死刑が確定した相模原障害者殺傷事件・植松聖死刑囚の民事訴訟が始まった
2020年4月6日、相模原障害者殺傷事件・植松聖死刑囚に接見した。このところ連日、接見しているのは、死刑が確定し、いつ接見禁止になるかわからないので、会える間に会っておこうという気持ちからだ。
死刑が確定すると接見禁止になるのだが、実際には事務手続きの間、何日間かは接見が可能だ。それが何日になるかは予測が難しい。
植松死刑囚の場合、その辺の事情を見込んで3月31日に死刑が確定した後も4月2日まで、これまでつきあいのあったマスコミ関係者に連日会って、別れを告げていった。彼に死刑確定についてのコメントを聞こうという目的もあって、連日、多くの報道陣が横浜拘置支所に来ていたのだが、3日になるとそれもパタッと収まっていた。
4月3日以降は私を含め、一部の人間が接見しているのだが、植松死刑囚は「もう一通り別れを告げた後に、こんなふうに会うというのも何となく気まずいもんですねえ」と冗談めかして言っていた。
民事訴訟に対し、既に答弁書を提出
さて、今回の接見では、植松死刑囚に民事訴訟の進行について尋ねた。彼は事件の犠牲者の遺族2人から損害賠償訴訟を起こされているのだが、刑事裁判が終結したので、民事訴訟が本格的に始まったのだ。それぞれ答弁書の提出期限は4月9日と15日だったが、今回聞いてみると、両方とも同じ内容で答弁書は既に提出したという。
刑事裁判の1審弁護団はもう解散してしまったので、民事訴訟の代理人弁護士をどうするか検討はしていたが、これだけの難事件だからすぐに私選弁護人を見つけることができず、結局植松死刑囚は、当面、代理人をつけずに対応することにした。そう決まってからすぐに自分で答弁書を書いたらしい。
民事訴訟の場合は、相手の訴えに対して争うのか認めるのか、被告側が裁判所に答弁書で最初の意思表示をするのだが、植松死刑囚は請求金額4400万円と7500万円について、受け入れられないという意思表示をした。実際には5~6行の文章だったというが、平均寿命などをベースに算出したその損害賠償に同意できないとし、事件を起こした自分の主張も述べたようだ。
民事訴訟というと、公開の法廷での口頭弁論をイメージする人もいるだろうが、植松死刑囚が代理人なしで対応することになったこともあって、基本的に書類のやりとりで進行することになりそうだ。ただ、今後もずっと代理人なしで対応するのかどうするのかは決まっていない。
訴えた側の代理人弁護士は死刑判決後、2人とも変更になったという。なぜこのタイミングで2人とも変更になったのか、という事情についてもいろいろ言われているが、裏をとってないので伏せておこう。
植松死刑囚は死刑が確定しており、民事訴訟で損害賠償請求が認められたとしても現実的に支払われることは難しい。ただ訴訟に踏み切った犠牲者遺族と思われる人にとっては、死刑が確定しても納得していないという意思表示なのだろう。
確定後、植松死刑囚は東京拘置所に移送されると思われるが、それがいつになるか、民事訴訟の進行も勘案される可能性があるようだ。ただ、そんなに長い期間を経ずに、判決が出される可能性もある。
死刑執行まで生きていられるかわからないという考え
植松死刑囚はこのところ、面会した人に対して、6月6・7日に首都圏は滅亡するから避難した方がよいと熱心に語っている。もともと彼がイルミナティカードに心酔し、首都圏がまもなく滅び、自分が救世主になるという話を前提に、やまゆり園での事件を起こしたことは裁判でも明らかにされた。それが2020年の6月だというのだ。
ただ少し前までそれは9月6・7日だったから、あれ?と思ったが、本人の説明によると、パラリンピックの終わる日なので9月のその日と思っていたが、オリンピック・パラリンピックは延期になってしまったし、本当は6月だったという。
最近の面会では、1年半ほど前、壁がバラバラと崩れていく光景を幻覚で見たといったことも語っている。両親にも、少なくとも山梨へ、できれば九州へ避難するよう勧めるという。
植松死刑囚が控訴を取り下げ、死刑を受け入れた背景のひとつには、執行前に首都圏が滅亡し、自分は死んでしまう可能性が高いという思いもあったらしい。
彼によると、イルミナティカードの予言でオリンピック延期も決められていたし、今の新型コロナウイルスもそうだという。面会に同席したノンフィクションライターの渡辺一史さんが「もし6月6・7日を過ぎても何も起こらなかったらどうします?」と尋ねたところ、彼はこう答えた。「私が生きていることがあるかもしれない、でももう日本はないでしょう」。
万が一6月を、そして9月をも乗り越えられてしまったらどうするか、とさらに畳みかけると、「それはありえない」と言う。「私だって勘弁してほしいと思っているんですよ。横浜とかきれいな街なのに残念です」とも。横浜に大震災が起き、原爆が落ちるというのだ。
『闇金ウシジマくん』についての説明
そして本日6日の面会では「お願いがあります」と改まって、月刊『創』(つくる)5・6月号に掲載した手記の一部をネットにもあげてほしいという依頼をされた。
それは4月7日発売の『創』に載っている植松死刑囚の最後の獄中手記の一部だが、彼はゲラの段階で幾つかの修正を申し出てきた。最大のものは、『闇金ウシジマくん』について説明した文章を追加してほしいというものだった。
『闇金ウシジマくん』については、植松被告は法廷でも語ったが、同書最終巻で首都圏の滅亡を予言しているというのだ。ただ、読み返してみてもどこにそんなことが書かれているのかわからない。裁判を傍聴した人の間でも、いったいどのコマがそうなのか話題になっていた。
それに対する回答というべきものが、手記の中に書かれ、植松死刑囚はそれをネットにも公開してほしいというわけだ。そこで、その部分を以下に転載しよう。
《『闇金ウシジマくん』をご説明します。最終話「ビッチビッチ」後方に607か907、きのこ雲の落描きがあります。電波兵器ハープは気象を操作できるようで「私が見た未来」は3・11を予言しました。首都直下地震は「人類史上最悪の災害」と呼ばれ、焼死者だけで57万人と予測されます。「Combined Disaster(複合災害)」を起点に核攻撃されると考えました。「悪魔の数字666」は2020〈令和2年〉6月6日かもしれません。
『アキラ』はじまり(東京オリンピック)講談社
『ジョジョ』真ん中(9・11)集英社
『ウシジマ』おわり(核攻撃)小学館
ジョン・タイターは未来人としてイラク戦争や狂牛病、CERNの陽子ビーム加速実験を的中させました。関東が立ち入り禁止になると予言しており、渋谷は岡本太郎、八王子は放射線通りという地名があります。あまりにつらい出来事は心の奥底で「そんなわけない」と否定されますが、恐慌とは悪いことばかりでなく、新しいシステムに代わるきっかけになります。》
607か907、滅亡を予言したきのこ雲が見られるというのだけど、何ページのどれを指しているのか、わからない。誰かわかる人はいるだろうか。
死刑が確定した今、書き残しておきたいと植松死刑囚が書いたのがこの手記だが、全文は長いもので、第1回公判の翌朝、小指をかみちぎった時の様子などが具体的に描かれている。ぜひ原文をご覧いただきたいと思うが、もともと手記の中に『夜と霧』の長文の引用が描かれていたのを割愛したことについても、本人はすごく残念そうにしていた。
『夜と霧』はナチスの強制収容所体験をつづった本だが、植松死刑囚は座右の書としてたびたび言及し、身の回りに置いておいた大事な書物だ。
「命の選別」をめぐる植松死刑囚自身の着目
そのほか、この間、起きた興味深い話も紹介しておこう。この3月頃になって、植松死刑囚は、大口病院事件の久保木愛弓被告についてしきりに気にするようになった。大口病院事件については忘れている人も多いだろうが、ちょうど相模原事件の起きた2016年夏に同じ神奈川県で起きたものだ。当時から相模原事件と通じるものがあると感じていた人もいたようだが、驚くべきことに植松死刑囚自身が、自分の事件が背中を押したのではないかと、責任を感じているというのだ。
植松死刑囚は久保木被告に手紙を送り、最近、面会に来た記者や私に依頼して、本や現金を差し入れた。突然そういうものが届いては驚くだろうと思い、私は本と一緒に手紙も入れて説明した。そしたら、お金については、届いたとたんに「受け取り拒否」をしたようで、現金書留封筒のまま返送されてきた。どうやら相模原事件と自分のことは関係ないという意思表示らしい。それについては面会の時に植松死刑囚に説明し、お金は彼に戻すために差し入れた。
ただ植松死刑囚が犯行の動機にした「命の選別」は、この社会のいろいろなところで起きている。前述した月刊『創』最新号の相模原事件特集では、渡辺一史さんや作家の雨宮処凛さんらの座談会も載っているのだが、雨宮さんが最後に、一昨年、人工透析の女性の遺族が福生市の病院を訴えた事件を、相模原事件と通底するものだと指摘している。いずれにせよ相模原事件はこの何年かの「命の選別」という社会風潮と関わっていることは間違いない。
今回の死刑判決でこの事件を終わらせてはならないと多くの人が主張しているのもそれがひとつの理由だ。
裁判が終わって、報道量も激減した。裁判の間、横浜拘置支所に連日取材に押し掛けていた大手マスコミの報道陣も、潮が引いたようにいなくなった。裁判で明らかにならなかった相模原事件についての議論を、風化させることなく深めていくにはいったいどうしたらよいのか。
3月16日の死刑判決後の会見で、津久井やまゆり園家族会前会長の尾野剛志さんは、事件を風化させないために私たちも努力する、と言った後、会見場に来ていた大勢の報道陣に向かって「報道の皆さんもがんばってほしい」と呼びかけた。
ジャーナリズムに課せられた課題も大きいと言わなければならない。
なお文中に紹介した『創』5・6月号の内容は下記の通りだ。精神科医の松本俊彦さんの判決に対する見解などぜひ読んでほしい。