不倫=絶対悪、同性への愛=禁断ではなくなった現代、「卍」に挑む。女性同士のラブシーンで苦労したこと
女性同士の性愛に焦点を当て、いまだ「禁断」といった背徳的なイメージの強い谷崎潤一郎の小説「卍」。
1928年に発表されてから、これまで何度も映画化されてきた同作が、令和のいま再びリメイクされた。
となると、これまで何度も映画化されてきた原作を、なぜいま再び描くのか?いま、改めて映画化する意味は果たしてあるのか?
そう疑問を抱くことはある意味、素直な反応かもしれない。
でも、いまだから「卍」なのかもしれない。むしろいまこそ「卍」ではなかろうか。
令和に届けられた「卍」を前にすると、そんな感想を抱く。
禁断はもはや過去で、「卍」という物語の世界が、いまという時代にひじょうにフィットしていることに気づかされる。
いま、「卍」と向き合って何を考えたのか?
W主演を務めた新藤まなみと小原徳子に続き、井土紀州監督に訊く。全八回。
ほんとうに気を抜けなかった
前回(第六回はこちら)、女性が見て「うそ臭い」と思われないよう、身に着ける服から、園子の経営する店まで徹底的にこだわったことを明かしてくれた井土監督。
こだわったと言えば、「卍」において園子と光子の性愛シーンというのもまた絶対におろそかにできない重要なシーン。こだわらないといけないポイントだと思うが、どう取り組んだのだろう?
「そうですね。
もちろん互いへの思いがあふれて、体を求めあう、愛の感じられるシーンにしなければいけなかった。
また、作品においても重要なシーンですから、ほんとうに気を抜けなかったですね」
彼女たちも『精も根も尽き果てた』といってましたけど、
僕ら撮る側も同じで精も根も尽き果てました
実際に現場に立った小原徳子と新藤まなみは、そのシーンだけで4時間ぐらい撮っていたと明かしている。
「そうですね。それぐらいかかりました。
たぶん、彼女たちも『精も根も尽き果てた』といってましたけど、僕ら撮る側も同じで精も根も尽き果てました。
いや、正直なことを言うと、ここまで大変になるとは想定していなかったんですよ。
こういうとちょっと語弊があるんですけど、ふつうの男女の性愛のシーンの場合は、最終的に男の方は二の次になるというか。
どうやっても、女優さんの方をいかに美しく、艶やかに撮るかという方向にいくわけです。
男性の俳優さんには申し訳ないですけど、女優さんがメインになっていく。
でも、『卍』の場合は、女性同士。つまり女優さんと女優さんの絡みになるから、どっちもメインになるわけです。
どちらも、もれなく美しく撮らないといけない。
二人ともしっかり撮りながら進めていかないといけないから、カメラマンも僕も一瞬たりとも気が抜けない。
だから、たとえば、小原さんをメインに撮っているとしますよね。そこに新藤さんは映っていないのだけれど、映っていないところですごくいい表情をしている。となると、もうカットバックを撮らざるえない。
これ相手が男性だったら、撮る判断にはならないと思うんです。
でも、二人とも女優さんでメインだから、外せないんですよ。
だから、ほんとうに大変で4時間ぐらいかかりましたね」
この二人の「濡れ場」に魅了されて、撮り続けたところもあったという。
「二人がこのときの撮影を『いつまで続くんだろうと思っていた』と振り返っていたんですけど、見続けていたくなるぐらいいいお芝居をしてくれていたんです。
新藤さんも小原さんもすごくいい表情をしていた。
前もお話ししましたけど、男女の場合は、わかりやすくフィニッシュがある。
だから、そこで止めればいい。
でも、女性同士だとそれがないから、どこでストップをかけていいかわからない。逆を言えば、どこでストップをかけてもいいわけです。
で、始まると、にこやかに目を合わせたり、少し微笑んで愛撫したり、すごくいい感じに時間が流れていって、なかなか止められない。
それでついシーンが長くなったところもあったと思います」
(※第八回に続く)
映画「卍」
監督:井土紀州
脚本:小谷香織
出演:新藤まなみ 小原徳子
全国順次公開中
筆者撮影以外の写真はすべて (C)2023「卍」製作委員会