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新幹線が大幅遅延、その時何が起きていたのか? ~現場にいた筆者の体験と感じたこと~

伊原薫鉄道ライター
筆者が乗車したのぞみ47号 定刻から4時間30分以上遅れて東京駅を発車した

線状降水帯の影響で大混乱

 2023年8月16日、東海道・山陽新幹線は3日連続で災難に見舞われた。この前日には台風7号が近畿地方に上陸した影響で、JR東海とJR西日本は計画運休を実施。名古屋~岡山間を終日運休とし、この他の区間も8月14日夕方から大幅に本数を減らして運行した。ちょうどお盆のUターンラッシュにぶつかることから、多くの人が予定を変更。8月16日は移動を後ろにずらした人の利用が見込まれ、新幹線もその期待に応えるはずだった。

 だが、同日朝に静岡県内を襲った線状降水帯が、その予定を大きく狂わせる。直近1時間の降水量が規制値を上回ったため、東海道新幹線は8時30分ごろから三島~静岡間で運転を見合わせたが、時間が長引くにつれて前後の区間にも列車が滞留。次第に運休区間が長くなり、最終的に東京~博多間の全線がストップした。14時過ぎに運転を再開したものの、同日は多数の臨時列車が設定されていたことから、なかなかダイヤは元に戻らない。

 一方、筆者は同日夜の新幹線で東京から大阪に戻る予定だった。いつもは最終ぎりぎりの、21時ごろに東京駅を出る列車を利用するのだが、「今日も新幹線が遅れている」という話を耳にした段階で、仕事が終わってから速やかに帰る方針に。19時ちょうどの「のぞみ255号」に予約を変更した。ちなみに、私はネット予約サービス「エクスプレス予約」を利用しているが、14時ごろの時点で既につながりにくい状態となっていた。

東京駅を4時間30分以上遅れて発車

20時30分ごろの東京駅の様子 ホーム上の混雑はほとんどなく、普段よりも空いていた(写真は全て筆者撮影)
20時30分ごろの東京駅の様子 ホーム上の混雑はほとんどなく、普段よりも空いていた(写真は全て筆者撮影)

 仕事を終えて19時前に東京駅へたどり着くと、まだ14時台の列車が発車待ちをしている状態だった。この時点で、定刻が17時以降の列車は全車自由席で運転すること、本来は19時30分発の「のぞみ459号」を最終として以降の列車はすべて運休とすることがアナウンスされていた。つまり、筆者が指定席を予約している「のぞみ255号」に乗っても、座席に座れるかどうかは分からない(列に並ばなければ座れない)ということである。はてさて、困った。駅員に確認したところ、「のぞみ255号」より前に発車する列車でも、自由席なら乗っても構わないとのこと。となれば、いつ発車するか分からない「のぞみ255号」を待つ意味はない。今すぐ列車に乗るのも一手だろう。

 ただし、ひとつ重大な問題があった。今の筆者はお腹がペコペコなのである。駅弁を買おうかと思っていたが、売店にめぼしいものは残っていない。そもそも、先のことを考えると多めに食糧を確保しておきたい。そこで、いったん駅を出て近くの飲食店へ。夕飯をがっつり食べ、近くのコンビニでおにぎりとパン、飲み物を買い込んだ。これで、途中駅で長時間止まっても何とかなる。

 20時過ぎに東京駅へと戻る。ホーム上はそれほど混雑していないが、自由席車両はどれも通路まで満員だ。さすがに座席は確保したいので、発車案内標で「出発番線未定」となっている列車の自由席を狙うことに。「発車案内標に表示がないホームに停まっている車両=その列車が『出発番線未定の列車』に“化ける”可能性が高い」と予測し、そのホームに移動して自由席車両の前で待つ。結果的にはこの作戦が大成功となり、数分後に「のぞみ47号」となったこの列車で、自由席を確保することができた。

 そこから順番待ちをすること30分ほど、20時46分に「のぞみ47号」は東京駅を出発した。所定なら16時12分発なので、約4時間半遅れだ。何事もなく走行できれば新大阪駅には23時10分ごろ到着するはずだが、もちろんスムーズにはいかないだろう。はてさて、何時にたどり着くのやら……。

名古屋駅の手前で日付を跨ぐ

 隣の品川駅はスムーズに発車した「のぞみ47号」だったが、次の新横浜駅に21時20分ごろ到着すると、ここで足止めとなった。本来、「のぞみ」は同駅から名古屋駅まで停車せず、途中駅はホームがない通過線を通る。途中駅や駅間で停車するのを避けるための措置だろう。ホーム上の混乱はなかったが、階段を降りると上り列車で到着した人や、新幹線での移動をあきらめて在来線に乗り換える(と思われる)人たちの長い列が改札口にできていた。

22時ごろの新横浜駅 今から乗り込む人やホームに出て“息抜き”する人の姿も見られた
22時ごろの新横浜駅 今から乗り込む人やホームに出て“息抜き”する人の姿も見られた

 ここからはルポ調でお届けする。

・22時50分 突然「お待たせいたしました、のぞみ47号、まもなく発車します」との放送が。ほどなくドアが閉まり、1時間半ぶりに列車が動き出した。新横浜駅からの乗客も加わり、自由席のデッキは満員。通路にも立ち客が見られたが、同駅発車後に車掌が指定席の車内販売を行ったのか、何人かが指定席車両へ移動していった。

・23時50分 新横浜駅発車後は、一部の駅の手前で徐行することがあったものの、おおむね順調に走行。とはいえ、定刻からは4時間以上遅れている。豊橋駅を過ぎたあたりで「山陽新幹線や在来線の最終列車が出てしまうため、名古屋駅と新大阪駅に“新幹線の車両を使った休憩所”(いわゆる列車ホテル)を開設する」との案内が流れた。乗客も半ば予想していたようで、特段の反応はなし。

・0時00分 ついに日付が変わった。通常、新幹線は午前0時までに運行を終えるため、車内で日付を跨ぐことはない。貴重な経験ではあるが、この先どうなるか分からないだけにはしゃいでいられない。数分後に三河安城駅を通過したが、おなじみの「この列車は三河安城駅を定刻通り通過……」あるいは「○分遅れで通過……」という放送はさすがに聞けなかった。

・0時12分 名古屋駅に到着。半数ほどの乗客が下車した。この時点で列車ホテルが何番線にいつから開設されるかの情報はなく、「駅の放送でご確認ください」とのことだった。同駅も数分間の停車で発車。

名古屋駅上りホームの表示 普段の新幹線ではありえない、午前0時以降の時刻表示が見られた
名古屋駅上りホームの表示 普段の新幹線ではありえない、午前0時以降の時刻表示が見られた

・0時45分 名古屋駅発車後も順調に走っていたが、滋賀県と京都府の県境にあるトンネルの中でついに停車。「この先、京都駅までの間に列車が9本、その先の新大阪駅までの間に13本いる」との放送に、達観したような乾いた笑いがあちこちで聞こえた。

・1時05分 少し前進。1本分進んで停まり、しばらくしてからまた1本分動き……を繰り返し、40分ほどかけてトンネルを抜けた。

・1時45分 京都駅に到着。京都駅には列車ホテルを用意しないため、列車ホテルを利用する人は新大阪駅まで乗るようにとの車内放送が流れたが、半分以上の乗客が降り、車内はガラガラとなった。5分ほど停車し、いよいよ最後の一区間へと足を進める。

・2時00分 高槻市と摂津市の境界付近で停車。ここが“新大阪駅に入線するための待機列”の最後尾のようだ。車内放送では、ここでまたしばらく停車すること、新大阪駅で2本目の列車ホテルを開設することがアナウンスされた。

・2時40分 鳥飼車両基地の近くまで進む。すぐ近くに筆者の自宅があるため、「ここで降ろしてくれないかなあ……」と思うが、もちろんそんなことは不可能。停車する我々の横を、上り列車が何本も通過していった。おそらく、鳥飼車両基地からあふれてしまった、あるいは翌朝(というより数時間後)の運行に使う列車を名古屋・東京方面に回送しているのだろう。文字通り、関係者の夜を徹した作業に、頭が下がる。

車内から見た鳥飼車両基地 留置線はほぼ満線で、何本かの編成はライトが点いていた
車内から見た鳥飼車両基地 留置線はほぼ満線で、何本かの編成はライトが点いていた

・2時58分 鳥飼車両基地を越えたところで、ついに新大阪駅の到着を告げる自動放送が流れた。続いて車掌の肉声で「まだ何度か停車するため、座ったままでお待ちください」との案内が流れたが、車内にはホッとした空気が広がり、乗客が次々に下車準備を始めた。

・3時04分 新大阪駅25番線に到着。約6時間20分の長い旅が終わった。ちなみにこの所要時間は、在来線の寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」(上り列車で大阪→東京間が6時間35分)や新幹線開業前に走っていた特急「こだま」(東京~大阪間が6時間50分)に匹敵する。

ついに新大阪駅に到着 時計の針は午前3時を回っていた 定刻18:50発の回送列車表示がまだ残っている
ついに新大阪駅に到着 時計の針は午前3時を回っていた 定刻18:50発の回送列車表示がまだ残っている

列車ホテルやコンコースは乗客で満員

 さて、こうして新大阪駅にたどり着いたわけだが、当然ながらタクシー乗り場には長蛇の列ができていた。在来線や地下鉄は5時ごろの始発列車までないため、駅構内で待つ必要があり、ホームのベンチやコンコースの床に座る乗客で駅構内は埋まっていた。また、列車ホテルはこの時点で23番線のみが開設されており、通路まで満員という状態。2本目となる24番線の列車ホテルは準備中で、大勢の人々が行列を作っていた。こちらが開放されたのは3時30分ごろで、並んでいた人々で瞬く間に埋まった。

閉鎖されている在来線乗り換え口の前には、始発列車を待つ大勢の人々が座っていた
閉鎖されている在来線乗り換え口の前には、始発列車を待つ大勢の人々が座っていた

 ただし、私が乗っていた「のぞみ47号」の後ろにもまだ10数本の列車が続いており、続々と新大阪駅に到着。いったん収まっていたホーム上の混雑も、徐々に増していった。そこで、JRは3本目の列車ホテルを27番線に開設することを急きょ決定。私はタイミングよく、ここに“寝床”を確保することができた。

列車ホテルの開設を知らせる案内表示 最終的には23番線・24番線・27番線の3線に用意された
列車ホテルの開設を知らせる案内表示 最終的には23番線・24番線・27番線の3線に用意された

 列車ホテルの“チェックアウト”は5時ということだったが、実際に降車を促す放送が流れたのは5時20分ごろ。ホームに出ると、東京からの列車はまだ全てが到着していない状態だった。前夜の段階では、翌日(つまり今日)は始発から正常に運行する予定と発表されていたが、前日の列車が全て到着しないことには始発列車も運行できない。結局、前日の下り最終列車である「のぞみ459号」が新大阪駅に到着したのは6時30分。この日の運転が始まったのは、そこからさらに1時間以上後のことだった。

大混乱の原因は何だったのか

列車ホテルの一部車両は女性専用とされていた
列車ホテルの一部車両は女性専用とされていた

 近年ないレベルの大混乱となった東海道新幹線。その原因は何だったのだろうか。理由はいくつか考えられるが、大きなものとしては「予測しづらかった大雨」「台風の翌日、かつお盆最終日というタイミング」などが挙げられる。今回の大混乱は、静岡地区に発生した線状降水帯による大雨がきっかけだが、線状降水帯は台風と違って発生や推移が予測しづらい。また、この日はお盆休みの最終日ということで通常より多くの列車が走っていたのに加え、前日には台風の影響により新幹線の一部区間で計画運休したためさらに多くの乗客が見込まれ、運転再開後に列車本数を減らすことも難しかったと思われる。

 そして、筆者が最も大きな原因だと考えているのが、「新大阪駅で折り返し運転を実施したこと」だ。本来、東海道新幹線の一部列車は山陽新幹線に直通するが、今回は山陽新幹線側への影響を避けるため、直通運転を中止。両新幹線とも新大阪駅で折り返す運行形態がとられた。この判断自体はやむを得ないものであり、実際、山陽新幹線の遅れは徐々に回復していった。ただしこの場合、本来は新大阪駅に数分しか止まらない直通列車が折り返し運転に伴う整備(清掃や座席の転換、運転士や車掌の手配など)のためホームを長時間にわたって塞いでしまう。結果として、新大阪駅の手前で列車がどんどん溜まり、筆者が体験したような状態となった。

 もっとも、原因が分かったところでその対応は難しい。列車本数をもう少し絞ることができなかったのか、回送列車を博多方面に逃がすことができなかったのか、などの検証はあってしかるべきだろうが、そもそもの原因は自然現象だからである。そういう観点で見てみると、今回のJRの対応は結果的に満点ではないものの、及第点には達していたように思う。少なくとも、駅や車内での案内は適切なタイミングで行われており、周囲を見ても案内の不備による混乱は生じていなかった。駅構内に人が滞留するのも、列車ホテルを開設すればその分だけ列車の発着に使えるホームが減るわけで、最大3本というのはギリギリのラインであろう。

 そして、JRのスタッフの対応ぶりは筆者が見る限り満点だった。おそらくほぼ全てのスタッフが通常の勤務時間を大幅に超過しており、疲労も溜まっていたに違いないが、それを感じさせることなく接客にあたっていた。そのせいもあってか、利用者がスタッフに詰め寄るといった場面もほとんど見かけず、冷静に行動していたように感じる。

乗客側で対策できることは?

新大阪駅のホームで列車ホテルの開設を待つ人々 個々で並んでいた人のほとんどは座席を確保することができていた
新大阪駅のホームで列車ホテルの開設を待つ人々 個々で並んでいた人のほとんどは座席を確保することができていた

 では、こういった場合に我々はどうするべきなのだろうか。

 もちろん、一番良いのは「移動を中止すること」である。ただし、これから旅行に出る人ならともかく、筆者のように帰宅する人(=移動を中止しても戻る場所がない人)には難しい選択肢だ。東海道新幹線以外の移動手段というのも考えられるが、羽田空港~伊丹空港間の飛行機は早々に満席となったし、高速バスも大雨による高速道路の通行止めで時間が読めない状態。北陸新幹線を使って金沢経由で帰阪するルートも、すでに当日中に帰るのは不可能な時間だった。ただ、このように別ルートを把握しておく(あるいは調べられる)ことは大切だろう。余談だが、もしリニア新幹線が開業していれば、東海道新幹線との間で互いに補完しあうことができ、大いに役立ったに違いない。

 どうしても移動せざるを得ない場合は、飲食物の確保は必須である。実際、筆者も(乗車前に食事を済ませたにもかかわらず)車内で空腹に負けてパンとおにぎり数個、500mlのペットボトル1本を消費した。また、トイレが使えなくなる可能性も想定し、乗車前に駅のトイレを使っておくのもよいだろう。

 ほかに、筆者が偶然持っていて「助かった」と感じたのは、タオルとビニール袋である。それぞれ汗拭きやゴミ袋になるほか、疲れた時にはタオルをビニール袋に入れ、床に座る際のクッションとして使うこともできる。それほどかさばる物でもないので、ジッパー付き袋などに入れてカバンの常備品とするのもよいだろう。

 そして、現代において必須なのが、スマートフォンの充電器やモバイルバッテリーだ。特にスマートフォンで電子マネーを使っている場合、バッテリーがなくなると移動ができなくなる。また、スマートフォンを積極的に使い、鉄道各社のホームページやSNSをチェックすることも大切だ。案内放送を待ったり駅員に聞こうと長蛇の列に並んだりするよりも、効率的に情報を入手でき、その後の行動が楽になると感じた。

払い戻しのルールを知っておこう

 最後に、筆者が駅や車内で最も多く見かけたスタッフと利用者のやり取りを紹介しておく。それは、きっぷの払い戻しについてである。

 現在、JRでは特急列車の到着が2時間以上遅れた場合は特急料金を払い戻すという制度がある。当日も駅の掲示や放送で繰り返し案内されていたが、「いつどこで払い戻してくれるのか」「いま申告しなければ払い戻してもらえないのではないか」といった利用者の声が多く聞かれた。

 少し前までは、払い戻しを受けるためには駅の窓口で証明を受ける必要があったのだが、最近は自動改札機やきっぷのシステムが進歩しており、自動改札機に2時間以上遅れた列車のきっぷを通せば、自動的に証明が受けられるようになっている。改めて、その仕組みをお教えする。

<紙のきっぷで乗車した場合>

・出場時に自動改札機を通る際、きっぷは回収されず「遅払証」と赤字で印字されて出てくるので、必ず持ち帰る。きっぷを1年以内に全国のJRの「みどりの窓口」に持参すれば、特急料金を払い戻してもらえる(※)。

・何らかの理由で出場時に自動改札機を通らなかった場合は、窓口の駅員に申し出て遅延証明のスタンプを押してもらい、きっぷを1年以内に全国のJRの「みどりの窓口」に持参すれば特急料金を払い戻してもらえる(※)。

<ICカードで乗車した場合>

・出場時に自動改札機にタッチすれば、購入時に支払ったクレジットカードへ自動的に払い戻しが行われるので、乗客側の手続きは不要。

・何らかの事情で出場時にタッチしなかった場合は、ICカードを1年以内にJR東海・JR西日本・JR九州の「みどりの窓口」に持参し、払い戻しの対象であることが確認できれば、特急料金を払い戻してもらえる。

(※)きっぷに○カコミで「企」と書かれたものは、そのきっぷの取り扱いがあるJRの「みどりの窓口」に1年以内に持参する必要がある。また、○カコミで「契」と書かれたものは、そのきっぷを購入した旅行会社に1年以内に持参する必要がある。

新大阪駅の案内表示画面には払い戻しの方法が映し出されていた いずれの場合も自動改札機の利用が案内されている
新大阪駅の案内表示画面には払い戻しの方法が映し出されていた いずれの場合も自動改札機の利用が案内されている

 つまり、2時間以上遅れた場合でもいつも通り自動改札機を通り、きっぷの場合は返却されるのでそれをもって1年以内に「みどりの窓口」へ行けばよいのだ。

 また、今回のような大規模な運休が発生した場合、あるいは台風のように大規模な運休が予想される場合は、移動を取りやめる場合に無料で払い戻しができるというシステムもある。こちらも当日に駅で申し出る必要はなく、1年以内に「みどりの窓口」などに行けばよい。こうした案内はJR各社のホームページでも発表されるので、いざという時はまずチェックすることをオススメする。

 日本でも異常気象による自然災害が増えつつある。今後皆さんが鉄道を利用するうえで、筆者の今回の体験とそこで感じたことが役立てば幸いだ。

鉄道ライター

大阪府生まれ。京都大学大学院都市交通政策技術者。鉄道雑誌やwebメディアでの執筆を中心に、テレビやトークショーの出演・監修、グッズ制作やイベント企画、都市交通政策のアドバイザーなど幅広く活躍する。乗り鉄・撮り鉄・収集鉄・呑み鉄。好きなものは103系、キハ30、北千住駅の発車メロディ。トランペット吹き。著書に「関西人はなぜ阪急を別格だと思うのか」「街まで変える 鉄道のデザイン」「そうだったのか!Osaka Metro」「国鉄・私鉄・JR 廃止駅の不思議と謎」(共著)など。

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