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織田信長は天皇を超越するため、本当に神になろうとしたのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
織田信長。(提供:イメージマート)

 大河ドラマ「どうする家康」では、織田信長の不遜な態度が目に付く。かつて、信長は天皇を超越するため神になろうとしたというが、事実か否か考えることにしよう。

 信長自身が神格化を志向したという説は、かつて大きな話題になった。ルイス・フロイスの書簡(1582年11月5日付フロイス書簡)には、その根拠となる記述があるという。

 信長は天正10年(1582)の自分の誕生日に安土城下の総見寺(滋賀県近江八幡市)において、同所に置いた己の神体を拝むよう、貴賤を問わず人々に強要したという。参詣すれば80歳の長寿を得、また病気の治癒、富栄えるなどの功徳があったという。

 信長の自己神格化については、賛同する研究者が少なからず存在する。しかし、大きな問題なのは、信長の自己神格化を記した史料はフロイスの書簡だけで、日本側の史料では確認できない。それゆえ、信長の神格化に疑念を持つ研究者もいる。

 また、研究者の中には信長の自己神格化を否定しても、信長が自らを宗教的に権威付けようとした点については認める人もいる。しかし、信長の自己神格化については、先述のとおり、フロイスの書簡以外に日本側の史料で裏付けるものがないので、信憑性は低いと述べる。

 松下浩氏は、「盆山」と称する石を神体とする『日本史』の記述に疑問を呈し、その信憑性を疑うべきと指摘する(松下:2017)。「盆山」はご神体ではなく、単なる置物であるという。

 なお、信長が無神論者であるという説は、誤りである。信長は各地の寺社に所領を寄進、安堵するなどし、信心深かった。ほかの大名と同じく、信長は宗教全般を庇護していたのだ。信長自身は、禅宗を信仰していたといわれている。

 信長が無神論者と指摘されたのは、比叡山の焼き討ち、大坂本願寺との抗争のイメージがあるからだろう。信長は宗教的な権威を恐れることなく、徹底して殲滅しようとした。

 しかし、信長は比叡山や大坂本願寺を根絶やしにしようとしたのではなく、彼らが宗教者としての本分を忘れ、信長に戦いを挑んできたので応戦しただけだった。戦後、信長は彼らに教団の存続を許しているのだから、根絶やしにする気はなかったのだ。

 また、光秀は信長の自己神格化を天に背く行為として許さず、自ら本能寺の変を起こしたというが、これは誤りである。信長の自己神格化が天皇を圧迫することになったので、朝廷が光秀に信長を討つよう命じたという説も、事実無根の妄説である。

主要参考文献

松下浩「信長「神格化」の真偽を検証してみる」(日本史史料研究会監修・渡邊大門編『信長研究の最前線2 まだまだ未解明な「革新者」の実像』洋泉社・歴史新書y、2017年)。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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