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転校ほど一気に環境が変わることはないのではないか?。13歳少女だった自分に心を寄せて

水上賢治映画ライター
「アメリカから来た少女」より

 母が乳がんを患ったため、治療でそれまで暮らしていたロサンゼルスから台湾へ。

 母のことを考えれば仕方ないこととわかっている。とはいえ予期せぬ形で天と地ほど環境の違う学校への転校で戸惑いを隠せない。そんな13歳のファンイーの揺れ動く心模様を描いたのが映画「アメリカから来た少女」だ。

 ロアン・フォンイー監督の長編デビュー作となる本作は、金馬奨や台北映画祭など、台湾の名だたる映画賞や映画祭で数々の賞を受賞。

 昨年の東京国際映画祭でも、少女の切実な想いが伝わってくる思春期の物語として反響を呼んだ。

 「自身の体験を基に作り上げた」と明かすロアン・フォンイー監督に訊く。(全四回)

ロアン・フォンイー監督
ロアン・フォンイー監督

実体験であっても、物語を作ることというのは難しいことだと思いました

 前回(第一回はこちら)は主に実体験を基にした脚本作りについての話になった。

 その中では、忘れかけていた記憶にも気づかされたことがあったという。

「人の記憶というのは不思議なものです。すごく大切なものでも忘れてしまっていたりする。

 たとえば、この作品において主人公のファンイーにとって、ひとつ心の支えになっているのは乗馬で出会った馬の存在です。

 でも、第一稿では、馬の存在はまったくなかったんです。登場もしていない。

 なぜ、馬が登場することになったかというと、妹の指摘なんです。

 第一稿を書き上げたときにまず妹に読んでもらいました。

 すると妹は『あんなに馬が好きだったのに、なんで馬がまったく登場しないのか?』と言ってきたんです。

 そのとき、ハッとしました。

 そうなんです。わたしは午(うま)年だったからか、幼いころ、ものすごく馬が好きだった。

 いろいろと馬のグッズを買って、部屋にいっぱいおいていました。

 そのことが妹には鮮烈な印象として強く残っていて、彼女は『なんで馬が登場しない』と聞いてきたんです。

 あんなに好きだったのにわたしはそのことをすっかり忘れていました。妹に言われて、『そうだった』と気づいたんです。

 改めて実体験であっても、物語を作ることというのは難しいことだと思いました。

 そうやって重要なことなのに忘れてしまっていることがあるわけですから」

子どもにとって転校ほど一気に環境が変わることはないのではないか

 主人公のファンイーはアメリカから台湾に戻り、とりわけ学校での生活に戸惑う。

 自由な校風だったアメリカに対し、台湾は制服で髪型まで決まっている。

 しかも教師の体罰もあったりし、ファンイーはなにかと反発心を抱く。

 監督自身はこのときの体験をどう感じていたのだろうか?

「おそらく転校を経験している人はみなさんそうだと思いますけど、もちろん過ぎてしまえば『いい新しい友だちに出会えた』とかいい思い出もできる。

 でも、転校した当日というのはみなさんなんともいえない居心地の悪さを感じるのではないでしょうか。

 転校は子どもとしてはけっこう酷で。子どもにとって転校ほど一気に環境が変わることはないのではないかと思います。

 しかも、ファンイーはアメリカから台湾という文化も言葉も違う国から国への転校です。

 より馴染むのが容易でないことが想像できます。実際のわたしもそうでした。

 さらに加えると、ファンイーは中学生です。思春期に当たって、このころというのはみなさんも覚えがあると思いますが、いろいろと敏感な年ごろではないでしょうか。

 周囲の目も気になれば、友人関係、異性にも悩む時期です。そう簡単には周囲に打ち解けることができない。

 さきほど話に出てきたように、わたしには妹がいました。作品にもきちんと反映させていてファンイーの妹として登場しています。

 当時、彼女は小学校の低学年だった。彼女ぐらいの年ごろだと、まだそういう感覚はなくて、あっという間にその環境に馴染んで、学校にも溶け込む。

 でも、ファンイーぐらいの年ごろではそう簡単にはクラスになじめない。

 そこに、日本も同じだと思いますけど、ファンイーには高校受験という大きな試練も待ち構えている。

 なので、ファンイーとしては『なんでこんなときにこんな頭を悩ませることばかりが自分の身に降りかかってくるんだ』と恨み言の一言も言いたくもなりますよね。

 わたしもまったく彼女と一緒でした(笑)」

はじめは、らしいハッピーエンドな結末を考えていた

 作品は、そんなままならない状況に置かれたファンイーの切実な声がこちらに伝わってくるかのよう。

 ただ、困難に直面したファンイーがその苦境を乗り越えて成長してすべてを好転させる、といった安易なハッピーエンドのストーリーにはしていない。

 むしろ苦い思いをしっかりととどめ、そういうことが人生においてはままあることを物語るものになっている。

「明かしますと、脚本段階では結末は違ったんです。

 はじめはわたしも、ファンイーがちょっと成長して新たな一歩に踏み出すような、いかにもらしいハッピーエンドな結末を考えていたんです。

 ですけど、編集段階でちょっとこれは違うのではないかなと(笑)。

 それであのようなエンディングにしたんです。

 最後になるので明かせませんけど、おそらくあれだけで観客のみなさんにはファンイーの家族4人を感じることができるのではないでしょうか。

 そして、そこに4人がいることが重要ということもすごく大切なことを感じてもらえると思います。

 人生っていうのはそんなにすべてが完璧じゃない。家族だっていろいろあって常に順風満帆とはいかない。

 けれども人生も家族も不完全であってもそれぞれに愛しく美しいもの。

 その人にとってはかけがえのない人生が、家族がある。

 そういう思いを込めて、あのような静かなエンディングにすることにしました」

(※第三回に続く)

【ロアン・フォンイー監督インタビュー第一回はこちら】

「アメリカから来た少女」より
「アメリカから来た少女」より

「アメリカから来た少女」

監督・脚本:ロアン・フォンイー

製作総指揮:トム・リン

撮影:ヨルゴス・バルサミス

出演:カリーナ・ラム/カイザー・チュアン/ケイトリン・ファン/

オードリー・リン

公式サイト:https://apeople.world/amerika_shojo/

ユーロスペースほか全国順次公開中

写真はすべて(C)Splash Pictures Inc., Media Asia Film Production Ltd., JVR Music International Ltd.,G.H.Y. Culture & Media (Singapore).

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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