秘密保護法案の議論を矮小化し、権力と同じ不正を働くメディア
トップ・シークレット・居酒屋?
特定秘密保護法案を巡る日本政府の動きが活発なこの頃ですが、ちょうど先日、「トップ・シークレット・アメリカ 最高機密に覆われる国家」という本が翻訳・出版されました。ピューリッツア―賞を2回受賞したワシントン・ポストのベテラン記者と、元陸軍情報局の分析官による共著で、ワシントン・ポスト紙での連載記事が元になっています。
本書では、911以降のアメリカの対テロ戦争で秘密情報が飛躍的に増大、細分化し、秘密によって情報が組織間で共有されず、アメリカ政府の決定や軍の作戦等に深刻な悪影響を与えている現実が明らかにされています。そして、それらの秘密情報をチェックする議会情報委員会や政府機関は、増加する秘密情報に追いつけず、その全貌は「神のみぞ知る」とまで表現されています。
このようなアメリカの秘密情報の扱いの問題は、秘密とする情報の放漫な拡大が却って国家の利益を損ない、一部の機関・情報関連企業による利権になっている点にあります。私は日本にも特定秘密保護は必要とする立場ですが、日本でも特定秘密保護法により、このような問題が生じるのではないか――と危機感を抱かせるに十分なインパクトが本書にはありました。ところが、マスコミの危機意識は別のところにあるようです。
この法案に反対するマスコミに朝日新聞がありますが、同じく法案に反対する弁護士と共に、法案の問題点として記事に挙げた例が、あまりにも的外れではないかと驚きました。
この事例、業務上知り得た情報を関係者以外に、それも他者の目がある所で話すという、企業の情報保全でやっちゃいけない典型例を簡単に破った専務の責任に帰すべき問題であり、法案の問題以前の話です。情報処理推進機構が公開している[www.ipa.go.jp/security/antivirus/documents/05_roei.pdf 「情報漏えい対策のしおり」]でも、『業務上知り得た情報を、許可なく、公言しない』と注意されているくらい、社会人にとって基礎的かつ常識的な話です。
このような単純かつ論外な事例で、法案の危険を煽る姿勢は如何なものでしょうか。この法案の問題は他にもあるのに、居酒屋で口が滑った程度の単純な話を取り上げることで、却って問題を矮小化しているのではないでしょうか。
権力と同じ不正を働く「権力の監視者」
話が少し変わります。私が大学院にいた時の話です。
メディア論について講義を担当していた著名なジャーナリストでもある教授が、講義の冒頭で報道メディアの使命とは何かを語りました。それによると、報道の使命とは「権力の監視」であり、民主主義の担い手であるそうです。この教授の言葉について、確かにそうだがしかし――と、ずっと喉の奥で引っかかる違和感が拭えないでいました。
この違和感の正体について、最近の秘密保護法を巡る報道の中で、西山事件を例に上げるメディアやジャーナリストが相当数おり、彼らの発言を見ていくうちに、段々分かってくるようになってきました。では、西山事件についての記事や、著名ジャーナリストの江川紹子氏の発言を見てみましょう。
西山事件は毎日新聞の西山記者が、沖縄返還で土地返還関連費を巡る日本政府とアメリカの密約をスクープした事件ですが、その情報の入手に問題がありました。西山記者は外務省の女性事務官を酒に酔わせて泥酔状態にした上で肉体関係を結び、その関係から女性事務官から情報を引き出していました。
この手の男女の関係を用いた情報収集手段、古くから各国の情報機関が行っている、最も汚い類の情報活動と同じなんですが、それは……。
もし、報道機関が「知る権利」を盾に、西山事件のようなマキャベリズム的とも言うべき、手段を問わない情報収集を肯定するならば、アメリカの情報機関がやっているような同様の情報収集を、報道が否定する事って出来るんでしょうか。当時の日本政府が、西山事件の本質を密約問題から報道倫理問題に誘導しようとしたのは事実であり、政府の密約は国民への重大な裏切り行為であることには変わりません。しかし、人の尊厳を踏みにじる取材活動を正当化する人々が、同じ口で人の尊厳を踏みにじる情報収集を行う政府を批判するのは、どういうことなんでしょうか。メディアの「知る権利」の為にという抗弁と、政府の「テロ防止と国民の安全」の為という抗弁に、本質的な差異は少なくとも私には見いだせません。
権力の監視者、民主主義の担い手を自称するメディアやジャーナリストが、道義的に問題のある手法を正当化するのであるならば、メディアの行為を監視するのは誰になるのでしょうか。先日、週刊朝日編集長が「重大な就業規則違反」を理由に更迭される事態がありましたが、その理由について朝日新聞グループは「プライバシーに関わる」事として明らかにしていません。週刊誌などの報道によれば、女性契約社員に対して、正社員にする事と引き換えに執拗に関係を要求した等のパワハラ・セクハラ行為によるものだそうですが、こういう都合の悪い事を、権力の監視者様がプライバシー(もっと言えば、個人情報保護法)を盾に公開しないのは如何なものでしょうかと、社会の底辺の1ブロガーとして思うわけです。
信頼関係破壊を良しとする日本のメディア
最初の話に戻りますが、「トップ・シークレット・アメリカ」において、匿名証言者は数多く登場し、自分の行動が内部規則に違反することを理解した上で取材に応じています。匿名証言者自身もアメリカの秘密情報政策に危機感を抱き、問題を広く知ってほしいと願っている事から、あえて危険を冒して取材に応じているのです。その背景に窺い知れるのは、取材対象者と記者間の強い信頼関係ですが、取材対象を踏みにじる事を肯定する日本のメディアやジャーナリストとの間に、このような信頼関係は生まれるんでしょうか。
また、「トップ・シークレット・アメリカ」では、新聞連載、出版した本のみならず、膨大なデータがインターネットで無料で閲覧可能で、広く問題を知らしめる為の活動であることが伺われます。
ワシントン・ポスト:http://projects.washingtonpost.com/top-secret-america/
翻って日本はどうでしょうか。先に挙げた朝日新聞の記事中では、連載「プロメテウスの罠」での取材事例を挙げて、秘密保護法が成立するとこんな取材ができなくなってしまうと書いているんですが、朝日新聞が総力を挙げた特集記事で、「米軍は4号機が危ないと考えている」とか「大統領は心配している」レベルの証言しか取れていない事実は、ものっそい寂しい物があります。日本の記者は、取材対象とこの程度の信頼関係しか結べないんだなと思うと、暗澹たる思いがあります。
キレイ事も大事だし必要だけどさ、もう少し鏡見てから言おうな? と思います。
※この記事は、dragoner.ねっと「秘密保護法案、同じ穴のムジナが反対したって、誰も信用しないんじゃね?」のYahoo!ニュース向け編集版になります。