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片づけのプロだけどいつもキレイな家はめざしていません。その代わり大切にしているコト

藤原友子小中高4人の母/すぐ片づく暮らし

私は約19年前に自己流で片づけを始め、片づけのプロになって13年です。

これまで私は片づけのプロの家はいつもキレイじゃないといけない、散らかっているとプロとしての信用を失くしてしまうと思い常に家をキレイに整えていましたが、今はいつもキレイな家は目指していません。

片づけのプロが悩んだ「我が家の片づけ」

特に4人の子どもがまだ幼い時は自分の時間、気力、体力ゼロの中、必死に家を整えたのに子どもたちは見事に散らかしていきます。

おもちゃを元に戻すことができるように、収納は考えて用意しているはずなのに遊んだらおもちゃはそのまま。

また子どもだけではなく私自身もモノを置きっぱなしにすることがよくあり、床に散らかったモノを拾ってはひたすら戻すという生活に疲れていました。

仕事では片づけのノウハウやテクニックを求められるけど、そのノウハウやテクニックで片づいていない我が家の現実を考えると、果たして本当に片づいていることがよいことなのか、散らかっていることは悪なのだろうか、もっと大切なことがあるのではないかという思いが芽生えてきたのです。

小さな喜びやこだわりがあれば、自分の暮らしに満足する

今は、SNSで誰かの暮らしを簡単に見ることができます。キレイに片づいている家の様子を見ていると、なぜうちはこんなに散らかっているのだろうと思うことがあります。

でも、周りの人から見てキレイに整っていることが良いということではなく、自分が今の暮らしに満足できているかが大事ではないでしょうか。

例えば、食器

・あまりすきじゃないけどとりあえず使っている
・欠けたままの食器を仕方なく使っている
・とりあえず100円の食器でいいかと思っている

このようなことは些細なことですが、よく考えたら今満足していないということです。

仕事が忙しかったり余裕がなかったら、自分のことは後回しにしてしまうことはよくあります。

そういう人に限って部屋がいつも散らかりイライラしているのですが、イライラの原因はモノが散らかっているだけではなく手にしているモノなのかもしれません。

手にしているモノに満足していないので、適当にそして粗末に扱い散らかる現状を作り出しているのかもしれません。

「とりあえず」とか「なんとなく」と妥協で手にする食器ではなく、自分の好きな食器を使ったり、ずっと欲しかった食器を手に入れ食事をすると、食事の時間が楽しくなり日常生活の満足度が上がります。

食事の時間だけではなく後片付けも楽しく感じられるかもしれません。

人は目の前の散らかったことにイライラしてしまいがちですが、自分の好きなモノを使ってみるなど日常の小さなことで自分の気持ちを満足させることも大切です。

小さな喜びや自分のこだわりを大切にすることで、散らかっているかどうか?という現状に振り回されなくなるのではないでしょうか。

小中高4人の母/すぐ片づく暮らし

片づけのプロとして活動を始めたのに、自分の家は「片づけても、また散らかってしまう」という矛盾に悩む。家が散らかってしまうことを隠そうとしていたが、「いつもキレイじゃなくてもいい。何かあったときにすぐに片づく家にしておけばいい」と開き直り新たなメソッドを確立。 いつもキレイにしなくちゃいけない、もっと頑張らなくちゃいけない、そんなプレッシャーから解放され、もっと自由に、その人らしく生きるお手伝いを「片づけ」を通して行っている。著書『片づけられない主婦と片づけ嫌いの子どもを180度変える本』(マガジンランド)

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