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「わかってるつもり」の人ほど危ない「無意識のバイアス」

治部れんげ東京科学大学リベラルアーツ研究教育院准教授、ジャーナリスト
自分が持つ偏見に気づくのは簡単なことではありません。(写真:アフロ)

企業の経営者や管理職と女性活躍について話していると「うちは実力主義だから、女性を差別していない」と言われることがあります。「管理職に女性が少ないのは、だから、差別やマネジメントのせいではない」と。

こういう方は、女性が昇進しないのは「男性に比べてやる気がないから」とか「仕事上の成果が足りないから」と言います。

今回、考えたいのは、こういう風に思っている/言っている人が気づかない「無意識のバイアス」についてです。

違和感を覚える言動は偏見が作る

先月まで育休を取っていて、4月から仕事に復帰した人はたくさんいると思います。共働き夫婦でも、育休を取るのは大半が女性です。復帰してすぐ、上司と話して違和感を覚えた方も多いのではないでしょうか。

例えば「お子さんいるから、残業は無理」という決めつけ。確かに保育園のお迎えは自分が行くつもりだったけれど、必要なら夫と調整して残業するつもりだったのに、と思う人は少なくありません。また昇進試験を受ける年次にも関わらず、妊娠・出産を経験していることを理由に、何となくうやむやになっている人も、いるのではないでしょうか。

これは、多くの場合、上司の配慮によるものです。ただし、個人のやる気や能力、許容範囲を見ずに「小さな子どもがいる女性には●●は無理」と勝手に決めつけられていては、「活躍」しようにも、やる気になれません

仕事や買い物の場で出会う偏見の数々

このような上司の言動を批判するのは簡単ですが、ここでは一歩進んで、私たち自身の心に潜む「無意識のバイアス」について考えてみたいと思います。特に、性別に関するバイアスを取り上げます。

20年近く働いてきて、様々なバイアスに直面しました。出版社勤めの時、出張に行ったら「女性の記者さんなんですね!」と驚かれたことは、特によく覚えています。先方には全く悪気はなかったのですが、女性が男性と同じような仕事をしている光景が、その人には珍しかったのでしょう。取材時には「女性にも使いやすいように、工夫しました」という言葉も聞きました。頭脳労働において女性の方が男性より劣っていると思っているのだなあ、と驚きました。

労働者としてだけでなく、消費者としても様々な偏見を目の当たりにしました。育休中、赤ん坊連れで金融機関に手続きに行ったところ、私ではなく夫の口座だと思われて、窓口の人から、ややバカにしたような対応を取られたこともありました。口座が私名義であり、毎月一定金額が振り込まれていることが分かると、その人の態度は一変し「お勧めの金融商品」について話し始めました。

私自身が持つ偏見に気づいた経験

こういう経験は数えきれないほどありますが、他人を批判していればすむ、というような簡単な話ではありません。女性活躍やダイバーシティについてさんざん取材をしてきた私自身も「無意識のバイアス」に囚われていると気づいたことは多々あります。

もう10年以上前のこと。あるベンチャー企業の取材に行くと、会議室にスーツ姿の人がふたりいました。女性がひとり、男性がひとり。とっさに男性の方に先に名刺を渡してしまった私に、彼は言いました。「社長はこちらです」。名前からは性別の判断がつかなかった、という言い訳は通用しません。男性と女性がいたら、地位が上なのは男性の方だという思い込みを私自身が持っていたのです。この失敗は今も忘れられません。

アメリカのドラマには気づきの素がたくさん

女性の活躍が進んでいるアメリカの映画やドラマを見ていると、自分のバイアスに気づく機会が、さらに増えます。罠にはめられた父親のため、若い女性が復讐をしていく『リベンジ』というドラマを見ていた時のこと。正体不明の天才ハッカーが登場しました。国家機関を含むあらゆるセキュリティーをかいくぐり、情報システムに入り込んでいく悪役です。

ストーリー展開から、かなり性質が悪いことは伝わってくるのですが、なかなか姿を現しません。どんな人だろう、と期待していた時、私が想像したのは白人かアジア系の男性でした。ところが、実際はアジア系の女性。ぱっと見はとても悪役には見えません。

似たようなことは、政治ものドラマ『スキャンダル』を見ていた時も経験しました。中東系の名前を持つ悪役が登場した時のことです。主要な登場人物で、知力・体力ともにすぐれた黒人男性が、この悪役を怖がるシーンが何度か描かれました。ここでも私は男性の姿を想像しましたが、実際は華奢な女性が現れました。

悪役は男性という思い込み

2つの作品で共通するのは、非白人女性が相当な悪役として登場する、ということ。そして私は「悪役は男性」という思い込みに囚われていたことになります。

日本国内では、駅などに張られている犯罪防止を呼び掛けるポスターを見ると、イラストに描かれる「犯人」のほとんどが男性であることに気づきます。一方、被害者は女性の姿で描かれています。

親の仕事の影響もあり、我が家の子ども達はこういうイラストを見ると、すぐに文句を言います。「あ、また、男の人を犯人にしてる!」「女の人が何かを取られてるね」と。

客観的に眺めていると、他人の持つバイアスに気づくことは、さほど難しくありません。でも、自分が何か(ドラマのストーリーでも、仕事でも)にどっぷり漬かっている時、自分自身が持つバイアスに気づくのは、容易ではありません。

自分がバイアスのかかった眼で見られた時、不愉快に感じることでしょう。大事なのは他人の持つバイアスに気づくことに加え、私たち自身が持つバイアスに自覚的になることではないでしょうか。

東京科学大学リベラルアーツ研究教育院准教授、ジャーナリスト

1997年一橋大学法学部卒業後、日経BP社で16年間、経済誌記者。2006年~07年ミシガン大学フルブライト客員研究員。2014年からフリージャーナリスト。2018年一橋大学大学院経営学修士。2021年4月より現職。内閣府男女共同参画計画実行・監視専門調査会委員、国際女性会議WAW!国内アドバイザー、東京都男女平等参画審議会委員、豊島区男女共同参画推進会議会長など男女平等関係の公職多数。著書に『稼ぐ妻 育てる夫』(勁草書房)、『炎上しない企業情報発信』(日本経済新聞出版)、『「男女格差後進国」の衝撃』(小学館新書)、『ジェンダーで見るヒットドラマ』(光文社新書)などがある。

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