今このタイミングだから、五輪の地元開催の「意味」を突きつけたのに…。残念な『ヒノマルソウル』公開延期
新型コロナウイルスによる3回目の緊急事態宣言を受け、映画の公開延期が相次いでいる。興行収入の多くを占める東京や大阪のシネコンが営業をストップしたので、配給会社としては苦渋ながら当然の判断でもあるのだが、本当なら今このタイミングで、社会の空気を感じながら観てほしい作品があった。
5月7日に公開予定だった『ヒノマルソウル 〜舞台裏の英雄たち〜』だ。4月28日に公開延期が発表され、新たな公開日は未定である。
1998年の長野オリンピックで、スキージャンプのラージヒル団体で金メダルを獲得した日本。原田雅彦選手の「船木ぃ〜」という振り絞るような声とともに、日本中を感動に包んだ、歴代オリンピックでも屈指の名場面。そのバックストーリーを再現したドラマだ。田中圭が演じる主人公は、原田や船木ではなく、長野の前のリレハンメル五輪の銀メダリスト、西方仁也だ。
この『ヒノマルソウル』、当初の公開予定日は2020年6月19日だった。今から1年前。コロナがなければ、東京オリンピックを1ヶ月前に控え、日本中が盛り上がりの最高潮を迎えている時期だった。長野の金メダル、しかも個人ではなく団体としての栄誉での感動を、映画館で再び観客が味わい、否が応でも東京オリンピックへの期待感につなげる。絶好のタイミングに公開が設定されたのである。
しかしコロナの影響でオリンピックも1年延期。『ヒノマルソウル』の公開日も約1年後の、2021年5月7日となった。延期された東京オリンピックの約2ヶ月前。今度こそ、弾みをつける役割を果たすはずだった。
現在、東京オリンピック・パラリンピックの開催に関して、日本国内の世論は圧倒的に否定論が支配している。今回の緊急事態宣言が出ずに、『ヒノマルソウル』が予定どおり5月7日に公開されたら、長野の感動が蘇り、オリンピック自国開催への楽しみでテンションが上がっただろうか? 残念ながら、今の状況では、そういう感覚に「もうならない」かもしれない。でもだからこそ、このタイミングで公開してほしかった、と思うのだ。
時として、映画はその目的を超えて、受け取られる時代や人々によって、印象を変節させるものである。
1998年、長野五輪の白馬のジャンプ台。『ヒノマルソウル』では、周囲が大観衆で埋め尽くされた光景を当然のごとく再現する。この映像を観たある程度の人は、この夏の東京オリンピックで同じような光景に再会できない現実を突きつけられ、切ない思いにかられるだろう。本来、このクライマックスは、間近に控える自国開催オリンピックへの高揚につながるはずだった。
しかし繰り返すが、映画とは観る時代で変わるもの。作り手が決して意図しなかったであろう、このやるせない、複雑な思いを噛みしめることも、ひとつの映像体験となる。
さらに『ヒノマルソウル』は、オリンピックに対する人々の根本の考えも揺り動かす。作品の主人公は、長野の金メダリストではなく、競技用のジャンプ台の状態を確かめ、出場選手の前に滑降し、飛びやすい状態にする、テストジャンパーだ。つまり縁の下の力持ちである。彼らが対峙する試練が本作でも最大のポイントで、そこにタイトルのヒノマルソウル、つまり「日の丸を魂に込めて」というメッセージが重なる。
テストジャンパーたちの試練において、日の丸に魂を込めることの意味とは? これから観る人のために詳細は書かないが、今、こうしてコロナで「オリンピックどころじゃない」という空気が高まっているからこそ、その意味を深く考える人もいるはず。オリンピックに向けて、お祭り騒ぎの雰囲気で観た場合と、明らかに印象は変わってくるだろう。それは肥大化し、商業主義となったオリンピックへの疑問、ひいては自国開催の意義にもつながり、ある意味で、時代に合わせた映画の見方を発見できる。
ありきたりの感動の実話が、観た状況によって別の意味を突きつけてくる。
映画とは、そういうものではないか。
『ヒノマルソウル』は東京オリンピックの前に再度、公開が決まるのか。それとも、2021年の東京オリンピックが中止という決定が下されたら、的確なタイミングを模索して、もう少し先の公開になるのか。
東京オリンピックが中止となったら、『ヒノマルソウル』を観たいと思うモチベーションが下がってしまう気もするが、どうだろう? あるいは、オリンピックの代わりに、せめて映画で過去の感動をもう一度、という気分になる人もいるかもしれない。しかし個人的には、「オリンピックについて考える」今この時期にこそ、多くの人に『ヒノマルソウル』を観てほしかったと痛感するのである。
『ヒノマルソウル 〜舞台裏の英雄たち〜』
全国東宝系にてロードショー
(C)2021映画『ヒノマルソウル』製作委員会