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織田信長が「無辺」なる僧侶を殺害した当たり前の理由

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
安土城跡の大手道の石段。(写真:イメージマート)

 東映創立70周年を記念し、織田信長と濃姫を主人公にした映画『レジェンド&バタフライ』が上映中である。今回は、織田信長が「無辺」なる僧侶を殺害した理由について考えてみよう。

 天正の頃、「無辺」という諸国を行脚していた客僧があらわれ、秘法を用いて次々に奇跡を起していた。その噂を聞きつけた人々は、「無辺」にお金を払って、その功徳を授かろうとした。

 織田信長は「無辺」の噂を耳にすると、面会することを希望した。天正8年(1580)3月、信長は安土城(滋賀県近江八幡市)の御厩へ「無辺」を招くと、矢継ぎ早にいろいろな質問を行った。

 最初に、信長は「無辺」に生まれた国を尋ねると、「無辺(何処でもない)」と答えた。次に、信長が「唐人(中国人)か天竺人(インド人)か?」と尋ねると、「無辺」は「修行僧」とだけ返答した。これでは、まったく問答にならない。

 結局、信長は「無辺」の答えを耳にして、「人間の生国は、三国(唐・天竺・日本を指し世界の意味)以外には無いはずだ。どこの生まれでも無いとは不審である」と強い疑念を示したのである。

 次に、信長は「さては化け物か! そうだったら、炙ってみるか!」と言うと、家臣に火の準備をするように命じた。この言葉を聞いた「無辺」は大変驚き、「出羽の羽黒山の者です」と生まれた国を答えた。

 信長は「無辺」の答えを聞くなり、「お前は弘法大師の生まれ変わりだと言い、あっちこっちで奇特を見せているそうじゃないか。その技を見せてみよ」と強く迫った。

 しかし、「無辺」は黙ったままだったので、信長は「このような売僧(まいす。仏を売り、仏法を商う俗僧)を放置すると、人々はみだりに仏神を祈り、道理のない福を願うので大変な損失だ」と言い放った。

 さらに信長は、「お前を殺すので、あとで自分の神通力とやらで蘇ってみろ」と言うと、「無辺」を殺害したのである。むろん、「無辺」は死んでしまい、決して蘇ることはなかった。

 信長は合理主義的な人間で、迷信を嫌っていたという。一説によると、信長は無宗教で、無神論者ともいわれているが、最近の研究では否定されている。

 この一件で、信長は決して宗教を否定しているわけではなく、「無辺」なる者が詐欺師まがいの行為で金儲けをしていたので、厳しく処分したということになろう。当然の理由があったのだ。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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