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代打騎乗で金星に導いた騎手が、タッグを組んだ馬の父に作った5年間の借りとは?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
小倉2歳Sを制したナムラクレアと代打騎乗の浜中俊(写真;東京スポーツ/アフロ)

思い入れのある馬の子に代打騎乗

 一報が入ったのは日曜の朝の事だった。JRA職員から、浜中俊は言われた。

 「和田竜二騎手が札幌で怪我をして騎乗変更になりました。小倉2歳Sのナムラクレアの依頼がきていますがどうされますか?」

 最初は「え?」と思った。その理由を次のように語る。

 「和田先輩が怪我をしたのは知っていたけど、小倉へ向かっていると聞いたので、まさか依頼されるとは思っていませんでした」

 ナムラクレアの調教師は長谷川浩大。元ジョッキーで2019年に開業したばかりの現在37歳。32歳の浜中は言う。

 「年齢が近く、お世話になっている先輩なので依頼していただき嬉しかったです」

 こうして騎乗する事になったナムラクレアはミッキーアイルの産駒。父は現役時代、浜中とタッグを組み、NHKマイルC(GⅠ)やマイルチャンピオンシップ(GI)を勝利したスピード馬だった。

 「良い事も悪い事も様々な経験をさせてくれた馬で、個人的に思い入れの強い1頭でした」

2014年のNHKマイルC(GⅠ)を勝った際のミッキーアイル(ゼッケン10番の黄色帽)
2014年のNHKマイルC(GⅠ)を勝った際のミッキーアイル(ゼッケン10番の黄色帽)

 そんな事を思っていると和田の姿が目に入った。大事をとって全鞍乗り替わりとなったが、浜中が聞いていた通り小倉競馬場には駆けつけていたのだ。

 「そこで癖や、どんな馬かを聞きました」

 その答えはシンプルだった。

 「乗りやすいし溜めれば切れるのでチャンスはあると思う」

 それを聞き、父の姿を目に浮かべ、思った。

 「ミッキーアイルはスピードがあったので前へ行ったけど逃げても33秒台で上がれた。抑えがきけば切れたはずで、そんな血をひいているのだろう」

 こうして、パドックでナムラクレアに対面すると、その馬体の良さに目が行った。

 「肩幅があって筋肉もある。良い印象を受けました」

 更に返し馬へ行くと心が決まった。

 「和田さんが言う通り乗りやすいと感じました。たまたま追い切りも見ていて、瞬発力がある印象も受けていたので、ここはその脚を信じて後ろから行こうと決めました」

ミッキーアイルが走っていた頃の浜中
ミッキーアイルが走っていた頃の浜中

父馬に対する借り

 浜中はミッキーアイルに借りがあった。2016年のマイルチャンピオンシップ(GⅠ)に臨んだ時の事だ。サトノアラジン、イスラボニータに続く3番人気に支持された。多くのファンがチャンスありと予想していたといえる人気だ。しかし、パートナーを最も良く知っているはずの浜中が、信じ切れていなかった。

 「NHKマイルCを勝っていたと言えそれは3歳馬同士の春の話。その後はなかなか勝ち切れない競馬も多く、古馬混合のGⅠでは正直厳しいかと思っていました」

 そんな心情がゴール前での手綱捌きを狂わせた。

 「余計な右鞭を入れてヨレてしまいました」

 結果、他馬の進路を妨害。1位入線の着順こそ入れ替わらなかったものの変わらなかったものの、浜中は騎乗停止処分を受けた。

2016年にマイルチャンピオンシップ(GⅠ)を制した時のミッキーアイル。浜中は騎乗停止となり、口取りの際も笑顔はなかった
2016年にマイルチャンピオンシップ(GⅠ)を制した時のミッキーアイル。浜中は騎乗停止となり、口取りの際も笑顔はなかった

 「騎乗停止は当然として受けとめました。ただ、ミッキーアイルの勝利にケチをつけてしまったのが関係者やミッキー自身に申し訳なくて……」

 だから続く1戦となった阪神カップ(GⅡ)は「何としても勝ってミッキーが本当に強いところを見せたい」という強い思いで臨んだ。しかし、競馬という現実は時に非情に個人の想いを呑み込む。ミッキーアイルは6着に沈み、浜中は絶句した。

 「一時は翌年も現役続行という話でしたけど、その後、急遽引退が発表され、結局その阪神カップが現役最後のレースになってしまいました」

 名誉挽回の機会は無くなり汚名返上の道は断たれた。以来、悩んでも苦しんでも落としようのない汚れだけが、心のどこかについたままになった。

 それから4年。ミッキーアイルの産駒がデビューすると、メイケイエールが小倉2歳Sで1着。初年度世代からいきなり重賞勝ち馬を出した。

ミッキーアイル産駒のメイケイエールは昨年、小倉2歳Sを制した後、GⅠにも出走するように。写真は阪神ジュベナイルF(GⅠ)出走時
ミッキーアイル産駒のメイケイエールは昨年、小倉2歳Sを制した後、GⅠにも出走するように。写真は阪神ジュベナイルF(GⅠ)出走時

 「嬉しかったし、自分もミッキーの子供で勝ちたいと思いました」

 そんな浜中に思わぬ形で巡ってきたチャンス。それが今回のナムラクレアだった。

 「4コーナーで外へ出していった時の反応が良くてほぼ勝てると思いました」

 一発ツモ。先頭でゴールを駆け抜けた瞬間、自然と左拳を握った。

 怪我をして乗れなくなった和田の事を想うと「100%は喜べない」と吐露した浜中だが「長谷川先輩もこれがJRAの重賞初制覇になったし、僕自身、ミッキーアイルの子で重賞を勝てたのは嬉しかったです」と正直な気持ちを口にした。

 靴の中に小石が入っているようなモヤモヤした気持ちを抱えて5年間。「もういいよ」とミッキーアイルが言ってくれた。そんな優勝劇だったのではないだろうか……。

ミッキーアイルとのコンビでは香港でも騎乗した浜中。写真は2015年の香港スプリント出走時
ミッキーアイルとのコンビでは香港でも騎乗した浜中。写真は2015年の香港スプリント出走時

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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