【手帳のメリット】デジタル全盛の時代になぜ手帳?手書きの方が脳が活性化しているというデータがあります
デジタル全盛の時代になぜアナログ
こんにちは。デジアナリスト・手帳評論家・歌手の舘神龍彦(たてがみたつひこ)です。
今回もまたこの話題です。
なぜデジタル全盛の時代にアナログなのでしょうか。
手帳やノートを使っている人は、なんとなく感じていると思います。
手書きした方が頭に残る。記憶に定着する。
で、これは単にデジタルリテラシーが低いとかそういうことじゃないわけです。
だいたい、現代のビジネスパーソンならみな普通にパソコンやスマホは使えるはずです。
つまり、「手書きの方が記憶に残る、印象に残る」と言ってるのは、いわば実感です。ではなぜそんなことがあるのか。
これには複数の研究があります。
曰く、パソコンでタイピングするよりも、手書きした方が脳がよりよく働いている。
たとえば、誰かの講義を聴くときに、パソコンでタイピングするよりは、手書きの方がいっけん不利に思えます。それは、タイプする方が手書きよりも圧倒的に早く、また、より多くの情報を保存できそうに思えるからです。
ただし実際には、パソコンの場合なら、たとえばキーボードとかPCにインストールされているIMEなりがそれなりに手になじんでいる必要がある。そして思った通りに、相手の言葉をテキストにできる必要がある。これは、実は万人につねに保証されている環境ではない。
手書きは、頭の中での情報を編集して定着させること
さてでは手書きは、どうか。講義の言葉の全てを記録することは、手書きのスピードでは到底不可能。速記者のような例外はあるかも知れませんが。
で、実際にあたまのなかでおこなわれているのは、編集だと思います。
キーワードはなにで、それがどういうロジックで語られているのか。
結論がなにで、その根拠はなにで、事例としてはどういうものがあるのか。
こういうことを、話している人の中に内在する論理を自分なり推定・トレースしながらまとめていく必要がある。
わからない単語や英語は、ひらがなやカタカナを使う。それがもどかしくもあるけれど、予測変換や、変換候補の選択などのプロセスがない分、自分の知恵のなさを痛感させられる場面でもある。
手書きは、デジタルの下位互換ではない
つまり、経験としての質がまったく違うわけですね。
だから、手書きはデジタルの下位互換ではない。
むしろまったく異なる質の経験である。
現代におけるノートや手帳については、いろいろな議論があります。
で、手書きは、ざっと上記のようなことが経験の内実としてあるわけです。