平成の高校野球10大ニュース その5 2004年/平成最後のノーヒット・ノーラン
春91回、夏100回の甲子園で達成されたノーヒット・ノーランは、完全試合2を含んで35回。春夏をならしてごく大ざっぱにいえば、3年に1回程度は達成されている計算だ。では、いまのところ最後に達成したのはだれか。答えは2004年の第76回選抜高校野球大会、東北(宮城)のダルビッシュ有(現カブス)が、熊本工を相手に達成したそれである。3月26日のことだった。三振12、ゴロアウト10、ファウル含むフライアウト5。出した走者は失策と四球2の3人。129球で大会12人目の快挙を達成した。
前年のセンバツから3季連続出場だったダルビッシュ。ことに夏は準優勝しているし、前年秋には150キロに迫る数字をたたき出し、練習試合を含めた防御率では32校中トップの0.96とあって、もともと注目度は群を抜いていた。大会前には、「150キロ? ずっと出すといわれてきたので、早く超えて楽になりたい(笑)。いい意味で、力が抜けると思うんです」。若生正廣監督も、
「悩みのタネだった成長痛もおさまりつつあって、冬の間は下半身をいじめたから、体に芯ができた感じだよね。この大会では、いつ150キロが出てもおかしくない」
と太鼓判を押していた。だが、熊本工との試合前には、
「スピードは絶対、意識しません。低めにボールを集める」
と150キロ宣言を一時封印する。そのとおり、制球よく低めに集める変化球に、熊本工の打者は手を焼いた。「最初の打席、まっすぐだと思って打ちにいったらフォーク。変化球とストレートの腕の振りがまったく同じで、これはやばいと思いました」とは、初回に三振した三番・橋本賢だ。なかなかボールが前に飛ばない。初めて外野にフライが飛んだのは6回、その橋本の右飛で、全試合通じても外野に飛んだフライはわずか2つだった。
ブルペン捕手が予感した快挙
「記録はたまたまできただけなので、なんとも思わないです」
とダルビッシュは涼しい顔だったが、試合前のブルペンでダルビッシュの球を受けた松岡竜也は、記録の達成を予感していたという。
「ボールの伸びがすごかった。変化球も、全部切れていた。これは打たれないだろうな、と思いました」
だがダルビッシュは、大阪桐蔭との続く2回戦で「途中から肩に張りを感じ、5回から疲れて腕がまったく振れなかった」と途中降板する。チームはこの試合を勝ったものの、済美(愛媛)との準々決勝もダルビッシュは肩の違和感で登板を回避。9回裏としては史上初めての、4点差逆転負けとなる高橋勇丞(元阪神)のサヨナラ3ランを左翼の守備位置で呆然と見送ることになる。ダルビッシュはこの年の夏も甲子園に出場したが、雨中の3回戦で千葉経大付に敗退。高校3年間で、一度も全国の頂点には立てずじまいだった。
それにしても……甲子園でのノーヒット・ノーランは、松坂大輔(横浜・神奈川、現中日)が1998年夏の決勝で達成して以来だから、このダルビッシュが16年ぶりだった。松坂まではおおむね、2.3年に1回達成されていた計算だから、その快挙達成ペースは大きくスローダウンしている。高校野球はこの間、1人のエースの先発完投型から、投手複数制へと徐々にシフトした。さらに球数制限まで議論されるようになるなど、1人のエースに頼らない戦い方は、今後ますます主流になるはず。近年の打撃力向上による打高投低傾向もあって、ノーヒット・ノーランの難易度はますます上がると考えていいだろう。
ダルビッシュのノーヒット・ノーランからすでに15年目と、記録達成の最長ブランクに迫っている。令和になって最初の快挙が見られるのは、果たしていつになるのだろうか。