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台風8号北上 朝鮮半島は大正14年夏の洪水の再来か

饒村曜気象予報士
朝鮮半島に向かう台風8号の雲(8月25日18時)

台風8号の北上

 強い台風第8号は、発達しながら東シナ海を北上しています(図1)。

図1 台風8号の進路予報(8月26日3時発表)
図1 台風8号の進路予報(8月26日3時発表)

 台風の進路予報は、最新のものをお使いください。

 九州北部地方では8月26日昼前から27日にかけて、うねりを伴った高波に警戒してください。

 また、台風周辺の雨雲が流入する四国地方では、26日夜遅くから27日にかけて、土砂災害や低い土地の浸水、河川の増水に注意・警戒してください。

 東シナ海の海面水温は、台風が発達する目安となる27度以上ですので、今後も発達を続け、最低中心気圧が950ヘクトパスカルの非常に強い台風となる見込みです。

 そして、朝鮮半島に暴風と大雨をもたらし、今から95年前、大正14年(1925年)夏のような朝鮮半島全域の大規模水害が懸念されています(図2)。

図2 台風8号に伴う風と雨の分布(8月26日21時の予報)
図2 台風8号に伴う風と雨の分布(8月26日21時の予報)

朝鮮半島を襲う台風

 朝鮮半島に上陸する台風は、少し古い資料ですが、年平均で0.7個と、日本のほぼ4分の1です(表1)。

表1 日本と朝鮮半島の台風の上陸数(昭和26年(1951年)から昭和63年(1988年))
表1 日本と朝鮮半島の台風の上陸数(昭和26年(1951年)から昭和63年(1988年))

 また、韓国(大韓民国)と北朝鮮(朝鮮民主主義共和国)を通過した台風の数をみると、両国を通過する台風があるため、その合計は朝鮮半島に上陸した台風の数とは一致しませんが、韓国を通過した台風のほうが、若干多くなっています。

 日本では、8月の台風上陸は、全体の40パーセントですが、朝鮮半島では、全体の67パーセントが8月に上陸しています。

 これは、夏の初めの頃は、中国大陸に上陸してから接近する台風が多く、熱帯低気圧に衰えるか、温帯低気圧に変わってしまうことが多いこと、また、秋になると、台風がそれほど北上しないためと考えられます。

 ただ、このことは、朝鮮半島では、「夏の初めの頃と秋には、台風によって被害が出ない」ということではありません。

 大正14年(1925年)夏の朝鮮半島での記録的な大洪水は、強い台風の直撃で発生したものではありません。

大正14年(1925年)7月の大洪水

 大正14年(1925年)7月8日に台湾近海で確認された台風は、北上して台湾、中国の福建省を襲い、その後黄海に入っています。

 その後、台風は高気圧に行く手を阻まれ、12日に朝鮮半島に接近したものの、南下して衰弱しました。

 その5日後、似たような経路を通った台風が黄海に入り、今度は温帯低気圧に変わりながら朝鮮半島北部に上陸しました(図3)。

図3 大正14年(1925年)7月に朝鮮半島を襲った2つの台風
図3 大正14年(1925年)7月に朝鮮半島を襲った2つの台風

 この2つの台風とも、朝鮮半島においては、それほど強い風は観測されませんでしたが、未曾有の豪雨となり、各地で大水害が発生しました(図4)。

図4 朝鮮半島における大正14年(1925年)7月の水害図(大きな水害が発生しなかった河川は省略した。点線は現在の国境)(左)と雨量分布図(右)
図4 朝鮮半島における大正14年(1925年)7月の水害図(大きな水害が発生しなかった河川は省略した。点線は現在の国境)(左)と雨量分布図(右)

 図4の右側は、7月5日から14日、及び15日から22日の雨量分布図ですが、最初の台風などによる豪雨の中心は、朝鮮半島の中部及び南部です。

 この時の総雨量は400ミリ以上と朝鮮半島では記録的なものであり、漢江や洛東江などの各地で諸河川が氾濫しています。

 そして、この洪水が未だ十分に減水しないうちに次の台風が接近し、再び豪雨となっています。

 朝鮮半島中部では、前回をはるかに超える600ミリも降っています。

 このため、漢江を中心として非常に大きな洪水が発生しています。

 漢江の龍山における水位は、18日の夕方には42尺(約12メートル)を観測し、それまでの記録である慶応元年(1865年)の洪水における37尺をはるかに超えています。

 図5は、京城(現在のソウル)付近の氾濫区域を示したものです。

図5 京城(現在のソウル)付近の氾濫区域(ハッチの部分)
図5 京城(現在のソウル)付近の氾濫区域(ハッチの部分)

 京城の市街は高台に作られているため、洪水をまぬがれていますが、その南にある、京義本線(平壌(現在のピョンヤン)を通って中国との国境にある新義州に達する)、京元本線(元山に達する)、京釜本線(釜山に達する)が集まり鉄道の要所でもある龍山は、洪水により大きな被害を受けています。

 また、釜山に通じている一級道が走っている漢江橋が流されるなど、鉄道網や道路網は各地で寸断されています。

 大正14年(1925年)の朝鮮半島は、7月だけでなく、8月も雨が多く、8月11日から12日にかけて、北部を低気圧が通過したため、北部地方を中心に400ミリ以上の豪雨になり、西部や北部の河川では氾濫が起こっています。

 どどめは、9月7日に朝鮮半島南部に上陸した台風による風水害でした(図6)。

図6 大正14年(1925年)9月7日の地上天気図
図6 大正14年(1925年)9月7日の地上天気図

 この台風により、済州島で967ヘクトパスカルを観測しましたが、この時点では、朝鮮半島で観測を開始してから20年間での最低気圧で、いまでも、朝鮮半島としては、めったにない低い気圧の値です。

 台風による9月6日から7日の2日間の雨量は、朝鮮半島南部と東部では400ミリを超え、南部と東部の川が氾濫しています。

朝鮮半島の気象事業

 明治16年(1883年)2月に東京気象台(現在の気象庁)は、国内の気象電報を集め、天気図を作成して暴風警報の発表を開始しました。

 しかし、大陸から接近する低気圧等については、発見する手がかりとなる観測質料がないため警報が間にあわないことが多々ありました。

 このため、内務省では、明治17年(1884年)2月に北九州呼子と朝鮮の釜山(現在のプサン)との間に海底電信が開通したのを機会に、釜山電信局の勤務者に依頼し、同年6月より気象観測を開始しました。

 韓国では気象事業を行っていなかったためです。

 明治37年(1904年)2月、日露戦争が始まると、朝鮮半島における気象観測が重要になり、日本政府は同年3月の勅令第60号によって、仁川、釜山、竜岩浦、元山、木浦、城津に中央気象台臨時観測所を設置しました。

 日露戦争後、ポーツマス条約で朝鮮半島に対する日本の支配的地位が国際的に承認されると、日本の保護国にし、明治39年(1906年)には統監府が設置されています。

 これに伴い、翌年には、仁川観測所が統監府観測所として中央機関となり、残りの臨時観測所はその支所となっています。

 また、韓国政府が設置した京城、平壌、大邱観測所は統監府観測所に観測を委託していますので、朝鮮半島の気象事業は、日本が中心となって進められました(表2)。

表2 朝鮮半島における気象観測の歴史
表2 朝鮮半島における気象観測の歴史

 明治43年(1910年)の日韓併合後、朝鮮半島の気象観測や予警報等の事業の基本になるものは、概ね日本に準じて実施されました。

 ただ、日本に一歩先んじた有効な制度、豪雨電報がありました。

 これは、大正7年(1918年)より、日降水量が30ミリを超えると至急電報を打つ制度です。

 大正14年(1925年)夏の豪雨の際にも、豪雨電報が役立った話は、気象庁の「気象百年史」にも記載があります。

 これを要約すると、次のようになります。

 豪雨で通信線は途絶し、豪雨電報の集まりが非常に悪く、仁川の観測所ではどんな状態になっているかと心配しているところに、夕方になって、どこをどう回って仁川に着信したのか不明であるが、金剛山の温井里簡易気象観測所が発信した豪雨電報が飛び込んできた。

 10時までの雨量が数100ミリでなお降雨中という内容に後藤所長はとっさに、これは大変なことであり、漢江の堤防が危ないと判断した。

 そこで、急きょ総督府へ出頭し、政務総監(日本の首相に相当)に軍隊(竜山師団)の出動の必要性を進言した。

 この適切な処置により、京域は大洪水の災害からまぬがれることができ、仁川観測所もこの功績により、数年来要求していた新庁舎増築予算が一挙に認められた。

 朝鮮半島における大正14年(1925年)夏の洪水の教訓から、朝鮮半島ではダムの建設など治水対策が急ピッチで進められ、現在の防災対策の礎となっています。

タイトル画像、図1、図2の出典:ウェザーマップ提供。

図3、図4、図5、表1、表2の出典:饒村曜(平成元年(1989年))、大正14年7月に朝鮮半島を襲った台風、月刊誌「気象」9月号、日本気象協会。

図6の出典:朝鮮総督府観測所(大正15年(1926年))、近年に於ける朝鮮半島の風水害(大正14年(1925年))。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2024年9月新刊『防災気象情報等で使われる100の用語』(近代消防社)という本を出版しました。

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