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【横須賀市】JR田浦・伝説の食事処 夜城のご主人に会えた!その一歩で奇跡が起こるかも?!

うみのとなり地域情報発信ライター(横須賀市)

横須賀の情報を発信!うみちゃんです。

あるご自宅の庭にはたわわに枇杷の実が成っています。

「立派な枇杷ですよね」と近くで佇んでいた男性にお声をかけると、ここのご主人とのこと。

「甘くておいしいよ。取っていっていいよ」と笑顔で仰ってくださいました。

しかし、高くて手が届きません。

するとご主人は自宅から杖を持って来てくださり、枝に引っ掛けて引っ張り、一緒に収穫してくださいました。

JR田浦駅

JR横須賀線 田浦駅は明治37年5月1日に開業しました。横須賀の海軍工廠にとって重要かつ古い歴史を持つ駅です。

田浦駅を下車し、長い跨線橋を通って北口に向かいます。

正面には相模運輸倉庫株式会社の倉庫が見えます。

田浦駅近くの長浦港は明治から太平洋戦争終戦(昭和20年)まで軍港として使用され、戦後は緊急食糧輸入港として大きな役割を担いました。

現在は食料輸入や砂利、砂、石材などの作業船の基地になっており、一部は海上自衛隊に使用されています。

約60年以上の歴史 お酒・お食事 夜城

JR田浦駅北口からすぐのところにお酒・お食事 夜城があります。

夜城は約60年以上、この場所で営業し、2013年12月に閉店しました。

筆者は行ったことがありませんが「初めて行っても懐かしい雰囲気」「おでんやうどん、焼きそば、鰺フライ、目玉焼きなど何でも美味しかった」「防空壕にお手洗いが作られていた」伝説として語られるほど有名なお店。

気さくなご主人と女将さんがいる心温まるお店として長年愛されてきました。

約10年前に閉店した店舗はそのまま残っています。

春には黄色い花が咲き、6月には枇杷の実が成り、周囲の自然に守られているかのような雰囲気です。

お店の前を通るたびに「多くの人に惜しまれたお店のご主人はどうしていらっしゃるのだろう」と気になっていました。

奇跡が起きた!

ご本人の許可をいただき撮影しています。
ご本人の許可をいただき撮影しています。

ある日、たまたま通りかかると、男性が立っていらっしゃいました。

夜城のご主人か伺うと「そうです」と答えてくださいました。

ご病気をされたようで話すことや歩くのが、やや不自由な様子でしたが、目はキラキラと輝いています。

ご主人とご家族の歴史

ご主人は今年で86歳。

戦後、引き揚げて横須賀に住み始めたとのこと。若い頃は海上自衛隊の一般職で働いていたそうです。

「すぐそこで働いていたんだよ。この辺もずいぶん変わったよ」と当時の話を聞かせて下さいました。

ご自宅には2本の大きな枇杷の木があります。

「息子と娘が枇杷を食べた後に、植えたら大きく育ったんだ」とにっこり。

約50年で、ここまで大きく育ったとのこと。

「あっちには紫陽花も綺麗に咲いているんだよ」と見せて下さいました。

JR田浦駅北口周辺

JR田浦駅北口周辺は海上自衛隊の施設や倉庫が立ち並んでいます。

壁一面にが絡まった倉庫からは長い歳月を感じます。

倉庫の壁面の錆も趣があります。

役目を終えてもなお、この場所で佇む風景に郷愁を覚えるのは筆者だけでしょうか。

大きく育った枇杷の木を見上げる夜城のご主人。

約60年の夜城、86年のご主人の歴史に思いを馳せながら、交流したこの日の思い出は筆者の宝物になりました。

いただいた枇杷は酸味と甘さのバランスが良く、果汁たっぷりでした。

明日の行動につながる

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「あの場所は今どうなっているのだろう?」「疎遠になってしまったけれど、あの人は元気かな?」と気になっていることがあれば、何かアクションを起こしてみてはいかがでしょうか。

きっと奇跡的な何かが起こるに違いありません。

【お礼】

夜城のご主人、ありがとうございました。お健やかな毎日をお祈りいたします。

夜城の思い出を教えて下さったOSNKさんに感謝を込めて。

JR田浦駅
横須賀市田浦町1丁目6
公式HP
食堂 夜城(閉店しています)
横須賀市田浦町1丁目79

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地域情報発信ライター(横須賀市)

広報・営業・マーケティング歴約20年、ライター歴5年 「横須賀っていいな」「横須賀って楽しいな」「行きたいな、住みたいな」と思ってもらえる情報を発信しています。地元の人々の温かさと魅力を伝えたい! グルメやマリノス、ベイスターズが大好き。 取材希望の方はSNSからお気軽にDMくださいね。

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