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“世界で最も稼ぐ俳優”はドウェイン・ジョンソン。“文無し”からここまでの道のり

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

アイアンマンを打ち負かしたのは、伝説のプロレスラー。「Forbes」の“世界で最も稼ぐ俳優”リストで、ロバート・ダウニー・Jr.から首位を奪ってみせたのは、“ザ・ロック”ことドウェイン・ジョンソンだった。

2015年6月から2016年6月にかけてジョンソンが稼いだ金額は、6,450万ドル(約65億円)。ひとつ前の年は3,100万ドルで、11位だった。今年、大きく飛躍したのは、プロデューサーも兼任した主演作「カリフォルニア・ダウン」とHBOの主演ドラマ「Ballers」がヒットしたこと、来年公開予定の「ワイルド・スピード8」と「Baywatch」のギャラを前払いでもらったことなどが大きい。ちなみに2位はジャッキー・チェン。その後はマット・デイモン、トム・クルーズ、ジョニー・デップが続く。

このニュースを受けて、ジョンソンは、「僕は時給7ドルで始めたんだ。僕が乗り越えられたんだから、君も乗り越えられる」とツイートした。

実際、ジョンソンは、多くのことを乗り越えてきた人だ。お金のない家に育ち、高校時代は素行が悪く、警察のお世話にもなったが、フットボールで奨学金をもらい、マイアミ大学を卒業した。プロ入りを果たすも、すぐに契約を切られ、祖父、父が職業としたプロレスラーへと転向する。

筆者は過去に何度もジョンソンをインタビューしているが、その都度、彼の人柄に感動させられてきている。たとえば、2011年に会った時に語ってくれた、「次の5年に達成すべきことリスト」は、彼の成功を説明するものだと思う。

「22歳の時に初めて、次の5年で何を達成したいかをリスト出ししたんだよ。僕は、家族で初めて大学を卒業した人なんだが、それはリストに挙げたひとつだった。それに、両親に家を買ってあげること。僕らは一軒家に住んだことがなかったんだ。当時ホームレスだった祖母を助けることも入っていた。そうしたかったけど、僕らにもお金がなかったんだよ。それから1年以内に、僕は祖母に住むところを与えてあげることができた。あとひとつは、大学時代の恋人と結婚すること。それもやったよ。目標を決めることは大事だが、実際に行動することも大事だ。何かを強烈に望むことには意味があるが、そのための真剣な努力をしないとだめ。」

“ザ・ロック”としてWWEで大活躍したジョンソンは、2001年、「ハムナプトラ2/黄金のピラミッド」で映画俳優としてデビューを果たす。翌年には、そのスピンオフ映画「スコーピオン・キング」で初めて主演の座を得るが、当時、彼がここまで成功すると見抜いていた人は、少なかっただろう。アーノルド・シュワルツェネッガーの前例があるとはいえ、アスリートが俳優に転向するのは、実際のところ、かなり大変なことなのだ。2014年に取材した時、彼はそのことについても語ってくれている。

「スポーツ界のセレブリティは、みんな映画俳優に転向したがる。本当に、みんながだ。スポーツにおけるキャリアは、期間がとても限られているからさ。ラッキーなことに、転向を決めた時、僕にはすでにお金があった。お金のことは考えず、俳優としての実力を鍛えていくことだけに集中すればよかった。そして、そのために、アスリートとして叩き上げた自分への厳しさを適用したのさ。俳優になったばかりの頃、僕は、自分を、スポーツチームのルーキーだと考えようと思った。それで、周囲を優れたプロの人たちで囲み、その人たちからできるだけ多くを吸収しようとしたんだ。」

それから10年ほどの間に、ジョンソンは、アクションスターとしてはもちろん、コメディ、ファミリー映画、スリラーなど、幅広いジャンルで活躍する、マルチなスターとなった。最新作の犯罪コメディ「Central Intelligence」も、この夏、アメリカで大ヒットしている。「さまざまなジャンルに出ることは、僕がずっと重視してきたことだ。新しい挑戦を恐れない。失敗も恐れない。だって、全部の映画が成功するわけじゃないんだから。その精神が、僕を、俳優として成長させてくれたと思っている」。

いつも明るく、誠実さとユーモアをもって話をしてくれる人だが、かつては、ファンが寄ってくるのを迷惑だと感じた時期もあったと振り返る。そんな彼に優しく助言をしてくれたのは、当時の妻だった(大学時代の恋人だったその女性とは、離婚した今も、友好な関係を続けている)。

「街でサインを求められてはしぶしぶやってあげる僕を見て、彼女は、『偶然、一番好きなセレブリティに街で会ったら、あなたはどうすると思う?』と言った。僕はその状況を想像してみた。そして、きっと、『あ、あの人だ!近くに行かなきゃ。もう二度と会えることなんてないだろうから、サインをもらわなきゃ』と思うだろう、と思った。おかげで、僕は、人の気持ちがわかるようになったんだ。ファンは、緊張しながら寄ってくる。震えていたりする。僕に何を言っていいのか、わからない。僕のほうから、『その服、かっこいいね。どこで買ったの?』なんて聞いてあげたりするが、それでもどう答えていいかわからなくて、びくびくしたりするよ」(2012年のインタビューより)。

2014年には、こんなふうにも語っていた。

「誰にも気づかれずに、買い物や映画に行けた時期があった。なんでも自由にできた時期が。でも、当時は、まったくお金がなかった。文無しだった。僕はそれを忘れない。それをしっかり頭に入れているかぎり、僕は大丈夫さ。」

だからこそ彼は、ファンにも、ジャーナリストにも、支え続けられてきたのだろう。現在、44歳。先はまだまだ長い。この後、彼は、どんなすごいことを達成してみせるのだろうか。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「シュプール」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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