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「学校行事」と「PTAの仕事」を同時に減らすには? 先生と保護者は忖度のループを抜けよう

大塚玲子ライター
追い詰め合うのでなく、同じ方向を向いて、お互いをラクにし合っていきたい(写真:アフロ)

 先生たちの長時間労働の原因の一つとして、学校行事がしばしば挙げられる。たとえば、1か月近くも前から準備や練習が始められる運動会や卒業式。授業時間を確保するため、調整も大変なようだ。

 筆者は保護者だが、行事の縮小や削減には賛成なのでどんどん見直してほしいが、なかなか進まないようだ。「保護者が喜ぶから」「やめると保護者から苦情が来るから」変えられない、あるいはやめられないのだ、という声を聞く。

 そうはいっても先生の負担が過ぎるなら、すべての保護者が喜ばなくても、ある程度苦情が来ても、仕方がないだろう。割り切るしかないと思うのだが、なぜ変えられない、やめられないのか?

 先日の記事では、まず保護者への説明が足りていない可能性を指摘させてもらった。あとは、PTAの仕事を減らそうとするときと同様、「具体的にどれを削るか」という話になると、先生たちの間で意見が一致しづらい、といった理由もあるかもしれない。

 ほかにもいろいろな事情があると思うのだが、これまで筆者が取材等を通して感じてきたことを、少々書かせてもらいたい。

1*協調を優先するから

 「学校の先生たちは、やさしい(協調を優先する)タイプだから」という理由もあるように思う。正しいことであっても、和を乱す=慣習と異なる行動をとるのは苦手なため、とりあえずこれまで通りの行動を選択しやすいところがあるのでは。

 PTAでも見られる傾向であり、日本人全般の特徴と思うが、先生たちは特にそれが強いようにも感じる。

2*PTA(保護者)に頼らざるを得ない部分があるから

 もしかすると、学校はPTAのお金や労働力に頼っているから、保護者サービスを頑張らざるを得なくなっている面はないだろうか。

 学校は行事などの際、よくPTAを介して保護者のお手伝い(労働力)を必要とする。また備品購入の際など、PTAから用立ててもらうことも少なくない(※)。そんなふうに「PTAの協力(労働力とお金)ありき」で学校を運営しているから、PTAや保護者の期待にこたえざるを得なくなるのではないか。

 取材でたまに見かけるのだが、「がんばってるPTA役員さん」から頼みごとをされたときの管理職の先生の表情は、実に複雑だ。

 タラレバだが、もし学校にたっぷりと公的予算がついて、PTAのお金や労働力に全く頼らないような状態になれば、学校はいまほど保護者サービスを頑張らなくて済むようになるかもしれない。実際そうなってみないとわからないが、考えられなくはないと思う。

3*相互忖度があるから

 もうひとつ、先生が保護者サービスを頑張ってしまう理由として考えられるのが、互いの忖度だ。行事の際など、保護者サービスの気配を感じ取った保護者が学校にお礼を言い、そのお礼を受けた学校がまた頑張ってしまう、というややこしいループがあるように思う。やめられない年賀状と同じようなものだ。

 人はなかなか他人が好意でしてくれたことを否定しづらい。だから保護者も内心「この行事、やらなくてもいいのに……」と思ったとしても、先生にはそうは伝えず、「ありがとうございます」とお礼だけ言う。

 だからお礼を言われた先生たちは、保護者の気遣いの分を差し引いて、半分に受け取るくらいでちょうどいいのでは。言葉通りに受け止めて「よし、来年も!」と頑張るのでなく、あくまで自分たちの負担が過ぎない範囲にとどめるといいのかもしれない。

*PTAにも同様の面がある

 なお3番で書いたことは、PTAにもあてはまると思う。とくに役員の人たちがつい頑張り過ぎてしまい、仕事を減らせなくなるのも、「学校からお礼を言われるから」という面があるように思うのだ。

 1/3の記事で紹介した通り、先生たちにPTAについての本音を尋ねると、(学校の)手伝いには感謝しているものの、それ以外――たとえば広報紙作成、講演会の実施、強制的な役員決め等々――については「やらなくていい」、あるいは「いらない」と感じている先生は多い。

 おそらく実際には、「PTAごと不要だ」と思っている先生も、少なくなさそうだ。

 しかし先生たちは、そういった本音を保護者たちの前では言わない(言えない)。とくに校長など管理職の先生は、「いつもありがとうございます、PTAさんがないと学校はまわりませんよ!」など、持ち上げることばかり言う。それでPTA役員さんは「PTA活動(学校への労働力やお金の提供だけでなく、広報紙作成や講演会企画、役員の強制なども含む)をなんとか存続させねば」と思い込みやすいところもあると思うのだ。

 これからは双方もう少し正直になり(特に先生)、忖度で仕事を増やすのをやめ、「お互いに仕事を減らしていきましょう」と声をかけ合って、いっしょにラクになっていく方向を探れないものだろうか。

 あるいは、互いに「嫌われる勇気」をもって「そこまでやれません」と言い合っていくこと。矢面に立つ「長」(校長、PTA会長)は大変だと思うが、周囲がサポートしながら、なんとか前に進めていくしかないだろう。

*矛先は本当にそこ?と思うところも

 なお、学校行事に限らず、よく「保護者のせいで先生の仕事が減らない」と聞くが、「それ本当に?」と思う部分も、正直言うとある。

 業界は全く異なるが、筆者自身もこんな経験がある。10数年前、ある制作会社で広告系媒体のチームに配属されたのだが、上司がクライアントの要求を際限なく聞き入れたため、数か月にわたり200時間超えの残業が続き、毎日「交通事故に遭いたい」と思いながら働いていた。

 そのときは「クライアントどもめ」と恨んだが、冷静に考えれば悪いのは上司や勤務先だ。「どこまで要求を引き受ける」という線引きや、そのことをクライアントに説明することを怠り、代わりに「部下を酷使する」という判断を下したのは、クライアントではない。

 当時、怒りの矛先を上司や勤務先に向けなかったのは、部外者を敵にまわすほうが安全でラクだったからだ。

 保護者のせいがゼロとは言わない。実際コミュニケーションが難しい保護者もいて、先生たちは本当に大変なことも多いだろう。しかし、矛先を間違えると無駄に敵が増え、話が前に進まなくなってしまうことも考えられる。

ライター

主なテーマは「保護者と学校の関係(PTA等)」と「いろんな形の家族」。著書は『さよなら、理不尽PTA!』『ルポ 定形外家族』『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』ほか。共著は『子どもの人権をまもるために』など。ひとり親。定形外かぞく(家族のダイバーシティ)代表。ohj@ニフティドットコム

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