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ゴラン高原って何?

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 アメリカのトランプ大統領がシリア領であるゴラン高原について、イスラエルの主権を認めるべきだと表明し、2019年3月25日にその旨記した文書に署名した。本稿執筆時点で、アメリカ政府内からはこの決定にさしたる異論はないようだが、この決定はシリア、アメリカやイスラエルの政局、中東情勢にとどまらない、全世界的に深刻な影響を残すだろう。

ゴラン高原って何?

 ゴラン高原とは、シリア・アラブ共和国の南西端に位置する(地図上の赤で塗った部分)高原で、最高地点は海抜2814メートルのヘルモン山(シャイフ山)、最低地点は海抜-219mのティベリアス湖岸という、高低差に富んだ地域である。行政上はクナイトラ県に属する。周辺に比べて降水量が豊富で、クナイトラ県の県庁所在地のクナイトラ市では年間750mm程度の降雨がある。このため、湧水が豊富で温泉もあるが、比較的新しい火山活動によって形成された地域のため、農耕よりも牧畜や果樹の栽培に適した地域として知られている。

 紀元前3000年頃から人間が生活していた遺跡が発見されていたとされ、その後も様々な民族や宗教・宗派集団、政治勢力が移動や侵入を繰り返した。第一次世界大戦後、フランスが委任統治するシリアの一部となり、1946年にシリア・アラブ共和国が独立したことに伴いシリア領となった。

地図:ゴラン高原の位置(筆者作成)
地図:ゴラン高原の位置(筆者作成)

 ゴラン高原は、シリア紛争の舞台の一つにもなった。2018年夏にシリア南西部を政府軍が制圧するまで、イスラエルはゴラン高原被占領地からイスラーム過激派諸派を支援し、戦闘員や武器をシリアに流入させた。また、負傷したイスラーム過激派などの戦闘員をイスラエル領内やゴラン高原被占領地で保護した。イスラーム過激派の救護機関である「ホワイト・ヘルメット」の構成員とその家族数百人が、イスラエルの手引きでシリア国外に逃亡した経路も、ゴラン高原である。

中東和平とゴラン高原

 イスラエルがゴラン高原を占領したのは、1967年の第三次中東戦争である。この戦争の際に国連安保理で採択された決議242号、1973年の第四次中東戦争の際に採択された決議338号では、イスラエルがアラブ諸国に返還すべき占領地とみなされている。また、1981年にイスラエルがゴラン高原を併合したと主張した際にも、国連は安保理決議497号を採択し、併合が無効である旨宣言した。今般のトランプ大統領の決定に際しても、日本を含む主な国々や国連は、イスラエルによる併合を認めない立場を確認している。

 1990年代後半に盛り上がりを見せた中東和平プロセスでも、「領土と平和の交換」原則に基づき、ゴラン高原の返還とシリア・イスラエル間の和平が協議された。協議の焦点は、「どの境界線まで、どのような条件でイスラエルが撤退するのか」や、「ゴラン高原返還後の軍備・監視拠点の配置、水資源の利用」などの諸条件であり、ゴラン高原をシリアに返還するか否かではなかった。協議自体は、シリアの領域がティベリアス湖に達していた「1967年6月4日ライン」を主張するシリアと、イギリスとフランスが委任統治した領域の境界に沿い、シリアの領域がティベリアス湖に接していない境界を主張したイスラエルとが折り合わずに挫折した。

 ゴラン高原被占領地の住民(イスラエルの入植者は除く)の多くは、宗教的にドルーズ派に属している。彼らは、シリア・アラブ共和国や現在のシリア政府に親和的でないとの主張もある。その一方で、彼らの多くは1981年にイスラエルがゴラン高原を併合した際にイスラエル国籍を拒否したともされている。いずれにせよ、ゴラン高原被占領地の住民(イスラエルの入植者を除く)の行動様式を宗教・宗派的帰属で説明することは、「宗教・宗派的帰属が個人や社会集団の思考・行動様式の全てを決定する」との誤った前提に立つ乱暴な決めつけであろう。実際にゴラン高原被占領地の住民(イスラエルの入植者は除く)にシリアの政治体制への好悪があるにしても、彼らがイスラエルで暮らす場合、「国民国家法」に基づく劣等市民の地位が約束されており、シリアとイスラエルのいずれに帰属したところで、それほど快適でないことは一緒だろう。

日本とゴラン高原

 ゴラン高原は、日本にとっても実はなじみ深い地域である。というのも、同地でシリアとイスラエルとの間の停戦監視にあたっていたUNDOF(国連兵力引き離し隊)の後方支援大隊に、1996年~2013年までおよそ半年任期で延べ約1500人の自衛隊員が派遣されたのである。UNDOFへの自衛隊の派遣は、シリア紛争の激化に伴いUNDOF自体がイスラーム過激派による襲撃・誘拐被害を受けるようになったこともあり、2013年1月に終了した。この間、UNDOF、PKO、そして自衛隊に対する無理解や悪意に基づく様々な制約の中、17年にわたり派遣が続き、日本のPKO参加の経験上歴史に残る活動を行った。また、派遣された隊員には複数の派遣を経験した隊員も多数いたようであり、多くの関係者が任地であるシリアとその周辺諸国に特別な思い入れを持っていることだろう。

 日本にとってもう一つ忘れてはならないことは、今般のトランプ大統領の決定が、「武力で不法占拠した地域を“実効支配”と称して長期間制圧し続ければ、大国の気分次第でいつでも合法化できる」ことを示唆していることである。日本領を不法占拠している諸国が、今般のトランプ大統領と同じ論理で振る舞ったとき、不法占拠された領域を回復する術が日本にあるだろうか?

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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