あまりにメチャクチャだった! 戦国時代に武士が戦場で負傷したときの治療法
現代は医療の発達した時代ではあるが、不幸なことに医療ミスが起こることがある。医療が発達していない戦国時代においては、半ば迷信に基づくようなメチャクチャな治療が行われていたので、紹介することにしよう。
近代医学では、大学の医学部で医師が養成され、国家試験に合格すれば、治療を行うことができる。戦国時代には医者がいたものの、医療技術は極めて未熟だった。
当時は医学書もあったが、治療法の多くは薬草などを煎じて服用するもので、ときにとんでもない治療も行われていた。特に、戦場では緊急を要したので、荒っぽい治療も行われたようである。
合戦で負傷した際、金瘡医が治療にあたったというが、それは決して常時ではなかった。その場に居合わせた将兵が治療を行うこともあったのである。江戸時代に成立した『雑兵物語』には、将兵が負傷した際の治療法が書かれている。その一部を紹介することにしよう。
『雑兵物語』には、刀で斬られるなどして、出血が止まらない場合は、水で馬糞を煮て飲むとよいと書かれている。江戸時代に成立した『葉隠』には、そのエピソードが書かれている。
甘利信忠は、武田信玄に仕えていた甘利虎泰の子である。ある合戦のとき、配下の者が敵と戦って重傷を負い、まったく血が止まらなくなった。信忠は部下を救うべく、葦毛馬の糞を水で煮て飲むよう命じた。しかし、部下は「いかに命が惜しいとはいえ、馬糞の汁を飲むことはできません」と拒絶した。
この言葉を聞いた信忠は、「さすが勇士だ。言うことはもっともなことだ」と賞賛する一方で、「しかし、ここは戦場なので、生き長らえて主君を勝利に導くのが忠臣のあるべき姿だ。私がまず飲んで見せるから、そなたも飲んでみなさい」と言って、信忠は馬糞の汁を飲んで見せた。部下は信忠から渡された残りの馬糞の汁を飲んで、怪我が治ったというのである。
また、大坂の陣において、渡辺作左衛門(藤堂高虎の家来)が敵兵に左手首を斬り落とされることがあった。作左衛門が医者に見せると、「斬られたのが肘か二の腕であれば治療できるが、手首では止血ができない」と言った。そこで、作左衛門は刀で左肘を自分で斬り落とし、医者の治療を受けたというのである。
むろん、ここに書かれた話は、史実か否か疑わしい。実際には傷口をきれいに洗い、薬草を擦り込むなどし、回復を試みたのだろう。念のために申し添えると、馬糞汁を飲んだら落命すると思われるので、必ず病院で治療を受けてください。