20歳で親指切断の悲運も…おもしろスイングで再注目!ゴルフ界の“虎さん”波乱万丈の人生とは?
今から約4年前の2015年、韓国人プロゴルファーのチェ・ホソンをインタビューする機会に恵まれた。そう、“フィッシャーマンズスイング”で話題の“虎さん”である。
初印象はとにかく人柄の良さがにじみ出ていたこと。プロゴルファーっぽさがなく、話しているうちに、どんどん親しみを感じていたのを今でもよく記憶している。
ただ、優しさが見える一方で、強烈な個性を放っていた。次の言葉がとても印象に残っている。
「元々、群れるのが好きじゃないんです。練習ラウンドも他の人と一緒に回るよりも、一人でじっくり回ってコースを確かめるのが自分のスタイル。エリートゴルファーではありませんし、ゴルフは個人競技なので、他の誰かが助けてくれるものではありません。どちらかというと、一人で楽しむのが好きなんです」
日本では韓国人選手同士で練習ラウンドすることが多いのだが、彼は一人で練習し、行動を共にしない。完全に一匹狼だ。
それに日本に来て6年ほど経つが、まだ日本語はたどたどしい。なんとなく不器用で男くさい。素朴さを全身から感じたものだった。
愛称の“虎さん”がピタリとはまるのも、風貌や素朴さから来ているからではないかと思う。
当時はまだ日本ツアー本格参戦2年目で、優勝にはほど遠いゴルフだった。彼の経歴が異色なのは知っていたが、日本で注目を浴びる存在ではなかった。
だが、2018年に彼の名前が突如として世界のニュースをにぎわすことになる。
同6月のアジアンツアー「コロン韓国オープン」。個性的で変則的なスイングがSNSで世界に拡散されたのだ。世界ランキング4位のジャスティン・トーマスが「練習場でやってみようかな」とツイートするなど、瞬く間に時の人となった。
個性的なスイングは「飛距離を出すため」
ボールを打ったあと、きれいにフィニッシュを決めるのが一般的だが、振ったクラブの勢いに任せて、そのまま体を片足立ちで跳ねながら回転する。
時にはクラブを回したり、途中で止めたりもするので、見る側からすれば、ボールの行方よりも気になってしまう。
本人は「飛距離を出そうと思ってくるっと回っているんです。ゴルフを始めたのも25歳からと遅かったので今では体も堅い。飛距離が欲しいのでこのスイングになりました」という。
ただ、このスイングで本当に勝ってしまうのがまたすごい。
2018年のカシオワールドオープンで、2013年のインドネシアPGA選手権以来、日本ツアー2勝目を挙げると、さらに日本でも異色のフォームが大注目を浴びた。
アメリカと日本での注目度の高さから、ついに米ツアーからお呼びがかかった。AT&Tペブルビーチナショナルプロアマに推薦でPGAツアー初出場を果たしたのだ。
初めての米ツアーに緊張や慣れないコースにも苦労しただろう。通算9オーバーの138位で予選落ちしたが、そのあとチェ・ホソンは同組の選手に記念にヘッドカバーをプレゼントするなど、楽しく過ごしたという。
正直、彼がこれほどまでに大ブレイクするとは想像もできなかった。
親指切断して転職8回も繰り返す
「ゴルファーになるまで8回も転職したんですよ」
最初にこの言葉を聞いて驚かずにはいられなかった。彼の人生はまさに波乱万丈で、韓国では“雑草”という単語が必ずついてまわる。
過去の取材ノートをめくりながら、少し彼の人生を振り返ってみたい。
韓国の浦項(ポハン)という港町で育った彼の家庭は裕福ではなく、水産高校を卒業と同時に、地元の水産加工工場に就職した。
仕事は漁船から運ばれてきた冷凍マグロを電気カッターで切る仕事。ある日、少し気を緩めた隙にカッターの刃が右親指にかかってしまい、そのまま指を切断するという惨事に見舞われる。
手術をするも右親指を失った。当時、まだ20歳。事故の前に受けた軍入隊の身体検査では、“特級(入隊に問題ない)”だったが、その後、“4級”判定を受けて、軍入隊は免除された。
その後、彼は全国各地を回って、数々の仕事についた。
「20歳から23歳まで、8回も職を転々としました。百貨店の店員、スーパーマーケット、鉄工所など、とにかくなんでもやりました。そんなときに出会ったのが、ゴルフ場でアルバイトを募集しているというチラシでした」
すぐに応募して、採用されると、その働きぶりが認められて1年で社員に昇格。そこで25歳になった彼に転機が訪れる。
ゴルフ雑誌を見ながらスイング習得
当時の支配人が「ゴルフ場に勤務する職員は、ゴルフを知る必要がある」として、ゴルフ教育プログラムを実施したのだ。
そこで初めてゴルフクラブを握った。それもパーシモン。何度か打つと、200ヤードの距離が出た。フェードぎみの球の感触も心地よかった。
「これがゴルフというものなのか。真剣にやってみる価値があるかもしれない」
指を切断する事故を起こしてから、ずっと生きることに必死だった。
だからプロゴルファーとして生きると覚悟を決めるまで、そう時間はかからなかった。
「早朝4時半にゴルフ場に出勤して、最後の組が回り終わった15時ごろからボールを打ち続けました。すべての客が出ていったあとは、練習場が閉まる23時まで練習しました」
しかも、誰に習うことなく、すべて独学。唯一の師匠と言えば、ゴルフ雑誌だったという。
「韓国にはゴルフ雑誌がたくさんあるのですが、外国人選手のレッスンが教本でした」
やればできる。努力は必ず報われる――が彼の口癖で、そんな気持ちはやがて、結果となって表れた。
ゴルフを始めてからたった1年3カ月でセミプロテストに合格。これは韓国プロゴルフ協会所属プロのなかで、最短の合格記録でもある。
そこからはみるみるゴルフの実力は上達し、01年には韓国下部ツアーの賞金王、地道に努力を積み重ね、04年に韓国ツアーのシード権を獲得した。ゴルフを始めてから7年目のことだった。
歩んできた人生とゴルフは似ている
それから08年、韓国のハナツアーチャンピオンシップで悲願の初優勝を遂げ、11年にも1勝した。
「初優勝も2勝目も、自分がやってきたことが間違いではなかったということが証明できました。勝つことでさらなる自信が生まれ、日本に挑戦するという選択ができたのは、優勝できたからです」
12年には日本のQTを31位で突破し、13年から日本ツアーデビュー。その前に開催されたJGTOとワンアジアツアー共催のインドネシアPGA選手権で優勝して、シード権を獲得した。
そして今もなお、勝利にこだわり、ゴルフを楽しんでいる。
4年前、「あなたにとってゴルフとは?」と聞くと、こんな答えが返ってきた。
「自分の人生ですかね。私が歩んできた人生とゴルフは本当に似ているんです。コースにおける様々な状況が、人生に似ていると感じます。ゴルフも人生も、何がどこで、どのような状況になるのかわがりません。だからゴルフっておもしろいと思い。すべて思い通りに進む人生なんて、楽しくないですから」
確かに人生はこの先、何が起こるかわからない。だが、そんな波乱万丈の人生を楽しんでいる。
暗い過去、辛い経験を力に変え、今では日本と米国でスポットライトを浴びる存在になった。
当時、まだ日本1勝のチェ・ホソンは「日本ツアー通算10勝」が目標と言っていた。決して簡単ではない、もしかしたら無理かもしない――。そう思っていた。
だが、昨年通算2勝目を飾った。4年前の言葉はまだ生きている。
<プロフィール>
チェ・ホソン/1973年9月27日生まれ、韓国出身。水産高校を卒業してから就職した水産加工工場で右親指を切断。クラブを握ったのは25歳からで、2001年にプロ転向。同年の韓国下部ツアーで賞金王となり、08年に同レギュラーツアー初優勝。12年の日本ツアーのQTを通過し、13年のインドネシアPGA選手権(ワンアジアツアーと日本ツアーの共催)で優勝。14年から日本ツアーに本格参戦。18年のカシオワールドオープンで優勝し、個性的なスイングが大注目され、時の人に。韓国ツアー通算2勝。日本ツアー通算2勝。