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いつもキレイな家はあきらめた片づけのプロが大切にしていること

藤原友子小中高4人の母/すぐ片づく暮らし

私は現在「片づけ」を仕事にして13年目です。この仕事を続けていると「藤原さんの家はいつもキレイなんでしょ?」と聞かれるのですが、実は我が家は片づけても片づけても散らかります。

特に片づけの仕事が忙しい時は、人の家がどんどん片づくのに反比例して我が家は散らかります。

片づけの仕事をしている人の家か?と思う人もいるかもしれません。でもこれが私のリアル。人が動けばモノも動く、子ども4人と大人2人みんなが元気な証拠とも言えます。

「いつもキレイな家」はあきらめたきっかけ

今は人の暮らしの様子をSNSで簡単に知ることができます。

同じくらいの子どもがいて仕事もしているのに、なんであの人の家はいつもキレイで、しかもなんでこんなにおしゃれなんだろう、とどこの誰だかよく知らない人と勝手に比べて落ち込んだことが、子どもが小さい頃よくありました。

だからと言って現実の暮らしはそう簡単に変わるわけもありません。

私が「いつもキレイな家」をあきらめたのはその頃です。

片づけても片づけても散らかり、その都度片づけたり「片づけなさい」と言い続けることに疲れましたし、

「片づけの人だからキレイにしなくちゃ」という一般的なイメージを保つために片づけている自分もイヤになったからです。

「いつもキレイ」をあきらめたら見えてきたもの

いつもキレイなのは諦めましたが、だからといっていつも散らかっているのはイヤでした。

そこで私は、散らかってもキレイにしたいと思った時に戻せれば大丈夫、そのためには家族の協力も欠かせないと考え、

季節が変わったり、卒園や卒業と言った暮らしの変化するタイミングで不要なモノをどんどん手放し、その時必要なモノを選び使いやすくする暮らしを意識した結果、片づけだけではなく家族が家事に参加しやすい家になりました。

部屋のキレイを保つことはマストであるとは言い切れません。いつもキレイであることよりも、家族が毎日の生活をスムーズに送っていくことが重要です。

そう考えると私の場合は多少散らかっていることはOKで、どこに何があるかが家族が大体わかっていて、出かける前やキレイにしたいと思った時にすぐに片づく家になっていればよいのです。

いつもキレイであることは本当に素晴らしいですが、そうすることに疲れてしまっては意味がありません。

いつもキレイじゃなくても、自分の中で最優先すべきコトを見つけることができたら人と比べずに自分らしく暮らしていけるのではないかと思います。

「片づけはこうあるべき」という一般的な状態に無理に自分を寄せていく必要はないのです。

小中高4人の母/すぐ片づく暮らし

片づけのプロとして活動を始めたのに、自分の家は「片づけても、また散らかってしまう」という矛盾に悩む。家が散らかってしまうことを隠そうとしていたが、「いつもキレイじゃなくてもいい。何かあったときにすぐに片づく家にしておけばいい」と開き直り新たなメソッドを確立。 いつもキレイにしなくちゃいけない、もっと頑張らなくちゃいけない、そんなプレッシャーから解放され、もっと自由に、その人らしく生きるお手伝いを「片づけ」を通して行っている。著書『片づけられない主婦と片づけ嫌いの子どもを180度変える本』(マガジンランド)

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