承久の乱に際し、武士の変心を防ぐために、大江広元が唱えた秘策とは?
承久3年(1221)5月21日、鎌倉幕府の上層部は、官軍にどのように対応するか、なおも評議を続けていました。
「官軍に対抗するために、住むところを離れて、安易に上洛しようとしているが、他に何か良い案があるのではないか」と異議を唱える者がいたからです。
そうした異論に対し、またしても反論したのが、大江広元でした。広元は言います。「上洛することを決めてから、日が経ったので、異議が出てきたのでしょう。武蔵国の軍勢を待ってから上洛するというのは、良くない案です。日時が過ぎていけば、武蔵国の者のなかにも、心変わりするものもいるはず。今夜中に、武州(北条泰時)1人であっても、出陣すれば、関東の武士は皆、雲が龍に従う如くとなりましょう」(『吾妻鏡』)と。
グズグズと時を過ごすのではなく、果断に出陣せよと主張したのです。この広元の意見に特に関心したのは、北条義時(泰時の父)だったとのこと。
義時は、姉の北条政子からも「ただちに上洛すべし」との見解を既に聞いていました。(様々な異論はあるかもしれないが、これはすぐさま上洛するのが、最も良い案だ)と義時は意を強くしたのではないでしょうか。