【光る君へ】髪を切った定子と一条天皇との関係はどうなったのか?
今回の大河ドラマ「光る君へ」では、藤原伊周を探索すべく検非違使が定子の邸宅を探索していた。定子はあまりのショックに、発作的に髪を切ってしまった。出家である。その後、定子と一条天皇との関係はどうなったのか考えることにしよう。
長徳2年(996)、藤原伊周・隆家兄弟の従者が花山天皇に矢を射た。矢は衣の袖を射抜いただけだったが、一報を受けた一条天皇は激怒した。
一条天皇は2人を地方に左遷することにしたが、伊周は姿をくらました。そこで、検非違使を定子の邸宅に遣わし、探索したのである。その探索ぶりはかなり荒っぽく、あまりのショックに定子は突如として髪を切ったのである。
その後、定子と一条天皇との関係は、いったいどうなってしまったのだろうか。定子は発作的に髪を切ったが、どれくらい切ったのかは明らかではない。
完全な出家ということで、受戒して髪を剃ったのならば、夫婦間の性交渉はなくなる。同居は可能であったが、夫婦としての関係はなくなってしまうのである。
ところが、髪を少し切る断髪(おかっぱ頭)くらいならば、完全な出家とはみなされなかったらしい。それは「尼そぎ」といわれ、尼になる過程に止まっていた。つまり、中途半端な状態にあったのである。
先述のとおり、定子はどのくらいの長さの髪を切ったのかは、どの史料を見ても書かれていない。むろん、受戒して正式な尼になったのかも不明である。いずれにしても、定子は2人の兄が大事件を引き起こしたので、もはや一条天皇との関係を続けるのは困難と悟ったのだろうか。
すでに、定子は一条天皇の子を身籠っていたが、その子が後継者となることは前例がなく、非常に難しい問題でもあった。一方の一条天皇は定子を深く愛していたものの、今の状況つまり跡継ぎのことを考えると、即座に行動せねばならない状況にあった。
そこに目を付けたのが、適齢期の娘を持つ貴族である。事件後、大納言の藤原公季が娘の義子を、右大臣の藤原顕光が娘の元子を一条天皇に入内させた。右大臣の藤原道長には娘の彰子がいたが、まだ9歳だったので、入内させることは叶わなかったのである。