【昭和100年】「眠くなると、手の甲に針を刺し、ロウをたらす」昭和の大脚本家の執筆を支えた名温泉女将
山形県かみのやま温泉「古窯」は大女将、女将、若女将と三代の女将が取り仕切る。 大女将の佐藤幸子さんは、昭和、平成、令和を見つめてきて、女将歴は七〇年。女将た ちのバイブル『からっぽの金庫から』等、著作も多い。
その経歴から、人をのみこんでしまうような圧倒的な存在感の女性を想像していたが、 初めてお会いした時、小柄で穏やかな様に意表を突かれてしまった。美しく髪がセットさ れ、薄化粧を施した上品な方。ただ、ひとたび語り始めれば、山形訛 なま りの素朴なイントネ ーションで和ませてくれるし、愛嬌もある。これぞ人を寛がせる達人というものか─ ─。
幸子大女将が初めて花登に会ったのは「細うで繁盛記」の放送三回目が終わった頃。こ の日、とある会合に出席していた花登は、歯痛で機嫌も悪く、仏頂面だった。幹事から 「頼む、花登の相手をしてくれないか」と泣きつかれ、幸子大女将は「古窯」に美空ひば りがやって来た時のエピソードや旅館の裏話をして花登の気持ちを和らげた。
その直後から花登と幸子大女将の交流が始まった。
花登は「古窯」に来ては、二週間ほ ど滞在して脚本を執筆した。幸子大女将は花登のために「細うで繁盛記の間」を作り、ベ テランの仲居を花登に付け、万全のサービスを心がけた。 当時はメールもファックスもなく、原稿は手書きの時代だ。花登が原稿を完成させる頃 合いを見て、仲居が原稿を取りに部屋を訪ねる。
「早すぎても、遅すぎても怒られるんです。『午後三時に取りに来い』と言われたなら、 指定の時間きっちりに仲居を行かせました。先生はお昼を食べずに原稿に没頭していましたから、原稿を受け取った時に、仲居か ら先生の好物のうな重を渡しました。先 生は、『女将だな』と、にやっと笑った そうです」 脚本を完成させ、安堵とともに空腹を 覚えたその時に差し入れられる好物の昼食。このタイミングの見事さ、女将の計らいに花登ならずとも感心するしかない。
幸子大女将が花登の執筆を支えたのは、 創作に苦しむ姿を見ていたから。
「先生はね、眠くなると、手の甲に針を刺すんです。それでも眠気が襲ってくる と、ろうそくに火をつけて、ロウを手の甲に垂らしたりして、本当に辛い思いを しながら書いていました。原稿を書き上 げると、『僕は一人なら脚本だけ書いて いればいいが、劇団の役者の面倒を見責任がある』という言葉が耳に残っています」 花登との交流は濃く深かった。「古窯」が銀座に、山形の郷土料理の店を出す際には店 内のインテリアをコーディネートした。 そんな花登は晩年、放送を開始したばかりのNHK連続テレビ小説「おしん」を観て、「あの子は伸びるよ」と脚本の橋田壽賀子を絶賛した。結局、花登は橋田に直接会うこと はないまま亡くなる。幸子大女将が、花登の言葉を橋田に伝えると、「私は花登先生のシ ナリオを読んで学んだんです」と橋田は感激していたという。
※この記事は2024年6月5日発売された自著『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』から抜粋し転載しています。