長大な帯状の雲の下で起きた「飛騨川バス転落事故」
長大な帯状の雲
気象庁では、昭和43年8月からアメリカの軌道衛星の画像を受信し始めています。静止気象衛星「ひまわり」が打ち上げられる9年前の話です。
最初は「エッサ8号」という衛星でしたが、いきなり、これまで知られていなかったパターンの豪雨を観測しています。
これが8月17日から18日に発生した飛騨川豪雨です(図1)。
「エッサ8号」によると、飛騨川上空には日本海北部にある台風7号から変わった温帯低気圧から延びる寒冷前線に伴う雲の帯がかかっています(図1)。この雲の帯は、さらに南下し、日本のはるか南海上にある熱帯低気圧(後に台風9号に発達)まで伸びています。
南北の熱帯低気圧は2000km以上も離れているにもかかわらず、それを連結する帯状雲の幅が200km程度と、非常に細長いとのが特徴です。長期間にわたって帯状雲が被っている場所があると、そこでは記録的な雨量の集中豪雨が発生するのですが、この帯状雲が少しでも動けば、雨は止み、記録的な集中豪雨にはなりません(図2)。
飛騨川豪雨から6年後の昭和49年7月7日にも同様のことが起きています。
長大な帯状の雲が東シナ海から日本海に入った台風8号から、日本の南海上の熱帯低気圧に向かって伸びており、その雲が静岡県清水市(現在は静岡市清水区)の上空にかかり続けました。このため、清水市では、7日9時からの24時間で歴代1位の508ミリの雨を観測し、安倍川や巴川の氾濫、土砂崩などで死者27人、浸水家屋2万6000棟等という大災害が発生し、七夕豪雨と呼ばれています。
気象衛星による観測が始まるまでは、このように長大な帯状雲があることさえも分かりませんでした。
飛騨川豪雨
昭和43年の台風7号は、日本の南海上をゆっくり西進し、8月13日には東シナ海に入っています。そして、14日夜進路を急に北東に変えて対馬海峡を通過、加速して17日夕方沿海州で温帯低気圧となっています(図3)。
台風7号から変わった低気圧から伸びる寒冷前線が通過する際、各地で大雨被害が発生しましたが。特に、岐阜県内では1時間に100ミリ超える大雨が降り、局地的には総雨量が300ミリを超えています(図4)。
この大雨により、18日午前2時11分、悪天候により国道41号を引き返していた2台の観光バスが集中豪雨に伴う土砂崩れに巻き込まれて川に落ち、乗員・乗客104名が亡くなるという事故が発生しています。
岐阜地方気象台は17日午後8時に雷雨注意報、10時30分に大雨洪水警報を発表しましたが、この警報は、愛知県犬山市を午後10時に出発した観光バスには伝わりませんでした。
なお、この時の近畿から東海地方の大雨被害は、死者・行方不明者は119名、浸水家屋は1万6000棟などとなっています。
「分からない」というのも重要な情報
昭和52年には、軌道衛星より大雨観測に適した静止気象衛星「ひまわり1号」が打ち上げられ、その後も機能が進化した後継機が打ち上げられています。
静止気象衛星の登場で、大雨をもたらす雲の様子が詳細にわかり、予報技術が飛躍的に向上しました。しかし、自然現象は奥が深く、まだ分からないことが沢山あります。
飛騨川豪雨のとき、「分からないというのも重要な情報であり、常に心しておくことが大事」ということが言われています。それは、「分からない」なら判断を保留するので、分かったつもりの間違った判断での行動より、防災に適した対応となるからです。
その考え方は、今でも同じです。
気象情報は直前になれば精度があがります。
「具体的なことが分からない」段階の情報を入手したなら、最悪の場合を想定して早めに行動することと、常に最新のより精度の高い情報入手に努めることが、自分の命を守ることにつながります。