんとしたお湯は最高だね~」
温泉話を始めれば、源泉から湯が溢れ出るように、その話は途切れることはない。
そうしたお風呂好きの主が作るお風呂は一味違う。渓流沿いの露天風呂はその一例。湯船から渓流に手が届きそうな距離感、目の前の崖の原生林を眺める爽快感たるや。運が良ければ、天然記念物のシマフクロウが頭上を飛んでいく。
長谷川マジックは露天風呂だけに留まらず、真骨頂は「寝湯」にある。文字通り、身体を横たえて湯につかる湯船を寝湯と言い、あちこちの旅館で寝湯を体験してきたが、〝帯に短し、襷たすきに長し〟であった。
よくある寝湯は、湯船の縁に枕になるような木や石などが設置されている。その枕に頭を置き、身体を浮かせるのが最高に気持ちがいいのだが……。
そもそも寝て湯に浸かるのには浮力が必要で、身体の力を抜かなければ、浮かない。しかし、毎日を忙しく生きる我々は、そう簡単に身体から力は抜けず、浮かないままなのだ。すると浮こうとして、かえって身体に力が入って緊張するという、本末転倒が起こってしまう。
その点、お風呂好きの長谷川さんが作った寝湯は深さ30センチでこれが絶妙。身体を横たえると、足先や腰が来る位置に、ちょっとした支える台(凹凸)があり、その台に足なり、腰なりを置くと、身体が安定し、力が抜けて浮きやすくなる。
だから長谷川さん作の寝湯に身体を横たえると、すぐにリラックスして、浮くのだ。小さなことのように思えるだろうが、その違いは大きい。
さらに温泉の温度はぬる湯の37度。長く入れて緊張感を取るには適温である。
しばし目をつむり、入浴する。
脱力――。
「僕が入りたいお風呂を作っているからね」と笑う長谷川さんの名作である。
寝湯で寛いだ後は夕食。ほどよく空腹になり膳を前にすると、根室産の無添加うにオホーツク海産の生帆立、帆立の浜焼き、そして、めんめが丸ごと一匹、だいいち特製の和風あんかけで出された。
釜飯は白米、鶏、花咲ガニから選べ、私は迷わず花咲ガニ。
「冷凍のまま炊き込んでご飯に風味を出す」と長谷川さんがおっしゃっていた通り、ご飯から海の香りがした。初夏、浜に行くと強い潮風が吹き抜けるが、あの鮮烈な潮の香りだ。感動。
それだけではない。私は翌日の朝食にとんでもない体験をしてしまう。前夜の感動を上回る衝撃だった。
なんとそれは牛乳。さすが、酪農の中標津。
「養老牛放牧牛乳」といい、朝のビュッフェ会場では「おひとり1本」と明記されているほどの人気ぶり。
牛乳瓶の分厚い紙の蓋を開けると、上澄みが固まっている。その塊を口に含むと、まるで生クリーム。クリーム状の牛乳を噛みしめると甘みが広がった。
ごくごく飲むと、体中がミルクに染まるかと思うほどの濃厚さ。飲んだ後も、その香りは口の中に残り、何を食べても牛乳を感じていた。
この旅ではお風呂を存分に堪能したくて、2泊した。2泊目の夕食は、1泊目と全くかぶらないメニューで、長谷川さんの工夫が窺われ、特にうま味が凝縮された中標津産のミルキーポークが心に残った。
そして、やはり3日目の朝食でも「養老牛放牧牛乳」に圧倒されたのだった。
※この記事は2023年4月6日に発売された自著『温泉ごはん 旅はおいしい!』(河出文庫)から抜粋し転載しています。