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【光る君へ】髪を切った定子と一条天皇との関係はどうなったのか?

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
京都御所 承明門。(写真:イメージマート)

 今回の大河ドラマ「光る君へ」では、藤原伊周を探索すべく検非違使が定子の邸宅を探索していた。定子はあまりのショックに、発作的に髪を切ってしまった。出家である。その後、定子と一条天皇との関係はどうなったのか考えることにしよう。

 長徳2年(996)、藤原伊周・隆家兄弟の従者が花山天皇に矢を射た。矢は衣の袖を射抜いただけだったが、一報を受けた一条天皇は激怒した。

 一条天皇は2人を地方に左遷することにしたが、伊周は姿をくらました。そこで、検非違使を定子の邸宅に遣わし、探索したのである。その探索ぶりはかなり荒っぽく、あまりのショックに定子は突如として髪を切ったのである。

 その後、定子と一条天皇との関係は、いったいどうなってしまったのだろうか。定子は発作的に髪を切ったが、どれくらい切ったのかは明らかではない。

 完全な出家ということで、受戒して髪を剃ったのならば、夫婦間の性交渉はなくなる。同居は可能であったが、夫婦としての関係はなくなってしまうのである。

 ところが、髪を少し切る断髪(おかっぱ頭)くらいならば、完全な出家とはみなされなかったらしい。それは「尼そぎ」といわれ、尼になる過程に止まっていた。つまり、中途半端な状態にあったのである。

 先述のとおり、定子はどのくらいの長さの髪を切ったのかは、どの史料を見ても書かれていない。むろん、受戒して正式な尼になったのかも不明である。いずれにしても、定子は2人の兄が大事件を引き起こしたので、もはや一条天皇との関係を続けるのは困難と悟ったのだろうか。

 すでに、定子は一条天皇の子を身籠っていたが、その子が後継者となることは前例がなく、非常に難しい問題でもあった。一方の一条天皇は定子を深く愛していたものの、今の状況つまり跡継ぎのことを考えると、即座に行動せねばならない状況にあった。

 そこに目を付けたのが、適齢期の娘を持つ貴族である。事件後、大納言の藤原公季が娘の義子を、右大臣の藤原顕光が娘の元子を一条天皇に入内させた。右大臣の藤原道長には娘の彰子がいたが、まだ9歳だったので、入内させることは叶わなかったのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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