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センバツ彩る名曲『栄光』

森本栄浩毎日放送アナウンサー
いよいよ開会式。カラフルな演出と名曲の演奏で春の訪れを全国に告げる。

センバツの開会式は華やかだ。趣向を凝らした演出は見るものを楽しませ、温かさに満ちている。入場行進の曲が毎年変わるのも一興であるし、プラカードの文字も斬新(高校生による)になった。すでに述べた究極の抽選会同様、主催者が思案と工夫を重ねた結果と言える。

選抜旗でカラフルに開会式を演出

入場行進では、先頭を歩く主将が「旗」を持っていることに気付かれると思う。夏の選手権は各地区大会の優勝旗で、一様に「真紅」である。では、春はどうか?春の旗の色は各校様々だ。赤もあれば緑もあるし、白地のものだってある。この旗は「選抜旗(せんばつき)」と呼ばれ、出場を記念して主催の毎日新聞から贈られるものだ。

これが選抜旗。00年に初出場した橿原(奈良)は額に入れて飾っている。まさに宝。
これが選抜旗。00年に初出場した橿原(奈良)は額に入れて飾っている。まさに宝。

値段がいくらか聞いたことはないが、その立派さからすれば決して安物と言われるような廉価であるはずがない。下地の色も凝っていて、何度も出場している名門には、同じようなものが並ばないように色を変えているようである。これに校章と校名、大会名が認(したた)められているのだが、一度だけしか出場していないチームなどは、まさに学校の誇り、宝と言える。カラフルな選抜旗は、選手宣誓のときにはっきりわかる。宣誓する主将を援護するように、選抜旗を持った残りの主将たちが取り囲む。冒頭の写真を参照いただければそのカラフルな様は一目瞭然である。センバツ開会式のハイライトだ。

優勝旗返還時演奏される名曲の誕生秘話

センバツは夏と違って準優勝旗もある。したがって、開会式では前年優勝校に加え、準優勝校も旗の返還にやってくる。今大会は昨春ファイナリストの出場が叶わなかったため、浦和学院(埼玉)の小島和哉主将と済美(愛媛)の安楽智大主将がやってくる。彼らがこの悔しさをバネに夏はチームで戻ってくることを祈るばかりだ。ところで、この優勝旗返還のときに演奏される曲に聴き覚えがあるだろうか。ここからが、今回の本題になる。センバツの表彰時だけに演奏される「栄光」という曲だ。

優勝旗返還は、名曲「栄光」に乗せて行われる
優勝旗返還は、名曲「栄光」に乗せて行われる

表彰式で演奏される曲と言えば、ヘンデル作曲の「見よ 勇者は帰りぬ」であろう。夏の選手権ではこの曲を演奏するし、センバツでも以前はこの定番曲を使っていた。それが、昭和49(1974)年に様変わりする。当時はオイルショックの真っ只中で、狂乱物価や買占めなどが社会問題化していた。まさかスポーツの世界にまでオイルショックが?と思われるだろうが、この「勇者~」は実はアラブと敵対するユダヤの戦士を讃える曲だったため、「アラブ諸国が反発したら大変」と主催の毎日新聞社は半日感情の高まりを危惧した。そこで白羽の矢が立ったのが、大阪市音楽団(市音)で奏者として活躍しのちに団長も務めた永野慶作氏(10年12月29日逝去、享年82)である。

作曲は大阪市音楽団の元団長 永野慶作氏

永野氏は、コルネット奏者として市音で活躍し、昭和34年の入場行進曲「皇太子のタンゴ」を編曲した。記憶されているファンはかなり少ないと思うが、センバツでは、昭和49年まで試合後の勝者を讃える校歌は生演奏で行われていた。「演奏もしたし、指揮もした」と永野氏はおっしゃっていたが、試合が終わると、3塁側のアルプスと内野スタンドの間から楽団が登場して演奏が行われ校旗が揚がる。夏にはないセンバツならではの光景だった。その名残が、現在も続いている開会式での前年優勝校の校歌生演奏である。

「栄光」の作曲者 永野慶作氏(03年2月4日撮影)
「栄光」の作曲者 永野慶作氏(03年2月4日撮影)

前述の理由から、急きょ、「得賞歌」の作曲依頼が永野氏に舞い込んだという次第。「そんなん、アラブの国が怒って日本が石油売ってもらえへんようになったら大変ですやろ。あわててやりましてん」ということで、かなり急ごしらえだったようだが、その評判はすこぶる良かった。題して「栄光」。「1回限りやと思てましたら、ずっとやってくれとなって、うれしかったなあ」と永野氏。氏はセンバツにとって大恩人である。昭和63年から開会式の入場行進曲のアレンジに復帰し、平成20年まで、22年連続(23回)で手がけた。「栄光」も毎年の行進曲も、永野氏の高校生に対する愛情が込められていた。永野氏は、開会式のリハーサルから本番、閉会式と必ず甲子園のスタンドで「出来映え」を確かめる。目を細めて聴き入る永野氏に声を掛けるのを私は楽しみにしていた。

永野氏の思いは永遠に

永野氏は、背筋をピンと伸ばし、柔和な関西弁を喋る紳士だった。氏の訃報に接したのは、3年前の1月であった。亡くなられたのが暮れも押し詰まった12月29日だったこともあり、しばらくして兄上様から連絡をいただいた。直後のセンバツでは、永野氏の功績に報いるため、開会式前に氏がアレンジした歴代行進曲のメドレーを行う企画が検討されていた。しかし、直前に発生した東日本大震災のために開会式が簡素化されることになって頓挫してしまった。それでも優勝旗返還時には、「栄光」が高らかに演奏された。荘厳で勇ましい曲調の中に、春の訪れを喜ぶ初々しさと高校生の未来に期待する気持ちの高まりがミックスされた名曲である。「ここに来ると若返りまんねん。高校生はよろしいなあ、未来があって。甲子園で力いっぱい行進したことを思い出して頑張って欲しい」永野氏はいつもおっしゃっていた。センバツだけでしか聴けない名曲「栄光」が採用されて40年。今センバツには、初めて「栄光」に乗せて優勝旗、準優勝旗を受けた報徳学園(兵庫)、池田(徳島)が揃って登場する。天国の永野慶作さんが、甲子園の空から球児たちにやさしいまなざしを送っている。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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