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【全国城下町散歩】忠臣蔵の故郷・播州赤穂城下をめぐる旅

濱田浩一郎歴史家・作家

兵庫県南西部にある赤穂市。赤穂と言えば、いわゆる赤穂事件の舞台の1つとなった場所である。時は元禄14年(1701)3月。赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が、江戸城松の廊下において、高家・吉良上野介義央に突如斬りかかるという事件が起る。

浅野が刃傷に及んだ理由には諸説あり、今でも真因は分かっていない。斬りつけられた吉良は負傷。一方、斬りつけた浅野は、場所柄を弁えぬ者ということで、5代将軍・徳川綱吉の怒りをかい、即日切腹。浅野家は播州赤穂を没収され、改易となる。吉良はお咎めなしであった。

浅野家に仕えていた赤穂藩士たちは、路頭に迷うことになるが、筆頭家老であった大石内蔵助は、当初は、浅野長矩の弟・大学を中心として浅野家再興を考えていた。しかし、大学の閉門が決まり、その道が閉ざされると、内蔵助はついに吉良を討つために動き始める。

そして元禄15年12月、内蔵助はじめとする47人(士)は、江戸の吉良邸に侵入し、吉良上野介を討ち取るのであった。内蔵助らは幕府の命令により、後に切腹することになるが、彼ら47士は、主君の仇を討った忠臣として、後世に語り継がれることとなる。

「忠臣蔵」ー彼らの活躍は、浄瑠璃・歌舞伎、現代においては時代劇などにおいて何度も描かれているが、その舞台となった赤穂城跡は、播州赤穂駅から徒歩約15分のところにある。その途上には「旧赤穂上水道」のモニュメントがあった。

赤穂城や侍屋敷のみならず、町家の一軒一軒にまで上水道を給水していたというから驚きだ。赤穂の上水道は、日本三大水道(江戸の神田上水、福山の福山水道)の1つとして有名である。赤穂は、井戸を掘ると海水が出るので、上水道の整備が進んだのだ。

写真は息継ぎ井戸。早水藤左衛門・萱野三平の2名が、早駕籠で主君・浅野内匠頭刃傷の報をもって、江戸より駆けつけた際、この井戸で一息ついて大石内蔵助邸へ入ったと言われている。

息継ぎ井戸
息継ぎ井戸

赤穂城は、浅野長直により、寛文元年(1661)に築かれた。昭和46年(1971)には、城跡は国史跡に指定、平成14年(2002)には、本丸庭園と二之丸庭園が国の名勝に指定されている。

赤穂城跡
赤穂城跡

赤穂城周辺には、大石内蔵助宅跡や、大石ら赤穂義士(浪士)を祀る大石神社がある。神社には、義士史料館があり、内蔵助が書いた書状や、所持していた刀などを見ることができる。赤穂城跡や大石宅跡を巡りつつ、内蔵助たちの心情に想いを馳せることができるだろう。

赤穂では毎年12月14日に「赤穂義士祭」が開催される。義士祭と言えば冬のイメージがあるが、今年の4月9日(日)には「春の義士祭」が開催されるという。この春の義士祭は女性が主役のお祭りとのことで、5年ぶりの開催のようだ。

さて、赤穂の名産と言えば塩だが、塩を使った和菓子「塩味饅頭」が赤穂やその近隣の市(例えば相生市)で販売されている。

赤穂銘菓 塩味饅頭
赤穂銘菓 塩味饅頭

淡い塩味のこし餡は、初めて食べた人を驚かせるかもしれない。江戸時代に作られた塩味饅頭。赤穂の伝統の銘菓である。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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